第121話 満たされる(モニカ視点)
屋敷へ向かう途中、ラルフは馬車の中で聞きもしないのにいろいろなことを話してきた。自分の体のこと、両親のこと、姉のこと。そして自分はきっと大人になる前に死んでしまうだろうということ。
「そんなに体が弱いのに、今日はどうして外に出てたの?」
「僕が両親にたまには外に出てみたいって頼んだんだ。だから弱ったモニカを見つけたのは、神のお導きじゃないかと思うんだ。凄く運命的じゃない?」
「そんなわけないじゃない。あんた……ラルフ、貴方顔色悪くなってきてるよ。無理したからじゃないの?」
「そう? ……そっか。やっぱり外に出たら皆に心配かけることになっちゃうね。もう我が儘言わないよ」
外に出たいっていうのが我が儘? 男の子なら外に出て遊びたいのは当たり前じゃないのだろうか。今までの自分の願いと比べれば、ラルフの願いなんてあまりにもささやかなものだ。
そんなこともままならないラルフの境遇を思うと胸がモヤモヤする。今まで他人のことに関心なんて湧かなかったのに。大好きだったアルさまに対しても、外見や仕草が好みなだけで、アルさまの人となりや境遇なんて考えたことはなかった。
(何だろう、この気持ちは。他人を放っておけないと思うなんて……)
今にも消えそうなのは私じゃなくてラルフじゃないのか。人のことを心配しないで自分の体を心配するべきなんじゃないの。本当に変な子だ。
屋敷に到着してラルフは私を両親に紹介してくれた。ラルフの両親は私をひと目見て少し驚いたような顔をしていたけど、すぐに表情を戻して普通に接してくれた。醜い私を受け入れるなんてお人好しな人たちだ。私が屋敷の人間なら、こんな醜い得体のしれない女はすぐに追いだすのに。
(ラルフも変だけど、この屋敷の人たちも大概変よね)
使用人たちも私をひと目見て最初は驚くようだ。ラルフのお陰で穏かに接してはくれるけど、私の顔を見たら驚くのが普通だと思う。ラルフの感覚がちょっとおかしいのだ。
でもとりあえず食べ物にはありつけそうで安心した。少しでも命を長らえたい。こんなに醜くなっても生きていきたいと思っている。私も大概あさましい。
「美味しい? 今スープも温めてもらってるから少し待っててね」
「……ありがとう」
私がお礼を言うとラルフがニコッと笑った。本当に嬉しそうだ。
食堂でパンとお肉を出してもらって、私はそれをなるべくマナーを崩さないように食べた。お腹が凄く空いていたから、本当は貪りつきたかった。でもそれをしてしまうと本当に獣と同じになってしまうように感じて、なけなしの自尊心を総動員して耐えた。
「モニカってもしかしてお嬢様なの? テーブルマナーが綺麗だね」
「まあね」
学園では礼儀作法が赤点で先生にはしょっちゅう怒られてたけど、イケメンとの縁を繋ぐためにテーブルマナーだけは完璧に覚えてたのだ。目の前で汚い食べ方をする女には、相手が幻滅してしまうかと思って。
男爵令嬢だったことを言うべきかどうか悩んだけど、私はこれまでのことを全てラルフに話すことにした。
「だから言ったでしょ。私は心が醜いんだって」
「そんなことないと思うけどな。……それに気のせいかな。初めて会ったときより、顔の表面の瘡蓋が少なくなってる気がするよ?」
「え?」
顔の表面にあるのは瘡蓋じゃなくて鱗だと思うんだけど。というのはおいといて、鱗が減ってる? 嘘!? ――私は顔の表面を手で触ってみる。だけどあまり変化は分からなかった。
「嘘ばっかり! 糠喜びさせないでよね。あまり変わってないじゃない」
「そうかなぁ。でも僕はどんなモニカでも楽しくて好きだよ」
楽しいなんて言われたの初めてだ。本当は可愛いのほうが嬉しいけど、こんな幼い子に言われても微妙か。それにしてもこの子はよっぽど今まで退屈してたんだな。
「ラルフ、貴方、本当に物好きね。そのうち誰かに騙されても知らないわよ」
「大丈夫。僕、相手が本当のことを言っているかどうか分かるんだ」
「へえ、そうなんだ」
「うん。だって目を見れば分かるよ」
「そ、そう?」
私は分からない。相手の言葉をそのまま受け入れる。相手の真意を探ろうなんて思ったこともない。だから相手の目なんて真剣に見たことはないかもしれない。見惚れることはよくあったけど。
お腹も満足したので礼を伝えて屋敷を去ろうとする私を、ラルフが引き止めた。働く場所がなくて困っていることも話してしまったからだろう。このまま出ていってもまたお腹を空かせることになると心配してくれたのだ。
私はこの屋敷で侍女として働かせてもらうことにした。今まで身の回りのことを全部使用人に任せっきりだった私は、掃除も洗濯も最初は上手くできなかった。だけど役に立たなければ屋敷を追い出されてしまうと思って必死に頑張った。前世も含めてこんなに頑張ったのは初めてかもしれない。
でも仕事の半分はラルフの話し相手だった。これはラルフの両親に頼まれたことだった。私よりも五つも下の男の子の話し相手なんて面倒臭いと思っていた。だって話が合うわけない。私は前世でも今世でも一人っ子だったし、ずっと子どもは苦手だったから。
