第10話 見苦しいラストデイ

 10見苦しいラストデイ




『あんた、やっぱブスだわ』

 山村から聞いた2度目のブスは、顔のことを言っているわけではないのだとは理解している。

 私の外見はもう不細工ではないし、山村も私が美しいことを認めている。

 彼の言った『ブス』は性格のことを指しているのだろう。

 顔は直せても、性格は直せない。

 そもそもブスだブスだと虐げられて育ってきたこの私が、性格美人に育つわけがない。

 顔だけでも美しくなることができたのだから、今後は存分に調子に乗って生きていきたい。


 私は性格ブスだけど、文句ある?

 そう開き直っていたけれど、山村にそれを指摘された時、私はなぜか傷ついた。

 しかし私は思うのだ。

 あんたの方がよっぽど酷い性格してるつーの!




 電話で一通りのことを話し終えると、あかりからこんな言葉が返ってきた。

『自業自得じゃん』

 友達なら少しくらい私を心配するような言葉をくれるんじゃないかと期待したけれど、あかりはやはりあかりだった。

「ですよねぇ」

 彼女の言うことは正しい。私たちのしていたことは責められるべきことである。

 しかも新田主任が、個人的な感情で山村を恐喝した。

 山村がその気になれば、事態は極めて深刻になる。

『嘘でも山村くんに私も好きよって言えば、味方してくれたんじゃないの?』

 そうかもしれない。でも。

「死んでもそんなこと言いたくないもん」

 あかりはため息をついた。

『真咲らしくない』

「どこが?」

『あんた、キープするのとか得意じゃん。いいように言いくるめて、いくらでも都合よく利用できたんじゃないの?』

 もしこれが山村以外の男であれば、いくらでも騙せていただろう。

 でも。

「あいつにはそういうの無理……」


 再会してからずっと嫌な態度をとってきた。

 彼が私に興味を示してからも、可愛い女を演じたりしなかった。

 今さら可愛い子ぶるのは不自然だし、彼だって気持ち悪がるだろう。

『本当はどう思ってんの? 山村くんのこと』

「どうって……別に」

『好き?』

「好きじゃない」

『じゃあ、嫌い?』

「嫌いでもないけど」

『前は嫌いだって言ってたのに』

「やっぱ嫌い。またブスって言われたし」

 嫌い、嫌い、大嫌い。

 山村なんて、消えてなくなっちゃえばいいのに。

 そうしたらきっと元の心穏やかな生活に戻れるはずだ。

『真咲って、意外とわかりやすいのね』

「え? 何が?」

『好きな子を必死で隠そうとする小学生みたい』

「好きじゃないって言ってんじゃん!」

 自分で言って、ハッとする。

 あかりはこういうところを言っているのだ。


『認めたくないのね。自分にまで嘘つかなくてもいいんじゃないの?』

 あかりの言葉にギクッとした。

 かつて淡い恋心をズタズタに切り裂かれたというのに、大人になってまで好きになってしまったら、“所詮私は山村に敵わない女なのだ”と証明しているようで認めたくない。

 私は、山村を含む私をブスだと笑った奴等を下に見たくて頑張ってきた。

 惚れたら負けだ。

「そんなことよりあかりこそ、拓馬くんとはどうなの?」

 あかりは『話を逸らすな』と不満を漏らしたが、『何とか家族だけでの海外婚の方向に持っていけそうだ』と嬉しそうに語ってくれた。

 無事に結婚できそうでよかった。

 あかりのウェディングドレス姿を生で見たい気持ちもあるけれど、家族だけでということなら仕方がない。

 写真をたくさん見せてもらうことにしよう。

 ドレス、似合うだろうな。

 私も一度くらい着てみたい。

 けれど私は誰とも結婚するつもりがないから、一生縁がないだろう。




 8月に突入。

 記録的な暑さにうんざりしながら働いているが、新人の小柳は若いからか、誰よりも元気である。

「俺、連休に大学のサークルのメンバーで集まるんですよ。海に行ってバーベキューしたり、温泉行ったり。どれだけ真っ黒に日焼けするか、楽しみにしといてくださいね!」

 まだまだ学生並みにアクティブな小柳だが、最近ようやく社会人らしい言葉遣いができるようになってきた。

 配属したての頃は「○○っす」を口癖のように繰り返しては新田主任に怒られていたが、教育の賜物だ。

「弦川さんは連休中、何するんですか?」

「特に予定は決めてないよ。久しぶりに実家にでも帰ろうかな」

 ここで“彼氏と旅行の予定だよ”と言ってみたかったけれど、舟木と別れてしまったことによってなくなってしまった。

 私の回答に、小柳が目を輝かせる。

「予定がないなら、一日俺にくれません?」

「サークルのメンバーと遊ぶんじゃなかったの?」

「連休全部ってわけじゃないですから。15日は空いてるんですよ」

「ごめんなさい。その日だけは予定があるの」

 というのは体のいい嘘である。

 可愛い後輩ではあるが男性としての小柳には興味がないし、また何があるかわからないから、社内の人間とプレイベートな関係を持つのは避けたい。


「あらあら、若い子は楽しそうねぇ」

 私たちの会話に、堀口さんが割り込む。

 山村とくっつきそうな私を小柳の魔の手から救うため、とでも思っているのだろうが、今は都合がいいので甘えることにする。

「堀口さんはご家族で何か予定があるんですか?」

 私が話を振ると、彼女はうんざりしたようにため息をついた。

「うちは上の子が受験生で夏休みも毎日学校の補習だし、下の子は部活だから毎朝5時起きで弁当作り。おまけに旦那も休みだからお昼も作らなくちゃ。会社が休みってだけで、私は休めないわね」

 母親って、本当に大変なんだなぁ。

 子供たちと夫、そして飼っている犬の世話までやっている。

 今日だってきっと朝5時に起きて弁当を作り、掃除や洗濯をしてから会社に来たのだろう。

 もちろん生活のスタイルは家庭によるのだろうけれど、うちも家のことは母が何でもやってくれていた。

 私に同じことができる気がしない。

 やっぱり結婚なんてしたくないし子供なんていらない。

 私の遺伝子を持って生まれる子供が可哀想だ。


 堀口さんの話に、小柳が敬服してうなった。

「ほんと頭が上がらないですね。俺も母ちゃんに弁当作ってもらってたけど、当時は文句ばっか言ってました。たけど今、すごくありがたみがわかります」

「でしょう? 15日はお母さんに孝行してあげなさい」

「ははは、そうします」

 私も、母に毎日弁当を作ってもらっていた。

 いつも彩りが少ないとか文句言っていたけれど、今考えると本当にありがたいことだ。

 やっぱり、今年は久しぶりに実家に帰ろう。

「そういえば新田主任は家族で沖縄だって言ってたわね」

 堀口さんの口から彼の名が出て、密かにギクッとする。

 山村の録音を聴いて1週間と少し。

 新田主任と山村が揉めた、というような話は特に聞いていないが、嫌な予感だけはずっとしている。

「沖縄かぁ。俺行ったことないです」

「私も若い頃に一度行ったきり。羨ましいわねぇ」


 二人が暢気な会話を繰り広げていると、営業所の扉が開いた。

 来客ではなく、古田所長が出先から帰ってきたようだ。

「所長。お帰りなさい」

「ああ、ただいま」

 重く神妙な顔をしている。

 普段は締まりのない顔をしていることが多いのに、先日から眉間にしわを寄せばかりだ。

「内部監査の資料、準備できてますから印鑑くださいね」

 所長は私の言葉には返事をせずに尋ねる。

「新田は?」

 彼の名に、ふたたび私の胸が跳ねる。

「外出しています。店舗を3つ回ってくるとおっしゃってました」

「そうか。それじゃ戻るのは夕方だね」

「そのくらいになるのではないかと」

 古田所長は深くため息をつきながら席に座り、かばんからノートPCを取り出した。それを開いて少しだけ操作し、ふたたび私を見る。

「オリエンタル・オンの山村くん、今日ここに来た?」

 聞きたくない名前だ。新田主任の名の後には、特に。

「いいえ。今日はいらっしゃってませんよ」

 胸騒ぎがして自分の呼吸が浅くなっているのがわかる。

「もし来たら、捕まえといてくれない?」

 それは、なぜ? 彼に何か聞いたのですか?

