第95話 復活の儀式


 朝の入浴を済ませたあとにドレッサーの前に座ったルイーゼの後ろには、熱したこてをスチャッと構えた二人の女スパイ……じゃなくてベテランの侍女が立っている。エマとアンナだ。二人はほんのり口角を上げて心なしか張り切っているように見える。


「久しぶりで腕が鳴りますわね、アンナ」

「まあ、私もですわ、エマ先輩」

「お、お手柔らかに……」


 鏡に映る二人の侍女の尋常ならざる気迫に気圧けおされて、ルイーゼはほんの少しだけ身の危険を感じた。そう言われてみればこの数日間というもの縦ロールをしていなかった。かといって学園に行く三時間前に起きるという習慣は完全に体に染みついてしまっていて、結局朝寝ができるということはなかった。いつもより丁寧に入浴して、いつもよりゆったりと紅茶を飲む時間が増えただけだ。


(恐るべし……縦ローリズム)


 ぼんやりとそんなことを考えていたら、いつの間にやら過去比一.五倍ほどのボリュームの蜂蜜色の縦ロールが出来上がっているではないか。そしてその後ろでは我が精鋭たちがやりきった感満載の笑みを浮かべてどや顔を披露している。


「……エマ、アンナ。これはちょっと張り切りすぎじゃないかしら……」

「あら、お嬢様。とてもゴージャスで素晴らしいですわ。ねえ、アンナ」

「ええ、私たちの最高傑作が出来上がりましたね、エマ先輩」

「そう……ありがとう」


 あまり素直には喜べないが、膨れたからといって別に髪の重量が変わるわけではない。このボリューミーな縦ロールを纏めている、テオパルトから貰った真っ赤なベルベットのリボンが若干悲鳴を上げているような気がするだけだ。テオパルトのリボンにはどうにか頑張ってもらわないと、この縦ロールが一気に膨れ上がってしまう。是非とも頑張ってほしい。


(これだけ髪がゴージャスなら化粧は薄くても大丈夫よね)


 髪はともかく、本来化粧をするのが嫌いなルイーゼにとっては、以前のような濃い化粧は苦痛以外の何ものでもない。肌が呼吸できないような気がして気持ち悪いのだ。ここのところすっぴんに近い生活を送っていて、すでにそれに慣れてしまっている。できることなら化粧はしたくない。エマとアンナの二人にはこれからも今朝のように頑張ってもらって、化粧は薄目で行こう、そうしよう。

 だがルイーゼは思う。自分はそのうちアフロにされるんじゃないだろうかと。


  §


 化粧を薄い赤の口紅だけで済ませたルイーゼは、出発の時間までエントランスでオスカーを待っていた。昨日はテオパルトが帰ってきたのは夜遅かったし、オスカーも友人の家へ行っていたようだ。そういったわけで、二人に婚約したことを報告することができなかった。オスカーには今から報告すればいいだろう。

 そんなことを考えていると、後ろから声にならない声が聞こえてきた。


「んぁ゛っ」


 振り返ってみると目をまん丸くしてあんぐりと口を開けたオスカーが立っていた。

 ――ああ、そうか。こういう格好は久しぶりだから?


「あら、オスカー。おはよう」

「おはようございます、姉上。今日はまた一段と……以前にも増して華やかでいらっしゃいますね」

「あら、そう? ありがとう。エマとアンナが頑張ってくれたのよ」


 なんだか懐かしいやり取りに胸がほんわかしてしまう。

 こんなやり取りを苦痛だと思っていた時期が私にもありました。今はオスカーの軽口だと分かっているので、こんな会話も楽しめる。


「……そうですか。どうしてまた急に……」

「アルフォンス様が、、以前のような装いで、、学園に来てほしいって、、仰ったから……ポッ」


 昨日のことを思い出して思わず顔に熱が集まってしまった。堪らず頬を両手で包んで左右に身を捩った。


「はぁ、またあの人は……仕方のない人ですね。多分手遅れだと思いますが」

「えっ、何が?」

「……いえ。それよりも、姉上、何かいいことでもあったんですか?」

「えっ、わかるぅ~? キャッ」

「……」


 ――あ、今オスカーが何を考えているのか分かった気がする。

 オスカーがなんだか可哀想な子を見るような眼差しでこちらを見ている。自分でも一瞬昔の自分に戻ってしまったと思った。

 馬車に乗り込んだあと学園に向かう途中で、昨日の放課後にアルフォンスと話した内容をオスカーに伝えた。転生者で前世の知識があることと、ここが乙女ゲーム世界であることを打ち明けたこと、そして求婚されてそれを受け入れたことをだ。

 オスカーはルイーゼの言葉をじっと聞いていた。そして全てを聞いたあと、ルイーゼに向かってにっこりと笑った。


「姉上、おめでとうございます。よかったですね、思いを伝えられて」

「オスカー……。ありがとう! 私、幸せになるわ!」


 ルイーゼの言葉を聞いて、オスカーが苦笑いをしながら答えた。


「姉上、そういうことを言うと何かよくないものを立てそうなのでやめたほうがいいですよ」

「え、そうかしら。もうアルフォンス様との間には何の障害もないわ!」

「だから姉上、それが……。まあいいです。僕もようやく肩の荷が下りました」

「まあ! それはよかったわね!」

「……ええ、お陰さまで」


 オスカーが苦笑したまま何かを諦めたように小さく溜息を吐いた。

 私はというと昨日のことを思い出して零れてくる笑みが抑えられない。自分でも知らない間に頭の中に花が咲き乱れてしまっているようだ。

 今は完全武装の外見に反して、精神的には警戒度零%の完全無防備状態だ。そんなルイーゼには、とてもじゃないが学園に潜んでいる心の闇など予想できるはずもなかった。




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