「モニカの話してくれた猫の人形のお話、面白いよね!」
「うん、私のいた日本ではとても人気があったんだから。夢を叶えてくれる道具なんて素敵じゃない?」
「うん、羨ましいな。そんな道具があったら僕も元気になれたかな」
「ラルフ……」
ときどき儚く笑うラルフを見て触れたら消えてしまうんじゃないかと不安になる。駄目だ。消えたりなんてさせないんだから。
そうだ。人間は笑うと健康になるって聞いたことがある気がする。本当かどうか分からないけど、落ち込んでるよりは笑ってるほうが体にいいに決まってる。
私は色のついた紙を準備してもらって、ラルフの前でたくさん折り紙をしてみせた。ラルフは私の折った『鶴』を見て目を丸くして驚いていた。
「わあっ、凄い! ツルっていうのはよく分からないけど、翼みたいなのがあるからきっと鳥なんだよね? 綺麗だ。四角い紙がこんな綺麗な飾りになるなんてすごく不思議だ……」
「もっといろいろあるよ。ほら、これが船ね」
「凄い、凄いよ、モニカ!」
私の折り紙のレパートリーはそれほど多くはないんだけど、ラルフを喜ばせるには十分だったみたいだ。私の折り紙指南にラルフは夢中になって、ラルフの部屋はいつの間にか折り紙だらけになった。でも最初のころよりは随分笑顔が多くなったと思う。そんなラルフを見て安堵する自分に心底驚く。
(他人の笑顔を見て嬉しいと思うなんて、私らしくない……。でもラルフの笑顔を見てるとなんだか)
心が救われるのだ。ラルフと一緒にいると、自分の価値感で他人も自分も計って、一喜一憂していたのが馬鹿みたいだ。
「モニカ、ずっと僕の側にいてくれる?」
「うん、いるよ。ラルフが他の男の子と同じくらい元気になるまでは一緒にいるよ」
「モニカ、ありがとう」
「ううん、お礼を言うのは私のほうだよ。ラルフのお陰で私の心は救われたの。ありがとう、ラルフ」
「ウフフッ。モニカ、好き!」
「私もラルフが好きだよ」
弟がいたらこんな感じなんだろうか。最近、私の心は満たされている。自分や他人の外見にあれほどこだわってた理由が、今では全く分からない。ラルフの笑顔を見ていると、外見のことを考えるのが馬鹿らしくなってくるのだ。
少しだけ元気がでてきたラルフを誘って、最近は屋敷の庭を三十分だけ一緒に散歩している。ラルフの顔色も少し良くなってきたように思う。でも無理をさせたりはしない。少しずつ外の空気にも慣れさせて、たくさん笑わせる。ラルフが笑うと私も嬉しい。そんなことを思い始めたころ、侍女の先輩が私の顔を見て告げる。
「モニカ、貴女の顔、最初のころと比べると随分変わってきたわね。というか、全くの別人に見えるわ。徐々に変化してたから気付かなかったけど」
「そうですか?」
私はこんな外見になってから全く鏡を見なくなった。髪を結うくらいだったら鏡を見なくてもできるし、自分の顔を見るのがとても嫌だったからだ。
侍女の先輩がそう言ってくれて嬉しかった。嬉しかったけど特別興味が湧かなかった。ラルフと過ごすようになって三か月もしたころには、私は自分の顔立ちにあまり興味がなくなっていた。
顔の表面の鱗はなくなっていた。だけど首の辺りにはまだ鱗が残っていた。これまでは驚かせるといけないから屋敷への来客の対応はしなかったけど、皆が忙しいときにはさせてもらうことにした。首の鱗が見えないように包帯を巻くことにした。
そんなある日のことだった。屋敷にコリンナさまの友人であるビアンカさまが訪ねてきた。ラルフの快気祝いに招待されたらしい。これまでもときどきは訪ねてきていたのだろうけど、私はラルフさまの側にいたので会う機会がなかった。
「紹介するね。彼女はモニカ。今は侍女をしてもらっているけど、僕の一番大切な友人なんだ」
「モニカと申します。よろしくお願いいたします」
ラルフがビアンカさまとお付きの侍女に私を紹介してくれた。私はビアンカさまのお付きの侍女を見て思わず首を傾げる。その侍女は大変可愛らしい見た目をしていた。蜂蜜色の金髪にエメラルドグリーンの瞳。どこかで見たような気がするんだけど……思い出せない。
だけど不思議に感じたのは既視感があるからではなかった。その侍女が私の顔を見て驚いたように目を瞠っているのだ。今の私はほぼ以前の顔立ちに戻っているはず。驚かれるほど醜いわけではないはずだ。一体この侍女は何に驚いているんだろう。
ビアンカさまがラルフに侍女の紹介をする。その侍女はようやく視線をラルフに戻した。
「ラルフ、この子は私の侍女でクリスというのよ。よろしくね」
「クリスさん、よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
ラルフとコリンナさまとビアンカさまが三人で歓談を始めたあと、私はクリスという少女に思い切って話しかけてみることにした。
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