 そうとは聞けないので、私はただ「わかりました」と笑顔で返す。

 所長はカバンから煙草の箱とライターを取り、疲れた顔で喫煙スペースへと去って行った。


 まだ見えていないが、おそらく山村は水面下で動いている。

 私にもアクションがあるだろうことは覚悟しているが、一体いつ、どんな形で巻き込まれるか、想像もつかない。

 緊張で手を握りしめてしまい、グラスで切った治りかけの傷が鈍く痛んだ。

 あれ以来、山村には一度も会っていない。

 営業所にも来ていないし、いつものコンビニで出くわしてもいない。

 仕事のことで他の所員が彼と電話をしているのを聞くから、生きているということだけは確かだ。

 山村があの録音を使って動き出す前に、こちらも策を練っておく必要がある。

 新田主任と話をしておかねばならない。

 会社のメールだと証拠が残るし、携帯にかけたりメールしたりすれば彼の妻に勘付かれる可能性がある。

 今まで通り、リスクは最小限に。

 会社で仕事にかこつけ、直接話すのが最もローリスクだ。

 そう思ってタイミングを図っているのだが、ここ一週間、主任が外出ばかりしていてなかなか捕まらなかった。

 このままでは丸腰のまま山村を迎え撃つことになってしまう。


 私は今日こそ彼と話がしたくて、終業時刻を過ぎて帰社した新田主任を待ち、すかさず声をかけた。

「主任、お帰りなさい。明日の商談で使う契約書のことで質問があるんですけど、今お時間いいですか?」

 私はちゃんと明日新田主任が使う予定の契約書を手に取り、それを見せながら声をかけた。怪しむ者は誰もいない。

「ああ、大丈夫だよ。荷物だけ置かせて」

「わかりました。先にミーティングルームで待っています」

 呼び出しはナチュラルに成功した。


 私は先にミーティングルームに入り、準備を進める。

 仕事の話もする予定だが、本題はもっと大事なことなのだ。

 まずは念のため、盗撮や盗聴をされていないかをチェック。

 テーブルや椅子、ホワイトボードの裏にカメラや盗聴器がないかを確認する。

 床に這いつくばって探していると、ノック音がした。

 間もなく新田主任が入室。私は四つん這いの姿勢で彼を迎える。

「え、何してんの?」

「ちょっと安全確認を」

「安全確認?」

「ええ。その理由は今から話します」

 主任は苦笑いを浮かべ、私が書類をセットした席に腰を下ろした。

 私も体を起こし、着席する。

「主任。単刀直入にうかがいます」

「何だよ、堅苦しいな」

「いいから聞いてください」

「わかったよ」

「主任。オリエンタル・オンの山村さんに、私とのことがバレましたね?」


 彼の眉が、ピクリと動く。

「山村くんに、何か聞いたの?」

「はい。大体のことは」

 私がそう答えると、主任は顔を歪めて舌を打ち、背もたれに体を預けた。

「真咲には近づくなって、言っておいたのに」

 私たちは関係をやめたのに、なぜそんなことを言ったの?

