第2話 不吉の予兆
休日の午後の図書館は、とても穏やかで静かだった。
そもそもこのセイガフには武闘派の生徒が多いというせいもあるのだろうけれど、国立魔法学院の図書館と比べると、圧倒的に人が少ないのだ。
魔法の研究や、専門的な知識を自分のペースで学びたいと思う生徒が少ないのかもしれない。授業だけでも一般的な知識ならば充分に学べるのだから、それでも構わないのだろう。
私はというと、ミーチャと離れた場所にある本棚の一角に足を運んでいた。
「歴史書はこのあたりですわね」
武術について調べてみたい、という彼女は早速何冊か手に取ってテーブルで読み始めていた。ミーチャらしい選択だ。
対して私は、この世界にある様々な国の歴史について書かれた本を探している。
気になって手にしたタイトルは、『女神の
今朝見た夢がやけに気になって、ずっと落ち着かなかった。
古い本ではあるけれど、中をめくってみるとそこまで劣化はしていないようだった。劣化防止の魔法を掛けてあるのだろう。
もう何冊か似たような内容のものを抱えて、ミーチャの目の前の席に着く。
「どうですミーチャ。良い本は見付かりまして?」
「かっこよくて強い武術を探してるんだけど、この他の国の武術について書かれた本を見付けたのね。でも、真似してみたくても出来なさそうで、ちょっとがっかりしちゃったかな」
残念そうな顔で返答したミーチャ。
彼女の運動神経を持ってしても真似出来ないとは、どれほど高度な武術なのだろうか。
「ほら、ここのページ見て。獣人族のみが持つ特殊な魔力によって、超人的な身体能力を発揮してはじめて使用出来る、特別な武術。これ、ただの人間のあたしには出来ない気がするじゃない?」
「獣人とのハーフならまだしも、これは本当に真似出来そうにはありませんわね……」
「だよねー……。かっこよさそうなのになぁ」
獣人族といえば、様々な獣や鳥類の特徴を持った容姿の人種である。
似たような種族に魚人族というのも居るのだけれど、それは割愛しておこう。
この国でも有名な獣人だと、獣人が多く住む獣王国ガルフェリアのタルガランド国王陛下や、大きな討伐ギルドのマスターであるバルスラーという方が挙げられる。
バルスラーは虎の獣人だそうで、十年程前に巨大なドラゴンが遠くの街を襲った際、圧倒的な強さでそれを打ち倒した話が一番のエピソードだったはずだ。
きっと彼もその武術の使い手なのだろう。獣人には魔法の扱いが苦手な人が多いそうだから、その分武術と武器製作が盛んに発展してきたに違いない。火山や鉱脈もある国だから、鉱石も豊富だものね。
「まあ、もうちょっと色々探してみるよ」
「そうですわね。きっと貴女にも挑戦出来るものがまだあるはずですもの」
「レティシアも調べ物頑張ってね! あたしもまだ粘るから!」
「ええ」
まずは先程持って来た本に目を通す。
『女神の神託、その巫女と勇者について』
この本には、千年前の伝説に登場する実在した人物らに関する調査や逸話、研究者の考察が書かれているらしい。
驚いた事に、私が見た夢で見た通り、巫女とその騎士達が暮らす島が存在するようだった。
巫女の名前は、エルーレ。
女神シャルヴレアに力を授けられた少女は、女神からの神託を受け、その力を勇者に分け与え──強大な魔族の軍勢と戦った。
……夢で聞いたものと、同じ名前。
あの夢は、過去の出来事だったのかしら。
だとしたら、本当に魔族というものは実在していたというの……?
魔物は確かに存在している。今日もどこかで人々を脅かし、穏やかな生活を荒らし、時には命を奪う魔物。
それらの上位にあるという魔族が、千年前にはまだこの世界に居た。
巫女エルーレと勇者の手によって、何らかの形で消されたそうだ。
消された、という部分が具体的には記されていない。
調べてみてもその方法は残っておらず、結果として魔族全てを滅ぼしたのかどうかも、定かではないらしい。
しかし、千年経った今でも魔族を見たという報告は出ていない。プラスに考えれば、巫女達が見事魔族を滅ぼしたからだと言える。
けれども、そうでなかった場合が怖い。
今もどこかで人類を襲うべく、力を蓄えている生き残りが居るとしたら……。
千年前のエルーレを最後に、巫女という存在は潰えた。
もしも実際に魔族が出て来たとしたら、女神の力を持たない今の人類に太刀打ち出来るのだろうか?
