子供の世界(2)

 桜井と別れて小学校の備品の運搬をしながら、まずは話を整理してみる。

 まず、男の子は、大体の子が簡単にやってのけた工作に苦戦していた。

先ほど桜井への質問では、作業以外の理由で遅れた可能性についても触れたが、こちらは恐らくないだろうと思っている。

 もし男の子の作業が遅い理由として工作の作業以外の要因、例えば他の子からの妨害など、があったとしたら、桜井が何かしらの行動を起こして止めているだろう(そこらへんは経験もあるし信頼できる。)し、それが、桜井だけで解決できないことや、大ごとであったなら隣のブロックの泉さんなどに助けを求めるなどして話が大きくなり、僕も気づくはずである。

 今のところ、工作中に特に大きな問題があったということは聞いていないので、やはり事は小さく最も単純な、作業がうまくできなかった、という可能性が高い。

 では、どの工程で詰まっていたのか。やはりそれは、はさみを使うところだろう。

 今日の中では一番難しい作業であると思うし、一度、羽のパーツを切り出してしまえば、その形を整えたり、貼ったりするのは何度か挑戦できる、というか少しくらい最終的な形がいびつになってもきちんと飛ぶので、『最初から』には中々ならない。なるとしたら、切り出した羽のパーツの大きさや形が左右で大きく異なっていたりする場合であろう。

 しかし、二度目か三度目かは分からないが最後に『最初から』作った時には恐るべき速さで工作を完成させる。

 桜井が手伝わなかったというのは、本当だろうから(そうでなければ挑戦材料にならない)男の子は急激にはさみの使い方がうまくなったことになる。

 いや、ひょっとすると、僕が難しく考えすぎていただけなのかもしれない。

 再び、椅子を一つ運び終えて戻る途中の桜井の隣に並び、

「なんか思いついたか」

と声をかけてきた桜井に対して、一つ思いついた考えを伝える。

「あの男の子は、はさみを使うのが苦手で、つまり羽を切り出す作業がうまくできずに遅れていたが、最後にやり直したときには、すでに羽として使えるパーツが一つあって、最初からといっても切り出すパーツは一つでよかった。だから普通に最初から作業するよりも早かったんじゃないか?」

 桜井の顔には微笑が浮かんでいる。これだけですでに自身の推測が間違っていることが分かる。案の定、桜井は僕の考えを否定した。

「いや、違うな。あいつがはさみで苦戦していたのは当たっている、っていうかそれは誰でもそう思うよな。

 でも、あの時使えるパーツはなかった。一から全部、一人でやり直したんだ。」

 違ったか。まあそれほど自信もなかったからいいんだが。

 それにしても、今気づいたが、一回勝負だったら、これは僕の負けではないのか。しかし、そんなことは伝えられていないし、幸いにも桜井がそういったことを言ってくる様子もない。それどころか、ヒントをやると言いだした。

「そうだな。ヒントは『俺』かな。」

「『俺』ってお前?」

 先ほどお前は何も手伝っていないといったではないか。いぶかしげに桜井を指さす僕を、さも愉快そうに観察すると、見るものは見た、といったように僕から離れて片付けに戻っていった。

 ヒントをやると言われた時は、くれるならもらっておこうという気持ちだったが、今は逆に厄介なものをもらってしまったと感じている。

 その後、特に新たな何かを考えつくこともなく、片付けだけが淡々と進んでいった。

 椅子は全て運び終わり、机も最後の一脚を桜井が運び出し始めたところで、神田が体育館に戻ってきた。運搬するものがなくなり、仕事を失った僕は神田を迎える。

「おつかれさまですー」

「お疲れ。」

「すみません。片付け任しちゃって。」

 別に神田もさぼっていたわけではない。依頼主と、追加の書類やら、微量ながら今回かかった材料代やらの相談を行っていたのだ。

「そっちは問題なかったか? 今日の工作のこととか。」

「いえ、依頼先の先生は、よかったって言ってました。機会があれば次もお願いしたいとも。」

 発言内容に若干の含みがある気がする。

「お前自身としても満足だったならいいが。」

 神田は苦笑を浮かべた。先ほどの思いつきと異なり、こちらの方の考えは少なからず当たっていたようだ。

「いえ…、仕方のないことではあるんですけど、もう少しこの工作の中身に興味を持ってもらいたかったなあ、と。」

 ああ、と声が漏れる。『工作の中身』という表現は抽象的だが、言わんとしていることは分かる。つまり、工作の本質的な部分だ。

 例えば、あの種が落下する時、羽が回転することによって、落下エネルギーの一部が回転エネルギーに変化し、落下がゆっくりになる。これが物理的に見たあの工作の原理だ。また、なぜ自然界にそのような種が存在するかといえば、落下をゆっくりにし、より風に乗って遠くへ運ばれやすくなることによって、生息領域を広げるためである。

 このような科学的な背景を伝えるのが本来の活動であることは確かであり、実際、神田は最初の説明の時に簡単に触れてはいたのだが、結局大多数の参加者は、『おもちゃ』の不思議な動きに興味がわいたのであって、科学的側面に対する興味を持って追加で質問してきた子は少なくとも僕の知る限りでは今回いない。