 尋ねたいけれど、今は優先的に進めるべき話が他にある。

「しかも、私についての無茶な条件を付けて取引しようとしたそうですね。どうしてそんなことしたんですか?」

 あえて他人行儀な言葉を使った。

 情に流されたりしないよう、あくまで後輩というスタンスを貫くために。

「無茶な条件って何? 俺は何もしてないよ」

 主任はそう言って、白々しく笑った。

 愕然とした。彼は私に嘘をついている。


 私は軽く深呼吸をして、背筋を伸ばし、言いにくいことを言うための姿勢を整えた。

「……あまり下手なことを言わないほうがいいですよ」

「え?」

「お二人の会話、聞きました」

「聞いた?」

 新田主任の表情が曇る。

「山村さんはこれまでの商談や会話を、ボイスレコーダーに録音しています」

 主任は目を丸くしてこちらに身を乗り出した。

「はあっ? 録音?」

「はい。私が聞かせてもらったのは、その一部です」

「一部……ね」

 彼は乗り出していた体を、ゆっくりと背もたれに戻した。

「主任との関係は否定しておきました。聞いた限り、決定的な証拠にはならないと思ったので」

「……そう」


 山村は最初から彼をマークしていた。何か理由があるはずだ。

「どうして彼にあんな取引を持ちかけたんですか?」

 眉目秀麗で頭脳明晰、営業成績も常にトップの新田主任があんな取引を持ちかけたなんて、本当は今でも信じられない。

 主任はしばらく答えずに、「うーん」とうなり頭を掻いて、まぶたの上から目を揉んだ。

 私が別の質問を投げかけるのを待っているのだろうが、私が背筋を伸ばしたまま彼を見つめ続けると、しぶしぶ口を開いた。

「……真咲をあいつに取られたくなかった。真咲の好きな男って、あいつだろ?」

 彼は関係を終わらせた時に私が「好きな人がいる」と言ったのを、山村のことだと思っていたようだ。

「違います。私が好きになったのは別の人。付き合っても上手くいかなくて、すぐに別れてしまいましたけど」


 私がそう言うと、彼は表情を明るくした。

「それじゃあ、俺のところに戻っておいでよ」

 このタイミングでよくそんなことが言えたものだと、逆に感心する。

 私の居場所なんてラブホテルにしか用意できないくせに、戻ってこいだなんて無責任極まりない。

 あんなにカッコよく見えていた新田洋輔が、とても小さな人間に見える。

 私が今までたっぷり得てきた“妻がいても手を出したくなるほどのイイ女であると実感できる優越感”は、もう二度と得られそうにない。

 私は今まで彼を過大評価していたのだと、初めて認識した。

 もはや彼は信用できない。


 そうなると、事態はますます深刻である。

「戻るわけないでしょ? バレてるんだよ? 主任どうしちゃったの? しっかりしてよ」

 私が責めると彼は再びしゅんとして黙ってしまった。打たれ弱いにもほどがある。

 これが社内でも有数の実績を誇る営業の鬼なのだろうか。

 その風格と威厳が、見事に崩壊している。

「オリオンに弱味握られたままでいいの? 疑惑を晴らしてあいつを返り討ちにしなきゃ、こっちがやられるんだよ?」

 やられてしまったら、私も主任も、奥さんも子供も不幸になる。

 私たちは戦わねばならない。

「そうだな」

「とにかく、今後私との関係は一切におわさないこと」

「わかってるよ」

「追及されても認めないこと」

「うん。今後は細心の注意を払う。約束するよ」

 今後の自分の業績に関わるのだから、きっとこれ以上下手には振る舞うことはないだろう。

 彼には失望させられっぱなしだけれど、話ができたことで少しだけ安心できた。


 わずかな期間だが、舟木と付き合ってみて、ひとつわかったことがある。

 笑える話だが、新田主任はセックスが下手だ。

 独りよがりで相手を喜ばせることを知らない。

 彼しか男を知らず比較対象がなかった私は、愚かなことに彼から得られる快感を最高値だと思っていた。

 だけど舟木がくれた快感は私の経験と想像を遥かに超えるもので、私はイイ女を演じるのに苦労するほど乱されてしまったのだ。

 どうしてこんなに感じてしまうのかと口に出したことがあるのだが、舟木は嬉しそうに笑い、特別なことは何もしていないと言った。

 本当はこれほどの恍惚感を伴う行為だということを、私は初めて知ったのだ。

 私はもう、新田主任に体を委ねるなど考えられない。

 たとえ彼が独身だったとしても。

 私との関係に優越感を得ていたのは彼も同じだったのかもしれない。

 妻子がいても若い女を喜ばせることができる男だという、勘違いで。


 今、私には新たな好奇心が芽生えている。

 比較対象を得たことで、他の男たちにも興味が湧いてきたのだ。

“お前みたいな女いらねーし!”とのたまったあの男、ストーカーの原口、誕生日以来一度しか会っていない久本、舟木と付き合うことになって関係を切ったメンズたち。

 そして、私を好きだともブスだとも言った山村。

 彼らはどんな風に私を抱くのだろう。

 こんなことを考えていると自分がとてもふしだらな女のようだけれど、新田主任に操を立てていたことを思うと、彼らとの進展を拒んだことで損をしたような気がするのだ。


 普通に誠実な恋愛をしてみたい。

 燃えるように恋をして、残り火を守るように愛し合ってみたい。

 いつか家庭を持ちたいとまでは思わないが、もし普通で誠実な恋愛が私にとって幸福なものであったら、あかりのように、結婚しようという気になるかもしれない。


 新田主任とは作戦会議をするつもりだったけれど、結局私が一方的に言動を指図するだけだった。

「話がまとまったところで、本当の仕事の話をしましょう」

「ああ」

 そしてこの日を最後に、新田洋輔と会うことは二度となかった。




 翌日の朝礼で、古田所長が冷然と告げた。

「突然のことで驚くだろうが、ワケあって新田が辞めた」

 所内は騒然として、質問が飛び交う。

「ワケって何ですか?」

「どうして突然なんですか?」

「俺たち何も聞いてないですよ!」

 当然ではあるが、みんな動揺している。

 ただし、所員の中でもっとも動揺しているのは私で間違いないだろう。

 まるで谷底へ突き落とされたようなショックと絶望で、声すら出ない。

 昨日ミーティングルームで話し合った時、彼は退職について何も言わなかった。

 辞める素振りなど、まったくなかったのだ。

 ……本当になかっただろうか?

 弱々しく頼りなく、そしてどこか上の空。

 予想外の展開にビビって弱っているだけかと思っていたけれど、あの時にはもう戦うことを諦めていたようにも思える。

 新田主任は、社会的制裁を受ける前に、私を捨てて逃げたのだ。

「とりあえず、当面の新田の仕事は俺が引き継ぐ。全部は無理だから割り振る分もあるけど、そこはよろしく頼む」

 あの古田所長が頼もしく見える。

 ずっと新田主任がやっていたから、こうして彼が営業所を仕切っているのを見るのは初めてだ。


 ランチタイムが終わり、午後の業務を開始した頃だった。

「弦川さん。忙しいところ恐縮なんだが、これからすぐ本社まで付き合ってくれないかな」

 古田所長がやけに真面目な顔でそう言った。

 このタイミングだ。新田主任のことで話を聞かれるのだろう。

 所長はもう、私たちのことを耳にしている可能性が高い。

「わかりました。何かあったんですか?」

 我ながら白々しいが、必要なリアクションだ。

 所長はただ淡々と「ちょっとね。説明は後でする」と告げ、さっさと自分の荷物を持って営業所を出て行った。

 私は制服を身に着けたままバッグを持って所長を追い、彼の社用車の助手席へと乗り込んだ。

 発車してしばらくは、どちらも口を開かなかった。

 沈黙を破ったのは、緊張で落ち着かない私の方だった。


「主任、どうして辞めたんですか?」

 所長はハンドルを握りしっかり前を向いたまま答える。

「逃げたんだよ」

 やっぱり。

 舌を打ちたくなるのを堪え、私は白々しい演技を続ける。

「逃げたって……何からですか?」

 所長はすぐには答えてくれず、しばらく重い沈黙に堪えた。

「責任から、かな」

 聞きたいことはたくさんある。

 私が関係してるんですか? 山村が何か言ってきたんですか?

