怒りの理由(2)

 僕は自分の考えを整理するためにも、考えを口に出す。

「二人の考えを整理すると、まず一つ、本郷のやったことは、今までの比でないくらい彼女を怒らせるものだった。二つ、しかし本郷はその行動に対して無自覚であった。三つ、それは荒木さんがトイレから帰ってきた後、特にシンクに近づいたときに初めて気づくものだった可能性が高い。」

 二つ目までは、ふんふんと頷いていた西島が三つ目で怪訝な顔になる。

「どうして?」

「荒木さんは隣に来てから声をかけたんだろ。もし、トイレから帰ってきてすぐに気づくことだったら、普通その場で声をかけないか? 激怒するようなことなんだし。」

 桜井がフン、と鼻を鳴らす。一応、このことからも先ほどの桜井案は否定されうるが、これは絶対というわけではない。隣まで来て真正面からプレッシャーを与えるというのも、僕の中の荒木さん象からかけ離れているわけではない。

 その三つの条件を口にすると、ふと頭の中に浮かんできたことがあった。

「本郷、いくつか質問してもいいか。」

「どうぞ」

 快く受け入れる本郷。僕はゆっくりと質問を口にした。

「まず、その手料理の献立って何だった?」

「えっと。それって重要?」

 本郷の眉が訝しげに寄る。本郷だけではない、他の二人もである。気持ちは分かるが。

「今、僕が考えていることに大いに関係する。」

 僕が真面目な顔を崩さないでいると、本郷は訝しみながらも教えてくれた。

「ハンバーグだよ。」

「それだけか?」

「あと白米と味噌汁。」

 ふうむ、と腕を組んだ僕に対して、桜井がしびれを切らしたように前のめりで発言する。

「それが何なんだよ。」

「ちょっと待て。今の考えがまるで見当違いだったら恥ずかしいから、もう一つ質問させてくれ。」

 本郷の方に顔を向け続ける。

「前に、食い方について怒られたことがあるって話してたけど、具体的にどんなことで怒られたんだ?」

 それを聞いて、本郷は少し得心顔になって答えた。

「もしかして、料理の食い方で怒らせたと思ってるのか。 確かに、前に一回、確かパスタを食べていたときに、食い方が汚いって怒られたことはあるけど、それからまた怒られないように食い方には気を付けてるし、実際、料理も残さずきれいに食ったぞ。」

 なるほど。少しうつむく。

 一つ仮説が立った。組んでいた腕をほどく。

「一つ目はまだちょっと分からないが、二つ目と三つ目は恐らく満たしている本郷の行動、というかクセか? を一つ見つけた。」

 僕の浅知恵は本郷の回答で簡単に破れさったと思って、次に検討すべきことを考えていたらしい三人は、僕の発言に分かりやすく面を食らっていた。当の本人の本郷が驚き顔のまま促す。

「えっ。それってなんだよ」

 僕は目の前のちゃぶ台に置かれている本郷の分の紙皿を指さす。

「『米の食い方が汚いこと』だ。

 本郷はさっき、「怒られてから食い方には気を付けている」と言ったけど、この机の上に置かれている紙皿はお世辞にもきれいとは言えない。日ごろから本郷が無自覚に、米をこんな風に汚く食っていることが分かる。よって、まず二つ目は満たされている。

 次に、本郷の話から、過去荒木さんとの食事で米の食い方を指摘されたことはないという。これは推測だけど、もし「パスタの食い方が汚い」ことを指摘した荒木さんがこの本郷の米の食い方を過去に見ていたら絶対指摘する、と僕は思う。

 そして、本郷が荒木さんの家に行った日、食事中に他人の茶碗の中なんて普通まじまじと見ない。それを初めて見るとしたら食事が終わった後、特に片づける時だろう。荒木さんは、シンクに近づいてその中に置いてある本郷の茶碗を見て、その日のうちで初めて本郷の米の食い方を認識した。つまり、過去に見ていないとすると、その瞬間に初めて本郷の米の食い方を認識したはずだ。これで三つ目が満たされていることが分かる。」

