第120話 ルーデンドルフを出て(モニカ視点)

 アルさまに真実の仮面を着けられたときにはわけが分からずに混乱した。鏡を見なくても、顔の皮膚が引きつって形を変えていくのが感触で分かる。拘束が解かれたあとに自分の顔に触れたときの絶望感は計り知れないものがあった。

 顔の表面には鱗らしき感触があり、変温動物のようにひんやりと濡れたような冷たい肌、初めて鏡を見たときの衝撃は筆舌に尽くし難い。


(なぜ私がこんな目に遭わなくちゃいけないの。私はヒロインなのに! 私の世界なのに! 私を愛してくれるはずのアルさまやローレンツさまの関心を奪ったルイーゼにちょっとお仕置きしただけじゃない!)


 可愛くないどころじゃない。鏡に映った醜悪な外見に目を逸らさずにはいられなかった。こんなに醜くなってしまったら、もう生きていけない。どこにも行けない……。


「こんな顔じゃ領地にも帰れない……。お父さまやお母さまの反応を考えると怖くて顔を見せられないわ……」


 途方に暮れていた私のことを不憫に思ってくれたのだろう。学園の教師から憐れみとともに貰ったショールを頭から被って、目以外の全てを覆うように隠して学園をあとにした。

 最初のほうはなぜ自分がこんな目に遭わされるのかという憤りを感じていたけど、時間が経って幾分気持ちが落ち着いてきた。すると、アルさまに対する困惑やルイーゼに対する憎しみよりも、これからどうやって生きていけばいいのかという目の前の不安に心が浸食されていた。


「これからどこへ行こう……」


 こんな不気味な姿をした私はきっとどこへ行っても厭われる。だからといって、幼いころから蝶よ花よともてはやしてくれた両親の元へ戻って失望されるのは絶対に嫌だ。両親も使用人も皆私の可愛い姿を記憶に残しているのだ。身近な人間の心の中にある私のイメージを壊すのは自尊心が許さない。

 私は泣く泣く故郷であるルーデンドルフ王国をあとにした。僅かに持っていた所持金で馬車に乗って隣国――マインハイム王国へと向かった。私のことを知る者が誰一人いない場所へ行けば、こんな顔でも新しい生活ができると思った。


「お金を稼がないと……」


 いくら醜くても死ぬのは嫌だ。生きていくためにはお金を稼がなければならない。娼館に身を落とすなんて不本意だけど、生きていくためには手段を選んではいられない。とはいえ、こんな見た目じゃ雇ってもらえないだろう。

 裏方ならどうだろう。ああ、でも幼いころから身の回りのことを全て侍女に任せきりだった私は手仕事の一つもできない。

 考えてばかりでも埒が明かないので、手当たり次第に募集の紙が貼ってある場所に片っ端から乗り込んでみた。だけど結果は惨敗だった。

 この国では明らかに人手不足の職場が多いように見えるのに、醜い私はどこに申し込んでも雇ってもらえない。このまま食べることもままならないまま、弱って死んでいくしかないんだろうか。

 これまで私は自分の外見を武器にやりたい放題だった。可愛いことで全てが許されると思っていた。見た目と庇護欲を煽る仕草で周囲に可愛がられて、全てが順風満帆だった。

 事故に遭って途中でリタイアしたけど、前世ですらそうだったのだ。ちょっと我が儘なことをやらかしても、「ごめんね。許して」と笑って首を傾げればすぐに許してもらえた。

 外見が全て――それがこの、持ち主の心をそのまま外見に映し出す真実の仮面のせいで、そのまま自分に跳ね返ってきた。私自身も相手の外見しか見てなかった。醜いものが大嫌いだった。

 だけど今は自分がその醜いものになり下がってしまった。外見で他人の価値を決めてきた私が、同じく外見で価値を判断する人間に蔑まれ排除されるのだ。こんなの笑うしかない。


「私の心ってこんなに醜かったんだ……」


 信じられずに何度も触った自分の顔を再び触って、ひんやりとした感触に絶望する。いつの間にか元に戻っているんじゃないかという希望を持って、思わず何度も触ってしまう。そしてその度に絶望するのだ。私は永久に元に戻れないのかもしれないと。

 失意のあまりに路地裏で蹲って動けなくなった。疲れてもう歩けない。お腹が空いた。温かいベッドでゆっくり眠りたい。私はこのまま死ぬのかもしれない。ああ、死んでしまったら今度こそ幸せなヒロインに生まれ変われるかも……。