 オリエンタル・オンとイズミ商事には何かあったんですか?

 だけど私が自分から尋ねるわけにはいかない。

 まだ何の情報も与えられていないのだから。


 ややあって、所長がゆっくり語り始める。

「新田に仕事を教えたのは俺だったんだ」

「そう聞いてます」

 しかし私は、あまり信じていなかった。

 所内でリーダーシップを取るのは常に新田主任だったし、古田所長に“仕事ができる”というイメージもない。

 失礼ながら、所長より新田主任の方が格上のように思っていたのは事実だ。

「新田はああ見えてかなり小心者でな。自信が持てないようだったから、取引を有利に進めるコツを色々教えたんだよ。世の中そんなに甘くないし、バカ正直にやっても儲からない。不利な状況に陥ったときに使えるカードをストックしておいて、いざという時に使う技を仕込んだ」

「カード……ですか」

 山村に聞かせてもらった会話でも、カードという言葉が使われていた。

「端的に言えば、相手の弱味ってことだよ」

「でもそれって、表立っては使えない反則技ですよね?」

「ああ。使い方を誤れば倍になって跳ね返る。このご時世では特にな」


 あの録音を聞く限り、新田主任は山村に対し、メーカーの弱味をつつくことで彼に私を諦めさせようとしていた。

 ビジネスをカードにして、プライベートの取引を持ちかけていたのだ。

「つまり新田主任は……」

「そう。カードの使い方を誤った」

 所長の話しぶりで、予感が確信に変わる。

 山村が本当に動いたのだ。

「カードを出すときは、契約書にサインするときと同じくらい慎重にならなければならない。内容によっては信用を失うし、頻繁だと相手が取引する気をなくしてしまう可能性もある。加減が重要なんだ。あいつはここ数年うまくやってたようだから、調子に乗ったのかもしれないな。カードを使うという反則技を、もはや当たり前のように使うようになっていた」