 長台詞を終えて一息つく。三人とも話を聞きながら考え込んでいた。

 まず最初に口を開いたのは本郷であった。

「確かに三つ目はそうかもしれないけど…。そんなに俺の米の食い方汚いか?」

「汚いな」

 桜井が容赦なく判断を下す。この本郷の発言こそが二つ目が満たされている証拠と言えよう。また、荒木さんは過去に本郷の米の食い方を見ていたが指摘するほど気にならなかった、という可能性もなくはなかったが、本郷が三つ目を認めるならその確率も低いだろう。

 次に口を開いたのは腕を組んで考えていた西島である。

「うーん。確かに二つ目と三つ目を満たしてるのかもしれないけど、じゃあ、一つ目は? なんで彼女さんは『米の食べ方が汚いこと』でそんなに怒ったの?」

 当然の疑問だが、実はとても痛いところだ。それに対しての説明は、この理由の場合、最も大切であるのだ。もちろん本郷が謝る際にも重要だが…。

「それについて説明できなきゃこの理由もないだろ。だって、彼女にとってそんなにキレることじゃなければ、今までと同じようにその場でキレた理由を言えばいいんだ。」

「それは…、そうだな。」

 僕は渋い顔でうなずいた。桜井の言うとおりである。今考えている状況で、他の理由を差し置いて『これが原因だ』と具体的に主張する場合には、それがなぜ彼女にとって特別激怒する原因となったのかもセットで説明しなければ説得力がない。一方で、西島案と桜井案では、「なんかよく分からんが、この辺に地雷があったんだろ」と具体的な理由をぼやかしていたから、このことに関する説明がなくても、なんとなく成り立つのだ。ずるい。

 しかしそれにしても、先ほどの仕返しとして僕の意見をつぶそうと桜井が必要以上に意気込んでいると感じたのは、被害妄想であろうか。

 そして、実際、一つ目に対する答えとして、絶対にこれだ、という説明は考えついていない。「そこまでは知らん。米を粗末に扱われたら怒りを抑えきれない、のっぴきならない理由がなんかあったんだろ。」と考えを放棄してもいいが、ここは一旦、彼氏殿にヘルプを要求しよう。

「荒木さんが『米の食べ方が汚いこと』で特別怒る理由、何か思い当たらないか?」

 しかし、本郷は首を横に振った。桜井の口元が少し緩んだのが見えた。

「そうか。」

 それなら話すしかあるまい。

「一応、『米の食べ方が汚いこと』で怒った理由も、思いついているものがなくはないんだ。」

「えっ。そうなの? じゃあなんで最初から言わなかったの?」

「これは、あんまり自信がない。理屈は通っているかもしれないが、可能性は高くないと思う。だから先に本郷に思い当たる節があるか確認したかった。」

 前置きを終え、本題に入る。

「それで、結論から言うと、その理由は『荒木さんの実家が米農家で、実家で作った米だということを事前に伝えたのに、その米を粗末に扱われたから』だと思っている。」

 論理の飛躍が激しいと感じたのだろう。うち二人は怪訝な顔を見せ、当事者である残りの一人はすぐさま食いついてきた。

「いや、俺、楓の実家のことも、ましてや米のことなんか知らないよ!」

 それが大事だ。

「順を追って話す。

 まず、人が『どうして怒ってるか分かる?』と聞いてくるのはどういうときだろう。」

「怒ってるときでしょ」

 西島が当たり前のこと言う。

「それはそうだが」

 それが求めている回答なわけがないだろう。

「怒っていることを主張し、その理由も分からないのか、と相手を馬鹿にするときだ。」

「多分、大体の人間の使用目的と違う気がする。」

「自分の考えや感情をよく理解できているなら分かるはず、分かってほしいと思っているとき?」

 まともだ。

「大体そんな感じだろう。まあ、世間では超人的な推理力がないと分からない場合がある、搦め手的な使い方もあるようだが、それは荒木さんの印象にはそぐわない。つまり、荒木さんの印象通り、直球で翻訳すると、『怒っている理由は明らかだろう?』となると思う。

