第5章 浮かび上がる記憶
第1話 朝日と共に
明るい太陽が海を照らし、潮風を受けて海鳥が飛び立つ。
窓から見えるその景色の向こうに、何故だか強い憧れを抱いてしまう。
「ねぇ、ウェルバー。今日は浜辺へ行っても良いかしら」
「午後の祈りの時間に間に合うようにするのでしたら、午前の予定を調整しましょう。ちょっとした休憩程度であれば、お許しも出るかと」
ウェルバーと呼ばれた青年は、白百合のように清廉で、月明かりのように神秘的な少女を見て、胸の内がぎゅうっと締め付けられる。
彼は物心ついた時からその少女──孤島の神殿の巫女に、密かに想いを寄せていた。
しかし、ウェルバーと巫女が結ばれる事は無い。
何故なら彼は巫女を守護する騎士であり、その使命故に、どの女性とも結ばれてはならないという掟に縛られていたからである。
「……明日の船で、予言によって呼び寄せられた勇者候補がこの地に集(つど)います。【神聖なる巫女】という存在に過度な期待と憧れを抱いた、名誉と栄光にしか興味の無い男共との共同生活の始まり。いくら予言であるからといって、貴女様がそのような輩と関わらねばならないとは……」
「巫女である私を通じ、女神の力を勇者に授ける為に必要なことだもの。いつもより多少は
だが、それでもウェルバーは幸せだった。
幼い頃から彼女の成長を側で見守り、共にこの孤島で幼馴染のように暮らしてきた。
誰よりも彼女の事を知っている自信もあるし、これから先もずっと守り続けていきたい、この世で最も大切な存在だ。
その立ち位置は誰にも譲りたくはないし、死んでも譲るつもりはない。
けれども巫女の守護騎士は、何があっても巫女との婚姻はおろか、口付けの一つ落とす事すら許されはしないのだ。
──巫女に仕える騎士は、決して巫女を穢してはならない。
この地にまだ神が降りていた頃、神による絶対的な誓約によって定められた、ある種の呪いともいえる強固な規則。
それはウェルバーが彼女の騎士である限り、永遠に破る事の出来ない誓いなのだから。
「エルーレ様……そうは仰いますが、島の外の者達に簡単に心を許してはなりません。万が一にでも、貴女様の身に何かあっては……私はっ……!」
ならばせめて、彼女がその役目を全うし、巫女である必要が無くなるその日まで──どんな脅威からも、どんな男からも守り通すしか道は残されていない。
「もし何かが起きたとしても、貴方やアルシェが居れば大丈夫。今までだって、ずっとそうだったじゃない」
彼女が巫女ではなく、エルーレというただの少女になれる日が来たその暁には、己もその役目を終えられる。
そうすれば、ようやくその瞬間にこの想いを伝える事が出来るのだ。
「勇者候補の中から本物の勇者が現れれば、私は貴方や勇者と共に、この孤島から旅立つ事になるわ。旅が始まれば、こんなに穏やかな時間を過ごす事も少なくなるでしょう。だから……」
彼女は窓の外に広がる海を眺めた後、ウェルバーの方へ振り返る。
「この島に住む私達だけで過ごせる、最後の時間を……心に焼き付けておきたいのよ」
どことなく悲しげに見える少女の微笑み。
ウェルバーはそれに曖昧(あいまい)な笑みで返し、彼女が申し出た散歩の許可を取りに向かう。
長い石造りの神殿の通路に靴音を響かせながら、彼は固く拳を握り締めていた。
******
「……今のは……夢、ですわよね?」
ゴブリン退治を終えた私達は、村への報告を終えた後、マルクルポットへの対応をギルドへお願いすべく二手に分かれた。
一方は、いつ村人の誰かが操られていても止められるよう、村に残る。
そしてもう一方がギルドへ向かい、マルクルポット討伐を村長の代理として依頼しに行ったのだ。
ギルドの方々が来るまで何事も無かったのが幸いでしたわね。周辺の森の状況をウォルグさんから引き継いだギルドの方々は、早速討伐に向けて動いて下さった。
私達はゴブリン退治という今回の目的を達成したので、後は彼らにお願いしてセイガフへと帰って来たのだった。
……そして、数日振りに寮のベッドで眠れたその日の夜、妙に現実味のある夢を見た。
白い髪を持つ巫女の少女と、その少女に告げられぬ恋をする騎士の夢。
まるで私が神の視点から二人を見守っているような、そんな感覚だった。
「おはよう、レティシア。何か夢を見たの?」
部屋の向かい側のベッドから起き上がりながら、ルームメイトのミーチャが目をこする。
「ええ、何だか少し不思議な夢を……」
「どんな夢を見たんです?」
「どこかの孤島の、巫女と騎士が出て来ましたわ。騎士は巫女の事を幼い頃から好いていたようなのですけれど、その恋は簡単には叶わない……そんな夢でしたわね」