 取引先の人たちは、新田主任だけにはやけにペコペコしていた。

 私はそれを、新田主任の人望のように思っていたけれど、もしかしたら彼らは新田主任の機嫌を損ないカードを出されることを恐れていただけかもしれない。

「そしてそのせいで、倍返しを受けているということですか?」

「ああ。相手は初めから新田を潰す気だった。その分用意周到で、刺し違える覚悟もあった。一枚上手だったんだ。新田は敵わないことを悟って、潰される前に逃げた」


 呼吸も楽にできないくらい、車内の空気が重い。

 固有名詞は出していないが、所長は私がおおかたの事情を承知しているのをわかったうえで話している。

 私の白々しい演技はおそらく無意味だった。

「本社に私を同伴させたのはなぜです?」

「大事な話をするためだよ」

「そうですか。そう言われると、何だか怖いですね」

 私は笑顔を向けたけれど、所長から笑顔が返ってくることはない。

「そうだね」

 所長がそう言うのだから間違いないだろう。

 これから本当に怖いことが起きるのだ。


 株式会社イズミ商事の本社は自社ビルではなく、新宿のとある高層ビルの中にテナントで入っている。

 ここに来るのは就活の時を含めて4回目だ。馴染みがなくて歩きづらい。

 本社に入るなり、所長は顔パスで入り口すぐの部屋に通された。

 私は社員証を提示し、彼の後を追う。

 面接の時に入った覚えのある部屋だった。所長と二人並んで座る。

 間もなく中年の男性が二人入ってきた。

 我々が担当している業務の最高責任者である常務と、社員の進退を決定する権利を持つ人事部長だ。

 私と所長は立ち上がり、一礼した。

「わざわざご苦労だったね」

「恐れ入ります」

 結構な重役が二人も出てきた。思ったより事態は大事になっているのだとわかる。


「弦川真咲さんだね」

「はい。お久しぶりです」

 恭しく頭を下げ、にこりと笑顔を見せておく。

 追及される覚悟はもうできているが、無様に怯みたくはない。

 私に倣ってか、人事部長も不気味な笑みを浮かべて問う。

「新田くんのことは聞いたかな?」

「はい。急に退社されたと」

「退社の理由は?」

「いいえ、具体的には何も」

 ここで少し、間が空いた。

 常務と人事部長が、古田所長とアイコンタクトを取る。

 古田所長を頼りにするつもりはなかったけれど、彼は今回の件に関して、私の味方ではないようだ。

 入社以来ずっと関わってきた人だからこそ、残念でならない。

「……とりあえず、座ろうか」

「ありがとうございます。失礼します」


 6人がけのテーブルに、2−2の対面で着席した。

 覚悟はしているが、いざとなるとやっぱり怖い。

 だけど私は戦うしかないのだ。守ってくれる人など、誰もいないのだから。

「こんなこと、会社としては本来聞くべきではないのだけど。事情があって事実確認をしたいから、正直に答えてほしい」

 常務の語り口は優しい。

 しかし私は嘘つきだ。本当のことなど、誰が話すもんか。

「新田くんと付き合っていたの?」

「えっ? まさか。主任には奥さまがいらっしゃるのに、付き合うだなんてありえません」

 まるで条件反射で声を出してしまったような驚きと、馬鹿馬鹿しい質問に呆れる気持ちを込めて答える。

 私の演技は完璧だった。しかし彼らは冷ややかな表情で私を吟味している。

「誤解だったかな」

「もちろんです」

 認めるもんか。主任が会社を去った今となっては、私の思ったように話を作り出せる。

「それじゃあ、これを説明してくれるかな」


 人事部長が持ってきた封筒の中から、四角い何かを取り出した。

 テーブルの上に差し出してきたのは、一枚のCDだった。

「何ですか、これは」

 そう尋ねたが、想像はついている。

 これにはおそらく、山村がボイスレコーダーで録音していた音声データが入っている。

 人事部長は持ってきたノートPCにディスクをセットした。

 簡単に操作すると、音声が再生される。

 先日山村に聞かされた会話だ。


 しかし、私が聞いていない、あの続きも収録されていた。


 ◆◆◆


 ……彼女に訴えさせたければ好きにすればいいですよ。その代わり、僕はあなたを全力で追い込んで、この業界から追い出します。あなたが高田さんにしたようにね。

 何だって?

 僕の前任の高田です。あなたに精神的に追い込まれたせいで心を患った、尊敬する僕の上司です。

 覚えていないとは言わせない。

 患ったって、そんな大袈裟な。それに業界から追い出すだなんて、君なんかにできるはずがない。

 できますよ。本当は高田さんがあなたのせいで病んでしまったという証拠をじっくり集めて突きつけるつもりだったんですけど、正直苦戦してたんです。でも先ほど新田さんが思わぬところでボロを出してくれたので、案外楽にいけるかもしれないと、今は思っています。

 ボロ? 俺が?

 弦川さんとのことです。

 ハッ、無理無理。俺と真咲は慎重なんだ。証拠なんか出るはずがない。

 ……認めましたね? 彼女との関係を。

 はは、好きな女が俺なんかに取られてて残念だったね。


 ◆◆◆


 何よ何よ何よ。

 山村も主任も所長も常務も人事部長も、もうとっくにわかっていたんじゃない。

 そのくせみんな私に曖昧な態度を取って、本当のところはわかっていないようなふりをして。

 促せば簡単に自首するとでも思ったの?

 自首したら、何かしら情状酌量があったとでもいうの?