 つまり、今までの付き合いから想像すれば、絶対分かるはずだ、と荒木さんは思ったわけだ。」

「一理あるかもしれないけど、事実、俺は分かってないんだけど。」

「それは、実際にお前が必要な情報を知らなかったからだ。」

 一方は、明らかだと思っているのに、もう一方は、全くわかっていない。この場合、一方がひどく鈍い、というのも考えられるが、本郷は結構気の利くやつだ。そうでないとしたら、恐らく、そもそも情報が足りていないのであろう。

 しかし、実際は情報が足りていないのに、相手に明らかだと思われているのはどういうときだろう。超人的推理力が求められていないとすると、

「荒木さんは料理中、つまりお前が課題に集中している間に、すでに重要な情報を一度伝えてたんだよ。」

 本郷が、ハッとする。思い当たる節があるだろう。本郷は何かに集中すると、あまり話を聞いていないことがたまにあるのだ。

 今まで荒木さんと一緒にいるときは彼女に気を配っていただろうから、彼女の前で何か別のことに集中するのは初めてだったのかもしれない。

「なるほどな。

 彼女はその日に料理を作りながら、自分の中の大事な要素を本郷に伝えた。しかし本郷は課題に惚けていて聞いていなかった。彼女も料理を作りながらだったので、本郷が話を聞いていないことに気づかなかった。そして、食事が終わった後、本郷がさっき話したことからは考えられないような行動をとったことに気づいた。そして激怒した。」

 桜井が感心した様子でうなずく。これは何かあるな。

「確かに筋は通っているが、その大事な要素が『自分の家の米』である必要はないんじゃないか? 例えば、『○○の理由でシンクには近づかないでくれ』だったら、それを聞かずに勝手に近づいた本郷が激怒されるのもあり得る話だろ。」

 正直驚いた。ここにきて自分の案を復権させようとするとは。しかも論理も通っている。

 この主張を否定する要素は僕には思いつかなかった。

「そうだな。それもあり得ると思う。けど、実はまだこの案の根拠と言えるかもしれない要素が一つだけある。

 本郷、お前話の中で、料理の出来を何度か聞かれたって言ってたよな。具体的にどういう風に聞かれたんだ?」

 自分が彼女の大事な話を聞き流していたかもしれない可能性に、少なからず衝撃を受けていた本郷が顔を上げて答える。

「そんなに詳しくは覚えてないよ。」

「『ウチの料理おいしい?』とか『ウチのご飯おいしい?』とかじゃないか?」

「そうだったらどうなの?」

 西島が先を促す。

「一回目は、『私が作った料理がおいしいか』という質問だけど、荒木さんの一人称を考慮すると、二回目は『私の家のお米はおいしいか』という質問とも考えられる。」

 荒木さんの一人称は「ウチ」。そして、自分の家も「ウチ」。イントネーションも同じらしい。さらに憶測を付け足す。

「そもそも、料理の出来を二度もくどくど聞くのは荒木さんの印象とはちょっと合わない。」

 気がする。

「つまり僕の考えをまとめるとこうだ。

 荒木さんはその日に料理を作りながら、自分の実家が米農家で、今日炊いた米は自分の家のものであることを本郷に伝えた。」

 もしかしたら、実家から米が届いたからそれを本郷に食べてほしかったのかもしれないが、それは完全に憶測だ。言わずに続ける。

「しかし、本郷は聞いていなかった。荒木さんも、本郷が話を聞いていないことに気づかなかったのか、もしくは聞いているか疑わしいと思っていたが、食事中、自分の家の米の味についての質問にまともな返事が返ってきたのを聞いて疑いが晴れたのか知らないが、ともかく伝わったと思っていた。しかし、食事が終わった後、本郷が米粒を大量に残していることに気づいた。そして激怒した。」