……私の考えすぎである事を願いたいわね。
この伝説についてなんて調べた事も無ければ、選択授業で習った事も無い巫女伝説。
これが最悪の結末に向けて動く『生きた伝説』だとしたら、私達はどうしたら良いのだろう。
他の本を調べてみても、魔族がどうなったのかは分からずじまいだった。
「──シア──……レティシア、どうかしたのかい?」
名前を呼ばれた瞬間、私はハッとした。
いつの間にか中庭に居た。無意識のうちにここまで歩いて来ていたのだろう。
ついさっきまで図書館に居たはずなのだけれど、目の前には心配そうに私の顔を覗き込むケントさんの姿がある。私は咄嗟に返事をした。
「ああ、ええと、すみませんケントさん。私、どうやら考え事をしていたせいか、今の今まで色々と気が付いていなくて……」
知らない間に三時になっていたらしい。
中庭にはいつものお茶会のメンバー──私、ミーチャ、ケントさん、ウォルグさん、そしてリアンさんとウィリアムさんが集まっていた。
普段のようにウォルグ手製のお菓子──今日はパウンドケーキが小皿に切り分けられ、実は紅茶好きだったというリアンさんが選んでくれた紅茶が淹れられている。
「おいおい、何か悩みでもあんなら何でも相談しろよ。極上の美少女様に、そんな暗い顔は似合わねぇからさ」
真っ先にそう答えてくれたウィリアムさん。
リアンさんとケントさんもそれに続く。
「ウィルの言う通りだよ! これだけの人数が揃ってるんだし、何でも言って良いんだぜ?」
「勿論僕だって、頼りにしてほしいな」
「誰か気に入らない奴でも居るのなら、俺がすぐにでもシメに行く。さあ、誰なんだ? お前に不快な思いをさせた相手は」
「い、いいえ! そういうお話ではなく……!」
急に物騒な事を言い出したウォルグさんを必死で止めると、隣に座っていたミーチャがビシッと手を挙げた。
「ねえねえ! もしかして、さっき本で調べてた事が気になってるんじゃない?」
「え、ええ……驚きましたわ。どうしてそうだと思いましたの?」
私が誰かに何かされたのではない、と理解したウォルグさんはひとまず落ち着いてくれた。
「だってね、レティシアったら図書館から中庭に来るまでずっと上の空だったんだもん! あたしが何か話し掛けても、『ええ』とか『そうですわね』とかしか返事してくれなかったのよ。だからきっと、何か引っ掛かる事でもあったんだろうなぁって思ったワケ!」
「私、そんなに分かりやすかったかしら……」
「ミーチャでも分かるなら、ここに居る全員が気付いてもおかしくない。俺も図書館から行動していれば、すぐに違和感を覚えたはずだろう」
「あ、ウォルグ先輩ったらあたしの事バカにしてますね!?」
「……受け取り方はお前の自由だ」
「ひっどーい! バカでも分かるなら俺でも分かるって言いたいんですよねそれ!」
「さあ、どうだかな。お前の勝手な被害妄想だとは思わないのか?」
最初の頃に比べると、ウォルグさんの雰囲気も随分柔らかくなったと思う。
それだけ私達の距離が縮まったという意味なのだろう。あまり表情を崩さない彼が、小さく笑っている。
すると、ケントもそれに気付いたらしい。
私達はアイコンタクトを取って、互いに笑みを零した。
「なーんか良い匂いがするなぁ」
聞き慣れない声が、私達の笑い声に混ざった。
「あ、それってパウンドケーキだよね? ちょっと小腹が空いちゃったから、一切れ分けてよ」
その声の主は、黒髪の小柄な少年──とは言っても、身に付けているネクタイは水色だったので年上なのだろう。
彼は何の躊躇いも無く私達のテーブルに歩み寄って来た。
「お前に食わせる菓子は無い。失せろ」
「おやおや、これが噂に聞く鉄仮面のハーフエルフのお手製お菓子だったワケ?」
「……言い残す事はそれで充分だな?」