 社内不倫がバレた時の相場が、役職持ちの男は降格、女は何だかんだでクビだってことくらい、承知してる。

 酌量されたところで、社内で晒し首状態のまま働けるわけがない。


 でも、お生憎さま。

 私はこの程度で落ちるような女じゃない。

「主任、何言ってるんでしょう。私たち、本当に何もないのに」

 新田主任が私と付き合っているという設定で、山村から私を守ろうとしている。

 という方向に持っていくつもりだった。

 しかしここにいる男性3人の冷徹な顔を見ると、私の嘘が効いていないのは明らかだった。

「見苦しいよ、弦川さん」

 そう告げたのは古田所長だった。

「だって、私……」

「新田が辞めた。それも突然、こんなキリの悪い時期に、だ」

 常務が続く。

「それがどういうことか、君にだってわかるだろう?」

 突き刺さる冷たい視線。

 幼い頃の私が毎日浴びていた、汚いものを見る鋭い視線だ。


 話をまとめるとこうだ。

 新田主任は、反則カードの乱用でオリエンタル・オンの高田さんを精神的に追い込み、患わせてしまった。

 尊敬する上司を潰されてしまった山村は、初めから新田主任に報復するつもりで動いていた。

 山村は社内不倫というネタを掴み、私を巻き込むことを承知で非情にもそれを使用。

 己の不祥事の責任や、山村という脅威から逃れるため、新田主任はこの会社を辞めることを選んだ。

 このことはすぐに社内や周辺企業に広まるだろう。

 そして家族は私とのことを知ることになるだろう。

 そうなる前に、消えることを選択した。


「俺のところに戻っておいでよ」なんて言っておいて、酷い人。

 彼はもう手遅れだとわかっていた。

 私が戻ると言えば、私を守ってくれただろうか。

 答えはノーに決まっている。

 その時にはもうこの会社から逃げることを決めていて、そうすれば私ともっと楽に関係が営めるとでも思ったのだろう。

 もはや彼に脚を開くなんて、死んだってごめんだが。


「皆さん、意地悪ですね。それだけの情報を持っていらっしゃるなら、始めから私を責めてくださればよかったのに」

 わざわざ私に恥をかかせてから追い込むなんて、性格が悪いにも程がある。

「それについては、悪かった」

 謝ったのは古田所長だ。

 対面している二人は、変わらず私を蔑むように不気味な笑いを浮かべている。

 私は背筋を伸ばし、真っ直ぐに常務と人事部長を見据えた。

「私たちの不適切な行動のせいで、会社に多大なご迷惑をおかけする事態を引き起こしてしまいました。申し訳ありませんでした」

 私はもうあの営業所では働かせてもらえないだろう。最悪の事態も想定している。

 それでも、私は逃げずに罰を受け入れる覚悟を決めてここへ来た。

「じゃあ、話を進めるよ」

「どうぞ」

「会社としては、懲戒や解雇はしたくない。とはいえこのままというわけにはいかないから、自主退社してもらうことになる。よって有給も消化してもらって構わない。社内では当然噂になってしまうだろうが、それでオリオンに一応の“しめし”はつけられる。君の再就職を考えても、経歴に傷は残さない方がいいだろう」