 話し終えた後、西島が、おおー、と拍手する。本郷は神妙な顔で頷き、意外であったが、桜井が悔しそうな顔で称賛を口にした。

「筋は通ってるし、俺のより可能性は高いと思う。」

「それでも、ところどころ荒木さんの性格とか、こうだったんじゃないかっていう憶測が入ってるけどな」。

 自分自身、突飛なことを言っているなあ、と思っていたので、結構受け入れられているの

に驚いた。しかし結局のところ、

「まあ、最終的には本郷がどう謝るかだ。」

 なんだか途中から謎解き合戦みたいになってしまったが、この話は本郷が荒木さんと仲直りする手助けをしてほしいというだけなのだ。完全に真実を追う必要はないし、真実が完全に追えたらそれはそれで、「なんでそんなに正確に分かるのに、あの時はあんなことしたんだよ」と逆に気持ちを逆なでさせるかもしれない。

 まあ、もしさっきの話が当たらずも遠からずならば、本郷ならうまくやるだろう。


***


 案外、裏はあっさり取れた。

 話し終えた後すぐ、本郷が学科で荒木さんと仲良くしている女子学生に『荒木さんの実家は何か作っているのか、作っているとしたら何を作っているのか、知らないか』と連絡したのだ。彼氏である本郷も知らないのだ、友達が知っている可能性は低いだろうと予想していたが、返事はすぐに返ってきた。いわく、

『知ってるよ。お米作ってるって言ってた。』

 彼氏と友達、それぞれに話しやすい話題、話しづらい話題があるのかもしれない。

 荒木さんの実家が米農家であることを確認した本郷は、僕の案を軸に謝罪の内容を組み立てた。

 まず、もしかして怒っている原因は自分の米の食い方ではないか、ということ。

 さらに、荒木さんの実家が米農家であることを先ほど知り、実家で作った米を粗末に扱われたら怒るのは当然だと思う、ということ。

 さらに、自分には何かに集中すると話が入ってこない癖があり、そのせいで、もしかしたらあの日、それを伝えられていたにも関わらず、聞いていなかったかもしれないこと。

 最後に、知らなかったから、という言い訳はしない、米の食い方も話を聞かなくなる癖も良くはないのだから直す努力をする。ごめんなさい。

 といった内容を荒木さんに送信した。その時すでに午後十時を超えていたが、こちらもすぐに返信が返ってきた。いわく、

『許す』

 こうして、本郷満は許された。


 荒木さんからの返信が返ってきた後、会は相談会から祝勝会に様変わりした。

 本郷をねぎらい、一通り盛り上がったところで、西島が僕を称賛し始めた。

「それにしても、小田の推理が的中したな!」

 そうなのだ。自分ではあまり可能性が高くないとは思っていたが、結構いい線いっていたらしい。

「そういや、今日桜井が、『小田は人の気持ちが分からない』って言ってたけどさ」

 そういえばそんなことも言われた。だが、実際はどうだ。運が味方したことは否めないが、一人、いや二人か、の人間の行動と思考をトレースすることができたではないか。次に続く言葉が簡単に予想できた僕は鼻高々に胸を張る。

「小田は、人の気持ち分かんないかもしれないけど、観察力あるよな!」

 なんでだよ。予想していた言葉との落差に唖然とする僕の隣で、桜井がクックッと愉快そうに笑う。

「そうだな。小田は人の気持ち分かんないけど、観察力はあったな。」

 こいつ、完全にからかってやがるな。本郷の方を見ると、彼女からの『許す』返信、を見てはニヤニヤしている。

 はあ、とため息をつき、おそらく見ても気づかれない程度に、にやっと笑ってつぶやく。

「もう、それでいいよ。」

 二人はすでに僕には目もくれず、勝手に他の話題で盛り上がっていた。

 今日のことを、また少し思い返す。

 僕は、荒木さんと本郷の思考・行動を一般論や経験、状況から推測した。

 しかしでは、激怒していた荒木さんがなぜ、十日間も理由が分からなかった本郷を放置したのか?

  なぜ、急にその理由を解明した本郷に対して何も聞かず許しを出したのか?

 本郷はなぜ、十日間ものあいだ精神をやられつつも許しを乞うたのか?

 全く分からなかった。いや、一般論は知っている。しかし、理解はできなかった。

 

 なればこそ、『人の気持ちが分からない』という評価も甘んじて受けてもよいか。

と思ったのである。

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