第111話 違和感(テレージア視点)

 最近ニクラウスの様子がおかしい。ルイーゼと話しているときに、ニクラウスのルイーゼに向ける視線に違和感を感じるのだ。

 最初はルイーゼに好意を寄せているのかと思った。けれどしばらく観察してみて気付いた。ニクラウスがルイーゼに対して抱いているのは、好意ではなくどちらかというと悪意なのではないかと。

 授業中、護衛騎士たちは教室の外で待つことになっている。だがニクラウスは授業中によく席を外しているようだ。外で待っていたもう一人の護衛騎士であるギュンターに尋ねてみても、彼がどこに行っているのかは分からないという。

 一体ニクラウスはどこへ行っているのか。テレージアは思い切ってニクラウスに尋ねてみることにした。


「ご心配をおかけして申しわけございません。この国へ来てからなかなか体を動かすことが叶わないので、時間を見つけて剣の稽古をしているのです」

「そうなの。どこでしているの?」

「場所はいろいろですが、人目につかない裏庭が多いでしょうか」

「そう……」


 何の躊躇いもなく答えるニクラウスの言葉を一度は信用するも、そうたびたび護衛が席を外すようでは監督不行き届きでテレージアの責任と言われても仕方がない。

 ただニクラウスのルイーゼに対する感情がどうしても分からない。


「貴方、ルイーゼのことをどう思っているの?」

「……大変慎ましやかなご令嬢だと存じあげます」


 そんな建前の言葉を聞きたいわけじゃない。ニクラウスとは長いつきあいなのだ。ニクラウスが何らかの感情をルイーゼに持っていることは確かだ。


「ルイーゼのことが嫌いなの?」

「……いえ、ただ」

「ただ?」

「少々アルフォンス王太子殿下と距離が近いのではないかと」

「そうかしら」

「はい」


 ニクラウスの視線はそんな気持ちの表れだったのだろうか。どうもすっきりしない。確かにルイーゼはアルフォンスと仲がいいと思うけれど、ルイーゼがアルフォンスに対して特別な感情を持っているとは思えない。


 ある夜、テレージアは護衛騎士たちの部屋を訪れてみた。ニクラウスはいないようだ。街の酒場にでも行っているのだろうか。

 ギュンターに尋ねてみたら知らない間にいなくなっていたという。しかも質問したときに、ギュンターに「王宮内とはいえ、夜に一人で出歩くなどとんでもありません」と叱られてしまった。

 ギュンターに寝室まで送り届けられる途中、王宮の中庭を木の陰に隠れるように移動しているニクラウスに似た人物の姿を見つけた。


(……ニクラウス?)


 あんな場所を人目を忍ぶように移動しているニクラウスの様子に、激しく違和感を感じる。やはり何かがおかしい。

 私はギュンターの手前、一度私室に入る振りをした。そしてギュンターが立ち去ったのを見計らって、部屋から出てニクラウスを追った。

 時刻は二十時くらいだ。今からこっそり町の酒場へ飲みに行くのだろうか。ニクラウスの背中をようやく見つけたので、気付かれないようにあとをつける。

 随分歩いて、とうとう王宮の通用門近くの庭の外れにまで来てしまった。街へ行くために出入りする門とは違う。一体ニクラウスはこんな所に何の用事があるというのだろうか。

 ニクラウスが建物の角を曲がり姿が見えなくなったので、テレージアは角の所まで歩いて曲がり角の先の様子を覗いた。するとそこには知らない男たちが数人とニクラウスが立っていた。耳を澄ませると知らない男の話し声が聞こえてくる。


「……それで分かったのか」

「教える前に約束しろ」


 ニクラウスの険しい声が聞こえた。男たちはニクラウスの知り合いなのだろうか。


「なんだ」

「テレージア殿下には絶対に手を出さないと」


 ――私? どういうこと? ニクラウスは何を約束させているの?


「ああ、邪魔されない限りは出さないさ。さあ、教えろ」

「冷蔵庫の魔道具の発案者はルイーゼ・クレーマン侯爵令嬢だ」


 ――っ!


「……根拠は」

「開発者の男と話し合っているのを盗み聞きした」

「ふむ。分かった。近いうちにクレーマン邸に夜襲をかける」


 ――何ですって! ニクラウス、貴方は一体……!


「殿下には手を出すなよ」

「ああ、あんたがこのことを暴露すれば――分かってるな?」

「誰にも言わないから、約束しろ」

「フン。分かったよ」


 ――なんということだろう。すぐにアルフォンス殿下に報せなくては! このままではルイーゼが危ない。

 慌てて踵を返して驚いた。振り返ってみたら、見上げるほどの大男がテレージアを見下ろしていたのだ。


「こんな所で盗み聞きかぁ? 行儀作法がなっちゃいねぇんじゃねぇか? お姫さん」

「っ……!」


 言葉を失ったテレージアの鳩尾に激痛が走る。


「うっ!」

「バカだなぁ、折角騎士さんが守ろうとしてくれてんのによう」


 テレージアを嘲笑する男の声が次第に小さくなっていく。テレージアは薄れゆく意識の中で、なぜ、どうして、と繰り返していた。


  §


 目を覚ますと豪華な部屋の一室に横になっていた。どうやらベッドの上のようだ。窓の外からは光が差し込んでいる。朝なのか昼なのかは分からないけれど、夜が明けていることは確かだ。そして、この部屋の造りには見覚えがある。

 ――ここは、王宮?


「テレージア殿下っ……!」

「……ニクラウス?」


 ニクラウスはベッド脇で私をずっと見守っていたようだ。意識を失う前の最後の記憶がゆっくりと蘇ってくる。

 一体彼らは何者なのか。ルイーゼに何をしようとしているのか。ニクラウスは彼らの仲間なのか。泣きそうな顔で見下ろすニクラウスに、テレージアは問いかける。


「ニクラウス、貴方……」

「テレージア殿下、ご無事でよかった……。そして最後にお会いできてよかったです」

「え……」

「今からアルフォンス殿下とジークベルト殿下に全てをお話しにいきます。テレージア殿下はまだお休みになっていてください。お聞きになりたいことはいろいろとあるでしょうが、事情はあとからジークベルト殿下たちが説明してくださるでしょう」

「貴方、何を……」

「早く打ち明けないとクレーマン嬢が危ないのです」

「待って。私も行くわ」

「駄目です。休んでいてください。……それと、テレージア様」

「え?」

「ずっと……お慕いしておりました。どうか末永くお幸せに」

「っ……!」


 思わず言葉を失ってしまう。ニクラウスは穏やかに微笑みながら、一度も振り返らずに部屋から出ていった。

 やはりニクラウスはルイーゼの件に関わっているのだ。そしてルイーゼは今危機に瀕しているのだ。何ということだろう。ルイーゼが危険に晒されているのがテレージアの責任かもしれないと思うと、じっとしていられない。

 そしてニクラウスはアルフォンスに全てを打ち明けようとしている。もしニクラウスが罪を犯しているなら――死を受け入れるつもりなの? ニクラウスの泣きそうな顔が胸に蘇ってくる。

 ニクラウスを追わなくては。そして全てを知らなくては。――そう思い立って、まだ重い体をなんとかベッドから起こした。




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