「お気遣い、ありがとうございます」


 私の失敗は新田主任と関係を持ったことではない。

 新田洋輔という男を過大評価し、過信していたことだ。

「人を見る目がない」と言った山村は正しかった。

 嘘は共有すべきでない。

 自分一人で守るべきだった。




 営業所に戻ったのは午後9時を回った頃だった。

 私は本社で名前を記入するだけの辞表を書かされ、私の後釜だという1つ年下の女の子に引き継ぎをした。

 その他の手続きも全部済ませて、それから所長の運転する車でここへ戻ってきた。

 営業所にはもう誰もいない。

「もうここに来ることはないんですね」

「来てもいいけど、きっと気まずいよ」

 所長の容赦ない言葉。

 笑って「そうですね」と返せた自分を逞しく思う。

「私、この会社が好きでした。とても楽しかった」

「うん。それは俺も同じだよ」

「堀口さんも、小柳くんも、もちろん新田主任も、他のみんなのことも大好きでした。あ、もちろん所長も」

「はは、ありがとう」

 静かなオフィスに私と所長の声が響く。

 とても悲しい最終出勤日になってしまった。


「私、所長のこと誤解してました」

「誤解? どんな?」

「所長はおっとりされてるから、所長に向いてないって思ってたんです」

「えー。そんな風に思ってたの。まぁ俺、頼りないもんなぁ。場を仕切るのとか上に報告する文書作るの苦手だし」

 仕切りごとはいつも新田主任、報告の文書はいつも私が作っていた。

 私がまとめて、所長にはハンコを押すだけで済むように仕上げて、それなのにハンコ押しを怠ってしまうような、そんな所長だった。

「でも、適した人に任せるのは上手ですよね。仕切る人と報告の文書を作る人間が一気に辞めて大変になるとは思いますけど、これからも所長として頑張ってくださいね」

 私の軽口に、所長がおかしそうに笑う。

「俺はもう少し出世したいけどね」

 彼が渋々自分の仕事をする様子が見られないのは残念だ。


「私、着替えてきます」

 特に大きな私物はない。

 あっても堀口さんがお茶やコーヒーを入れてくれるカップくらいだが、家では不要だし、ここに置いていこう。

 制服から私服に着替え、ロッカーに入れていた冬物のブラウスを紙袋に入れる。

 クリーニングに出して、本社に送らねばならない。

「何かわからないことがあったら電話をください。所長から」

「わかった」

「所長。入社してから3年半。本当にお世話になりました」

「こちらこそ」

「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。主任の分まで私が謝ります」

「まったくだ。こういうのはバレないようにやってくれよ。出来る人間が二人も消えて、明日からうちは嵐のような毎日になる。残念だよ」

 所長は笑いながらそう言って、私を送り出してくれた。


 さようなら、みんな。

 どうかお元気で。




 最寄り駅を出て、とぼとぼ自宅に向かう。

 自らの不祥事のせいで職を失ってしまったが、不思議と焦りはない。

 罪が明かされ、罰を受けたからだろうか。なんだか身軽になった気さえする。

 これからどうしよう。

 実質はクビだが形式上は自主退社扱いになるから、失業手当はすぐには出ないらしい。

 先月ボーナスが出たしそれなりに貯金もあるから、数ヶ月くらい遊んで暮らしてもいい。

 しばらく実家でゆっくりさせてもらって、夏が終わったら就職活動をしよう。

 明日、社内ではきっと私たちの噂が広がるはずだ。

 堀口さんはショックを受けるだろう。

 彼女に別れを告げられなかったことは、本当に悔やまれる。

 今夜のうちにメッセージを考えておいて、明日の朝にでも送信しよう。

 幻滅して無視されるかもしれないけれど、それでもいい。


 いつものコンビニに立ち寄る。

 山村の姿がないことにホッとした。

 今彼に会ったら、自分がどんな態度をとるかわからない。

 自分の身から出たサビなのだから彼を責めるのはおかしいし、だけど山村が意図的に私を巻き込んだせいでこうなったのは確かだから、素直に「仕方ない」とも思えない。

 できれば二度と会いたくない。

 転職したらこの町を出よう。さすがに再々会をすることはないだろう。


 飲み物と明日の朝食を買い、店を出る。

 とぼとぼ歩いて自宅マンションに到着。

 エントランスの左側に男性の人影があった。

 住人の彼氏だろうか。

 そう思って気にしていなかったのだが、顔がはっきり見えたところで反射的に足が止まった。

 人影の正体は山村だった。

