第148話 かえらないもの
「どうしてあんな危ないことしたのよ!」
フォルツ邸内のモニカさんの私室に通されてパタンと扉が閉められると、酷く心配そうな切羽詰まったような表情で問い詰められた。
「どうしてって……貴女が叩かれそうになってたんだもの。そりゃ飛び出すわよ」
そう答えたらモニカさんが大きな溜息を吐いて肩を竦めながら首を横に振った。
「そんな当たり前のように言わないでよ。ルイーゼ、貴女という人はまったく……。それで今日はなあに? 用事があって来たんじゃないの?」
「あ、そうそう、そうなのよ。これ、作ったから一緒にお茶でもできないかなと思って持ってきたのだけど」
未だ表情の晴れないモニカさんに向かってバスケットから大きめの紙包みを取り出して見せた。
「なにそれ……」
首を傾げながら私の手から紙包みを受け取って中を確認したモニカさんが驚きの表情で目を見開く。
「これって……シュークリームじゃない! なんてこと!」
そう言ったきり言葉を失ったモニカさんがじっと紙包みの中のシュークリームを凝視している。そしてはっと我に返ったように私の方を向いた。
「……ありがとう。もし貴女に時間があるなら、もうひと仕事終わらせてくるからここで待っていてくれる? というか待ってて! 折角だから一緒に休憩しましょう」
「私は大丈夫よ。お仕事の邪魔しちゃってごめんなさい。お言葉に甘えて待たせていただくわ。いってらっしゃい」
そう答えるとモニカさんが嬉しそうな笑顔を浮かべて急ぎ足で私室から出て行った。
モニカさんの背中を見送ったあと、すぐ側にあった椅子に腰かけて、なんとなく周囲を見渡す。使用人の私室であろうこの空間は決して広いとは言えないけれど、窓から差し込むやわらかな日差しでとても明るくてきちんと片付いており、ところどころに女性らしい飾り付けがなされている。
窓の側の机に置かれた花びんに飾られた小さな白い花が可憐で可愛らしくて、まるでモニカさんのようだと感じて思わず笑みが零れた。
30分程経ったところでモニカさんが扉を開けて入ってきた。軽く息を切らしている。そんなに急がなくてもよかったのに気を使わせて悪かったなと申し訳なく思った。
「お待たせしちゃってごめんなさい! さあ、休憩しましょう」
2人でフォルツ邸の調理場へと足を運ぶ。調理場の端に備え付けられた、恐らくは使用人たちが賄いを取るであろう大きめの机へと近付き席に着いた。
モニカさんが慣れた手つきでお茶の準備をしている。こうして仕事ぶりを実際に見るのは初めてで、そのテキパキとした動きに、以前抱いていたモニカさんへの印象が大きく塗り替えられていく。
「それほど上等なお茶ではないけれど、私のとっておきを入れたから……その、どうぞ!」
そう言って私の目の前に差し出されたお茶は、透き通った綺麗なオレンジ色で花のような香りがした。
そして続けざまに綺麗にお皿に盛られたシュークリームが差し出され、モニカさんが私の向かい側に座った。
「ありがとう。お茶いただきます」
「どうぞ。私も、これいただかせてもらうわね」
そう言いながらゆっくりとモニカさんの手がシュークリームに伸ばされ、その1つを手に取って目の前へ持っていく。両手で大切そうに持ったまま、なかなか口にせずにじっとシュークリームを見つめている。
「どうしたの? もしかしてあまり好きじゃなかったのかな……。ほら、前にね、調理クラブでシュークリームを作ったときに貴女に食べさせてあげられなかったからと思って作ってみたんだけど」
ふと心配になってそう言ってみればモニカさんはシュークリームを見つめたまま首を横に振った。
「ううん、違うの。違うのよ……。前世では普通に口にしていたお菓子だったのに、この世界に転生してこうして目の前にあるのが信じられなくて、酷く懐かしくて……なんか、なんかね」
最後の方で声を震わせ始めたモニカさんの瞳が、今にも零れんばかりに涙で潤っている。言葉を詰まらせたモニカさんがきゅっと瞼を閉じてポタリと眦から涙が零れた。
「前世に戻りたいなんて、一度も思ったことないけど、でも今は……」
震える唇が再び開かれる。
「帰りたい……。お父さんとお母さんは元気かな……。親不孝だった私のことなんて、忘れちゃったかな……」
「モニカさん……」
「死にたくなんてなかった……。痛みのことはあまり覚えてないけど、でもね、やっぱり会いたいよ……」
そう言って瞼を開いて私を真っ直ぐに見つめてニコリと笑う。
「変なこと言ってごめん。今さらどうしようもないことなのに、なんかルイーゼの顔見てたら甘えたくなっちゃって」
モニカさんに向かって首を横に振るも、なんの言葉も出てこない。私もまたモニカさんの言葉を聞いて胸が詰まって苦しくなってしまったから。
家族のこと、友人のこと――忘れたつもりではなかったのに、徐々に薄くなっていく記憶の数々に思いを馳せる。
私が就職して1人暮らしをすると言ったときには、本当に1人で暮らせるのかと心配されて随分と反対された記憶がある。大丈夫だからと半ば強引に説得してアパートで暮らし始めた。
あれから私は親孝行をしただろうか。誕生日には実家に顔を出してプレゼントを贈るくらいのことはしていたけれど。
だけどこれ以上なく親不孝なことをしてしまった。結婚して子供を作ることもなく、あの世界から去ってしまったのだから。どれほどの悲しみを両親に与えてしまったのかと想像すると胸がぎゅっと締め付けらられる。
「ルイーゼ……? ごめんね。こんな暗い話しちゃって。……ああ、甘い、バニラの香りがする。とても美味しそう。私ね、シュークリーム大好きだったの。調理クラブではこの世界では見たことがないお菓子を目にして興奮して、その、強引に持っていこうとしてごめんなさい」
モニカさんの声でふと我に返る。気付けば私の視界も涙で揺らいでいた。もう少しで涙が零れてしまうところだった。一旦回想を中断してモニカさんの言葉に笑顔で応えた。
「……いいのよ。もういいの。私こそごめんなさい。かえって悲しませちゃったかな……」
「ううん、そんなことないから! そりゃ、ちょっと懐かしいなとは思ったけど、悲しくも、なったけど、でもね、思い出せてよかったと思ってる。前の世界のこと、段々と思い出さなくなってたから。家族のことも友だちのことも。……ルイーゼ、本当にありがとう」
そう言って両手で大切そうに持っていたシュークリームにかぷりと齧り付いた。
「うわっ、美味しい! ああ、これよ、これ! フワリとしてフシューっとしてトロリと甘いクリームが口いっぱいに広がって……。ああ、なんて懐かしいの! さあ、貴女も食べなさいな」
私が作ったお菓子なんだけどなぁなどと思いながらも、勧められるままに目の前のシュークリームの1つを手に取る。この世界に来て思うままに前世で作り慣れていたお菓子を作ってきたけど、こんな形で喜ばれるなんて想像もしなかった。
齧りついて口の中に広がったカスタードクリームの優しい甘さになぜかほんのりとほろ苦さを感じる。それはきっと思い出成分のせいだと思った。
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