 しかし、神田の言う通り、仕方ないところもある。科学的な背景を理解するためには大概それ相応の知識が前提になるが、物理的な原理は言わずもがな、直感的には分かりやすい生物学的側面でさえ、小学校一年生前後の大半の子供には馴染み薄い。

 そして仮に、前提知識も含め、対象に合わせて説明を簡単に分かりやすくして、すべてが伝わったとしても、それに興味を持ってもらえるかは別問題だ。小難しい理屈を考えるよりも、外で体を動かしたり、家の中でゲームする方がいい、と思う子供は少なくないだろう。

 結局、神田に対して、それは仕方ないな、というようなことしか言えなかった。

 話題を変える意図も込めて、とっさに別のことを聞いてみる。

「そういえば、聞きたいことがあるんだが、桜井って、どういう人間だ?」

 むろん先ほどのヒントに関連しての質問だ。

「どういう人間というのは、どういう?」

「まあ、印象とか知ってることとか。ざっくばらんに。」

 神田は、突然の意味不明な質問に戸惑っているようだったが、素直に答えてくれた。

「まあ、見た目は何というか…、かわいらしいですが、内面は外見に似合わず、ズバズバはっきり言うタイプですよね。」

「『かわいらしい』は本人の前で言わない方がいいな。」

 発言が、ズバズバはっきり、で収まらなくなるだろうから。

「あとは?」

「そうですね。発言には切れ味がありますけど、悪い人ではないと思いますよ。子供たちからもよく懐かれてるのを見ますし。」

 それは知らなかった。実は子供には優しいタイプなのか。

「あとは…、そう言われるとあんまり知らないですね。左利きなのも、今日初めて知りました。」

 はにかみながら話を終える。僕としては、サークルの先輩の情報など別に詳細に覚えていなくてもいいのではないか、と思ってしまうのだが。

「ありがとう。桜井って、さっきも言ってたけど、発言にトゲがあるから後輩からどう思われてるのか気になってたんだ。参考になった。」

 もちろん、今考えた。神田に桜井との張り合いの話をすると、また色々聞かれたり騒がれたりして面倒だ、と思ったのだ。まあでも、参考になった、というのはうそではない。僕の頭の中では、ちょっとした引っ掛かりが生まれていた。

 ちょうど話に一区切りついたタイミングで、泉さんと桜井が体育館に戻ってきた。おつかれさまですー、とあいさつを交わした後、

「それじゃあ、帰りましょう!」

という責任者の一声で、僕らは帰路に就くこととなった。


***


 帰宅する途中、神田と泉さんとは電車の乗り換えで別れ、僕は桜井と一緒にホームで電車を待っていた。決して小さな駅ではないはずであるが、時間帯がよかったのか、今いる位置で電車を待っているのは、僕らだけであった。

「あれ、たぶん分かった。」

 僕は唐突に口を開いた。神田と泉さんがどの辺に帰っていくかはおおよそ知っていたので、僕と桜井の二人きりになるという予想はついていた。

 桜井が何か言おうとしたところで、ちょうど電車がホームに入ってくる。

 いったん会話を中断させ、僕らは電車に乗り込んだ。待っている人数から想像されるように、電車内も人の姿はまばらであり、二人並んで座ることは容易であった。

 腰かけたところで、桜井が会話を再開させた。

「もしかしたら、忘れてるんじゃないかと思ってたが。」

 そんなことはない。帰り際もずっと考えついた話を整理していた。このタイミングまで黙っていたのは、先ほどと同様、神田や泉さんのいるところで話を始めて、大ごとになることを嫌ったからだ。

「それで、どういう風に考えたんだ?」

 僕は、回答を端的に伝えた。

「手間取っていたはさみの作業が、途中から猛烈に早くなったのは、右利き用のはさみから左利き用のはさみに取り換えたからだろ。」

 どれほど常識的かは分からないが、はさみには右利き用と左利き用がある。まあ利き手は二種類あるのだから少し考えれば当たり前なのだが、実は僕はこのサークルに入るまで左利き用のはさみの存在を知らなかった。

 左利きの人間が右利き用のはさみを使っていたら手間取るのも無理はない。

「要は、あいつは左利きだったけど、間違って右利き用のはさみを渡されたってことか?」

 桜井が聞く。いや、そうじゃない。これは罠である。

「違うな。あの男の子が左利きだとすれば、箸を持つ方の手を挙げさせたとき、ちゃんと左利き用のはさみが渡ったはずだ。」

 『箸を持つ方の手を挙げて』という指示は、単に手を挙げさせるためのものではない。一人一人利き手を聞く手間を省くだけでなく、左右の概念が分からない小さな子供の利き手を知り、利き手にあった道具を与えることができるという効果もあるのだ。