 白シャツにスラックスのクールビズスタイルだ。

 いつものかばんも持っている。どうやら彼も仕事帰りらしい。

 二度と会いたくなかったけれど、何となくそういうわけにはいかないだろうなという気はしていた。

 神は私の味方などしてくれたことはない。


「おかえり」

 山村はバツが悪そうにそう言った。

 私にはもう無視を決め込むほどの気力は残っていない。

 目を合わせることはせず、言葉だけ返す。

「何かご用?」

「話、したくて」

 もう全て終わったのに、これ以上何の話ができると言うの。

「何?」

 過去最高に無愛想な声が出たと思う。

 山村は構わず話を続ける。

「俺、イズミの担当外れることになった」

「あっそ」

 私にはもう関係ない。少し前なら大喜びしていたのだろうが、もう何の感情も湧かない。

かたきが取れたから、満足してる」

 仇……つまり、前任の高田さんの仇ということだ。

「高田さん、もう平気なの?」

 いつも笑って楽しい話題を提供してくれる、素敵なおじさまだった。

 仕事も丁寧で、誠実で、彼が担当だったから、私はオリエンタル・オンが好きだった。

「あの人の病気はそんなに簡単に治らないよ」

「そうだよね……」

 自分のせいではないけれど、イズミの人間として心苦しい。

 私たちの利益のために無理をさせられていたのだ。


「イズミの新田さんと言えば。俺らの業界の中では“エグい”って有名なんだよ」

「そうなの?」

「大きな商談を持ち掛けてくるんだけど、メーカーの利益を無視した無理な価格での取引を押し付けてくるし、納期とかロット数とか、とにかく条件が無茶苦茶で」

 私はこの営業所にしか勤めたことがなかったし、入社したときから新田主任は稼ぎ頭として今の営業スタイルだったから、それを不思議に思ったことはなかった。

「イズミとの取引は売り上げの要になるから、無茶な要求でも無視できない。でも、その要求を満たすために、俺たちは会社の上の人間を説得して、工場の人間を説得して、原料の仕入れ先にも無理をお願いすることになる。上にも下にも責められて、だんだん会社に居場所がなくなる」

 その無理がたたって、高田さんは病に冒された。


 新田主任は我が社では優秀な社員だった。

 営業成績は常にトップクラスだった。

 でも、その裏で苦しんでる人がたくさんいたのだ。

 私にはそれが、まったく見えていなかった。


 山村が初めて会社の飲み会に参加した日、愚かな私は新田主任と仲よくなるよう勧めた。

 それを聞いた彼は、失礼にも「僕を騙してるってことは……ないですよね?」と尋ねた。

 私は腹を立ててこの質問の意図について深くは考えなかったけど、今なら山村の気持ちがわかる。

 原口を騙していた私も主任の無理な取引に荷担していると疑っていたのだろう。

 他の会社の担当者がコロコロ変わっていたのは、新田主任の無理な取引に堪えられなくなったからかもしれない。


「高田さんは俺が入社してからずっと世話になってた直属の上司だった。俺、本当にあの人のこと尊敬してて。だから、新田さんが許せなかったんだ。新田さんを何とかすることが、オリオンの利益を守ることに繋がるって確信があった。だから……」

「私を巻き込んで新田主任に報復したのね」

 高田さんには、心から同情する。

 申し訳なくも思うし、報復は当然だとも思う。

 でも、それをするのはあなたでないといけなかったの?

 私を巻き込まなければ成せなかったの?

「まぁ、俺も無茶したし、イズミとの間に確執を作ったことは反省してる。会社に無断で行動したから、明日から謹慎食らうんだけど、その分の信用は仕事で取り戻すよ」

「そう」

「今週中には謹慎が解けるから、そしたら正式に担当交代の挨拶に行くよ。謝罪もかねて」


 山村が笑っている。

 会社に来たらまた私が迎えると思っているようだ。

「好きにして」

 会社を辞めたことは言わなかった。

 言いたくなかった。これ以上、彼に干渉されたくなかった。

「話はそれだけ?」

「ああ、うん」

「そう。じゃあ、私帰る」

 変わらず無愛想に言い放ち、屋内へと足を進める。

「おやすみ」

 やまむらがそう言ったのが聞こえたけれど、私は無視してオートロックを通過した。


 頭の中でこの間の「やっぱブスだわ」がリピートする。

 これ以上山村と関われば、私だって精神的に参ってしまう。




 永遠にさようなら。

 今度こそ、あなたとは二度と会わない。




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