「ねえ、君、大丈夫?」


 蹲ったまま目を閉じようとしたところで、頭上から鈴の鳴るような声がした。地獄行きだと思ってたのに天使さまが迎えに来たのだろうか。

 ショールの隙間から見上げると、二つの綺麗な焦げ茶色のキラキラとした瞳が私を見下ろしている。

 私を見下ろしていたのは十才くらいの美少年だった。端正な顔立ちに焦げ茶色のちょっと癖のある髪がふわふわしていて、くりっとした焦げ茶色の瞳がまるで小動物のように可愛らしい。

 身なりを見た感じでは貴族に間違いない。少年の後ろには侍従らしき中年の紳士が控えていて、そのさらに後ろには馬車が止まっている。

 ただ少年の顔色は青白く、あまり血色がよくない。私に伸ばされた腕もぽきりと折れそうなくらいにか細い。今にも消えてしまいそうな儚げな雰囲気だ。

 だけど今は他人の美しさが妬ましい。美しいものなんて全て滅んでしまえばいい。目の前の恵まれた少年に対して妬ましい感情が沸々と湧いてくる。それなのにその美しい少年は私に対してさらに憐れみの眼差しを向けてくる。


「泣いてるの? お腹空いてるの?」


 きっとこの少年も私の顔を見たら怯えて逃げていくだろう。醜いと罵られて足で蹴られて唾を吐かれるかもしれない。私の胸の中は卑屈な気持ちと絶望感でいっぱいだった。

 そんな目に遭うくらいだったらいっそ……。――私はゆっくりとショールを下ろして少年の顔を真っ直ぐに見た。


「ほら、見なさいよ。こんな見た目の女よ。気持ち悪いでしょう? さっさと行きなさいよ」


 怯えて失望されて逃げられる前に自分から追い払ってやる。粉々に砕かれてあまり残っていないささやかな自尊心を守るために。


「見た目? もしかして君は病気なの? 見た目と君が弱っていることと何か関係があるの?」

「何よ、あんたっ……! 私が気持ち悪くないの!? 本当は醜いと思ってるんでしょう!? 早くあっち行ってよ!」


 感情が表情として伝わっているのか怪しいこの冷血動物然とした顔で少年を追い立てる。こんな見た目が綺麗な少年に私の気持ちが分かって堪るもんか!


「君がなぜそう思っているのか分からないけど、君を見て醜いとか気持ち悪いとかは思わないよ。確かにちょっと個性的かなとは思うけど、顔って皆それぞれ違うじゃない。パーツの配置されてる位置とか肌の色とか」

「それはそうだけど、あんた感覚がおかしいんじゃないの?」

「そうかなぁ? フフッ」

「そうよ! 何笑ってんのよ!」


 少年がおかしそうに笑うのを見て、毒気が抜かれる。私がずっと絶対的な価値基準にしてきた美を、個性とか顔のパーツの配置とか言いきって笑ったのだ。変な子! 変な子!


「僕の名前はラルフっていうんだ。そんなことより、今にも消えてしまいそうな君のことが気になって声をかけたんだ。僕は体が弱いから君みたいな子を見ると放っておけなくて……」

「あんた、体が弱いの?」


 目の前の少年は何でも持っていそうなのに。裕福そうで、美しくて、何も困っていなそうなのに。私は体が丈夫だから少年の気持ちがあまり分からない。


「うん。ねえ、君の名前は何ていうの?」

「モニカよ。私なんかに声かけて、あんた、馬鹿じゃないの! 私は心も醜いんだからね」

「フフ。モニカ、自分でそんなことを言うなんて、面白い人だね。ねえ、僕のお屋敷に来ない?」

「何言ってるの! そんなことしたらあんたの両親にどんな目に遭わされるか!」


 現にラルフの側に控えている侍従みたいな人が、困ったような顔で私たちの様子を見ている。子供の気紛れにつきあって、あとで酷い目に遭わされたら割に合わない。


「僕の両親はそんなことしないよ。僕が何かしても、ちゃんと理由があることを理解してくれているから。僕のために一緒に来てよ」

「あんたねぇ……」


 侍従の人をちらりと見たら諦めたように溜息を吐いた。本当に一緒に行ってもいいんだろうか。この国に来てから散々な目に遭ったのだ。他人に裏切られるのが怖い。


「迷惑だって言われたらすぐに出ていくからね」

「うん、ありがとう。僕はあんたじゃなくてラルフだよ。さあ、行こう。モニカ」


 私はこうしてラルフに拉致されたのだ。




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