 では、どういうことなのか。僕は続ける。

「あの子は、箸は右で持つけど、はさみは左の方が使いやすい、といったような、動作によって利き手が変わる、いわゆる両利きだったんじゃないのか。お前と同じように。」

 『ヒント俺』の意味はこれだ。神田は桜井が左手で文字を書いたとき過剰な反応を見せたが、なぜそこまで左利きの可能性に気がつかなかったのか。今日はそれより前に桜井と飯も食ったし、僕に至っては箸で指された。その時、箸が左で持たれていたなら、その可能性に僕と神田が二人して気づかないということはないと思う。桜井は箸は右で持っていたのだ。

 つまり、桜井は、箸は右、物を書くのは左ということになる。一応、桜井が神田に『左利き』を指摘された時に見せた微妙な表情もこれで説明がつくのかもしれない。

「それだと、右と左が逆、つまり箸が左、はさみが右でも成り立つが、なんでその組み合わせにしたんだ?」

 実は、そこはほとんど運だった。ただ理由と呼べるものがなくはない。

「確かに逆でも成り立つが、ヒントに忠実にいくなら、箸はお前と同じ右かと。」

 ふうん、と桜井の目が細められる。

「違ったか?」

 今までと違って、すぐさま否定されることなく質問が繰り返されているところからして、真実に近いという確信は正直あったのだが、この反応は、微妙なところだ。

「いや、合ってるよ。確かに、俺はあいつが右利きのはさみを使いずらそうにしているのを見て、最後のやり直しの時に、左利きのはさみを使わせたんだ。

 でも、その状況を想像してみたら、『なんであいつは、使い始めてすぐに、左利きのはさみに変えてくれ』と言わなかったんだろう、と普通思うんじゃないのか?」

 それは正直考えていなかった。が、すぐに一つの可能性が思い当たる。

「それは、あの子が、自分がはさみを使うときは左利きだってことを知らなかったんじゃないのか。」

 つまり、ずっと自分は右利きだと思っていたということだ。

「そうだ。あいつは、自分が両利きだなんて思っていなかった。ずっと全部の動作を右利きのつもりでやってたんだろう。」

 そうなのか。しかし、その話は先ほどの反応に関係してくるのだろうか。

「ところで、工作が始まる前、あいつがキャッチボールしてるやつらの方を見てたのは気づいていたか?」

 ああ、と肯定を示す。しかし話が見えない。

「じゃあ、完成した後、その集団と一緒に遊んでいたことは?」

 それも確かに見覚えがあった。

「だとしたら、普通、謎なのはあいつの工作が早く終わったことじゃなくて、子供同士が急に仲良くなったことなんじゃないのか?」

 言われてみれば確かに不思議なことかもしれない。

「だけど、子供同士が仲良くなるきっかけなんて無数にあるだろ。」

 些細なことから仲良くなることも珍しくないだろう。

「確かに、子供同士が仲良くなるきっかけは無数にあるかもしれない。だが、それをお前が今まで考えてきた話の続きとして考えてみたらどうだ。

 あいつは、ずっと右利きとしてふるまってきた。だが、見てたなら分かると思うが、両利きの可能性があると知るや否や、あのおもちゃは左で投げた。右では全然うまく投げられないことは知ってたんだよ。

 ここからは、多少憶測も入るが、あいつはキャッチボールに入りたかったが、自分がなぜか物をうまく投げられたいことをコンプレックスに感じていた。だが、両利きの可能性を知って、あいつはコンプレックスを解消し、他のやつと仲良くなることができた。

 別に俺のおかげということを強調したいわけじゃないが、そっちの方が何というか、良い謎だろ?」

 言い終わると、桜井は立ち上がった。気づけば、電車は桜井の家の最寄り駅に停車する直前であった。

 じゃあな、と言い、桜井はさっと電車から降りて行った。

 取り残された僕は考える。

 後者の謎は、子供の気持ちも込みで考えないといけない。そして、桜井は僕がそこまで考えつかないことを予想していた。あの桜井の表情はそういうことだったんじゃないのか。

 被害妄想かもしれない。しかし、一つ言えることは、『些細なコンプレックスをいたく気にしたり、もっと言えば、それによって他人を排斥するような子供の世界』は僕自身だってかつて体験した世界だったということだ。今となっては、ちっちゃいことだなあ、と思えることを気にしたり、それが理由でちょっとした仲間外れになった瞬間絶望する気分になる。そういう光景を目にすることはもちろん、体験したこともある。

 しかし、僕はそのような子供の世界を忘れ去り、気持ちを推測することも、もしかしたら、はなから諦めていたんじゃないのか。

 桜井はあの問いかけの時から、僕があの子の気持ちまでは理解できまいと予想し、桜井からしたら、それについての勝負を挑んでいるつもりだったのではないだろうか。

 考えすぎかもしれないが、考えることをやめられない。僕の心はどんどん沈んでいく。


 ふと、ケータイを見ると、本郷からメッセージが届いていた。

 今日の正午、桜井と二人で待っているときに、本郷に送っていたメッセージの返信だ。

『おい、お前の代わりに依頼に参加することになったぞ。』

 というメッセージに対して、

『俺が今、最も言うべき言葉は『ありがとう』』

「なんじゃそりゃ」

間接的すぎる。感謝の意はもっとはっきり伝えてほしい。

つぶやいた台詞とは反対に、気持ちが少しはマシになった気がした。

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