「巫女と騎士の禁断の恋!? 燃えますね! 萌えますね!? あぁ~、そういうの良いですねホント! そういうのもっとちょうだい!!」
「朝から突然テンションが上げられるその元気さ、お寝坊さんの二人にも見習ってほしいですわ」
それにしても、何故だかあの夢には引っ掛かる部分があった。
どこかで聞いた事のある話だったような気もするし、何かの本で、ちらりと目にした事があるような……。
「そういえば! ウォルグ先輩とウィルとの事はどうするつもりなんです!?」
「ウォルグさんとウィリアムさんとの事?」
「だからほら! 昨日の夜話してくれたじゃない! 先輩の『見初めた女』発言と、ウィルに告られた話よ! 二人にそんな大胆な告白されて、これからどっちかと恋のパートナーにまで発展するんじゃないかって思うとワクワクがノンストップなんですよ!!」
ミーチャに詰め寄られながら、私は苦笑いでこう答えた。
「え、ええと……。確かに、これから二人とどう接していけば良いのか、悩んでいるのは確かなのですけれど……」
「ウォルグ先輩には見初められ、ウィルには森で改めて想いを告げられて……そんなラブにまみれた状況だからそんな夢を見たんじゃない?」
「それは……言われてみれば、そうかもしれませんわね」
言いながら、私は枕元に置いておいた指輪をはめる。
魔除けの青い石が付いたこの指輪は、特におかしな様子もないので、私物として扱う事に決めた。
……それにしても、本当にこれからどうするべきなのかしら。
ウィリアムさんにも、そして多分ウォルグさんにも告白されて……。二人共すぐに返事が欲しい訳ではないでしょうけど、それでもそのまま放っておいて良い話ではありませんもの。
「二人の事、別に嫌いな訳じゃないんだよね?」
「それは勿論ですわ! でも、彼らへの好意が本当に恋なのかどうか、まだよく分からなくて……」
「ええっ!? もしかしてレティシア、恋をした事が無いとか言わないよね!?」
「そんな事……!」
私だって、あの頃はセグに恋をしていた。
していた……はずだ。
花乙女の中で誰よりも私がセグに相応しい少女で、毎日が彼と私を中心にして回っていた。
私は公爵家の娘で、その私がセグと結ばれるべきなのだと、ずっと昔からそう信じて生きていた。
……でもそれは、本当に恋だと言えるのかしら?
「……どう、だったのかしら」
両親に何度も『王子と結ばれるに相応しい娘となれ』と、その為だけに教育を受けて育ってきた。
私はそれを疑いもせず花乙女となったけれど、これは正しい恋だと言えるのか。
自然と生まれた恋心ではない、『そうであれ』と教え込まれて生まれた恋心。
それは最早、一種の洗脳だったのではないか──そう言われても、強く否定出来る自信が無い。
「私は……本当に彼を好きだったの? 彼を愛していたの……?」
「レティシア……?」
……でも、そんな事をもう気にする必要なんて無いですわよね。
セグはこの国の王子。王子は花乙女としか結ばれない。
花乙女ではない道を選んだ私には、もう無関係の過去の人。
今の私を愛してくれる人を愛せば良い。そういう人に恋をして、愛を育んでいけば良い。
「ごめんなさいミーチャ。ちょっと不安になってしまったけれど、もう大丈夫。昔の私は、それでも幸せだと感じていた。その日々があった事は変わらないもの。それが二度と手の届かない遠い場所にあるとしても、私はそれを覚えている。それだけで……」
「……大人な恋愛してきたんだね、レティシア」
ミーチャが漏らした感想にくすりと笑い、私は腰掛けていたベッドから立ち上がる。
「私が本当に大人でしたら、感情に任せてドレスを着たまま外に飛び出すなんて真似はしませんわよ。私なんてまだまだ子供。立派なレディには程遠いですわ」
カーテンを開ければ、朝日が部屋に差し込んだ。
私はまだ若い。盲目的な恋しかした事がないお子様だ。
「さあミーチャ、身支度を整えましょう! 知的で無敵なレディになる為に、一分一秒だって無駄に出来ませんわ!」
「はい!」
「今日は朝食を終えたら魔法の特訓! 午後は図書館で調べ物! 三時のティータイムはウォルグさん特製パウンドケーキですわよ!!」
「レディの午後には優雅なティータイムが付き物だもんね! よーし、じゃあ私は元気で無敵なレディ目指して頑張るぞー!」
だから私は、次こそはもっと素敵な恋がしたい。
そんな恋をするに相応しいレディになる為に。私を愛してくれる殿方に相応しい少女になる為に。
そして何より、私が幸せになる為に──!
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