彼の口からとんでもない爆弾発言が飛び出し、肝が冷えた。
ウォルグさんは魔力を高め臨戦態勢をとろうとするも、ケントさんに制止される。
「くだらない口喧嘩から流血沙汰になるのは勘弁してくれ、ウォルグ。それにルークもルークだ。彼を侮辱するような発言は金輪際控えてもらいたいな」
ルークと呼ばれた少年は、にやりと笑いながらうやうやしく頭を下げた。
……とは言っても、わざとらしい大袈裟な動きである。
「まことに申し訳ございませんでしたー! ……っと。これで良いよね?」
「はぁー……まあ、君の最大限の謝罪なんだろうね。これ以上言っても仕方が無いだろうから諦めるけれど、また何かあったら今度は僕も本気で怒るから、よく覚えておくように」
「はいはい、出来るだけ覚えておくよ」
「……二度目は無いぞ」
同じ学年だから面識があるのだろうけれど、彼が現れた途端に空気が荒れた。
しかし、その空気を入れ替えるような明るい声音が飛び出す。
「ルーク先輩、ホントに反省してないだろー! 他の人に嫌な思いをさせるのは悪い事なんだぞ!」
「リアンさん、彼とお知り合い……なんですの?」
私がそう問えば、彼は苦笑が混じりつつ説明してくれた。
「あー、うん。一応、あの人がオレのパートナーなんだよね。そういえばまだ誰にも紹介してなかったな」
「そうそう。ボクらはパートナーであると同時に、主従関係を結んでるんだ。勿論、ボクがご主人様ね?」
「だからそれは嫌だって言ったじゃんかよ!」
「素直じゃないんだから」
リアンさんのパートナーがギリギリで決まったのは知っていたけれど、まさかこんな……個性的な方だったとは。
「まあそれはどうでも良いとして」
「どうでも良いのかよ!」
「ボク、君らを呼びに来てたんだよね。ヘンリー先生からの緊急招集」
ヘンリー先生といえば、魔物討伐授業の説明で講堂で話していた、水色の髪が涼やかな人だったはずだ。
ルークさんは私達を見回す。
「ええと、呼ばれてるのはボクとリアンと、それからウォルグにレティシア……だったはずだ。うん」
「曖昧ですのね……」
「いや、丁度四人だったはずだから間違ってはいないと思う。で、この四人に至急頼みたい事があるんだってさ。じゃ、ボクについて来て」
「え、ちょっと待ってよ先輩! まだレティシアの相談に乗ってないんだけど……」
一人で歩き出していたルークさんが、彼の声に立ち止まる。
「相談、か」
するとルークさんは、突然私の目の前に駆け寄って来た。
思わず声を上げてしまいそうな程に近付けられた顔は、子猫のように愛らしくもあり、小悪魔のように悪戯な表情にも見える。
「じゃあついでだ。そのお悩み、このルーク様が解決してあげようじゃないか!」
高らかにそう宣言した彼は、私の手を取って楽しそうに歩き出した。
「ええっ!? ど、どちらに向かうんですの?」
「ついて来れば分かるって。さ、行こ行こー」
「ちょっと先輩! 先輩が相談相手なんて不安しかないからやめた方が良いって!!」
「おい待て泥棒猫! レティシアにその穢らわしい手で触れるな!」
「そうだそうだー! 美少女を独り占めなんて羨ま……許さねぇぞこの野郎ー!」
「あはは……大変な人がパートナーになってしまったんだね、リアン。可哀想に……」
「新たなライバル出現!? これはテンション爆上げですねぇ!」
ああ、私の分のパウンドケーキが遠のいて……ではありませんわ。
ヘンリー先生の呼び出しが何なのか分かりませんけれど、折角皆さんに魔族について何かお話が出来る機会でしたのに!
他人の都合なんて微塵も考えていないであろうルークさんに溜め息を吐き、私は彼に手を引かれ続けるのだった。
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