第94話 届いてほしい


 アルフォンスはルイーゼの手を包む両手に少しだけ力を入れてさらに言葉を続けた。


「ルイーゼが見た夢の俺は最低だと思う。大事なものを見失うなって殴りたくなるよ。きっと好色王の俺も君以外に大事なものが見つからなかったんじゃないかと思う。だけど好色王の俺はどうしようもない馬鹿だ」

「大事なもの……?」

「うん。だけど俺はルイーゼを見つけた。見つけて見失ったけど、もう一度見つけることができた。もう絶対に見失ったりはしない」

「……アルフォンス様」


 アルフォンスは少しだけ首を傾げながらルイーゼの瞳を覗き込んだ。アルフォンスのアメジストの瞳が何かを請い願うように揺らめいている。


「ルイーゼ、さっき君は『いくら好きでも』って言ったよね」

「え……」


 言っただろうか、そんなこと。……言ったかもしれない。切なげなアルフォンスの表情にぐっと心臓を鷲掴みにされるような気持ちになる。


「ルイーゼが前に好意がないって俺に言ったのは、もしかしてその未来の夢を見てたからじゃないの? 夢に見た未来が現実になるんじゃないかと思った?」

「それは……」


 確かにアルフォンスの言う通りだ。もし妃になって未来の夢が現実になってしまったら。そう考えるととてもアルフォンスと結婚はできないと思った。未来の夢のルイーゼの寂しさを……悲しみを知っているから。


「君がそう思っていたなら俺を拒絶して当然だ。だけど信じてほしい。……ルイーゼ、君に約束しよう。君と婚約したら、絶対に君の気持ちを踏みにじるようなことはしない。未来永劫、死が俺たちを分かつまで側妃を置くことはしないし、誰にもさせないと誓う。この命にかけてだ。魔法契約書を交わしても構わない」


 アルフォンスの力強い口調に戸惑ってしまう。それほどまでに夢の未来を強く否定されるとは予想しなかったからだ。


「そんなっ! もしっ、……もし、お世継ぎが生まれなかったら……どうするのですか」


 言葉を紡ぎながら悲しくなって最後のほうでは声が小さくなってしまった。流石に後継ができないのに側妃を置かないなどというのは国王も許さないのじゃないだろうか。


「王位継承権を持つ者は他にもいる。子ができなかったら別の王位継承者に王位を譲ればいいだけのことだ。まだ陛下は当分健在だしね。あの人、上手いこと仕事に手を抜く人だからきっと長生きするよ」

「フフッ、そんなこと……」


 アルフォンスの予想外のカミングアウトに思わず笑ってしまった。国王の過労死がなさそうで何よりだ。


「……やっと笑ってくれた。妃はずっとルイーゼ一人だけだ。俺にはルイーゼ以外要らない。好色王には絶対にならない。……それでも俺に好意を持ってはくれない?」

「アルフォンス様……」


 未来永劫側妃は持たない。好色王にはならない。そう力強く約束してくれたアルフォンスにずっと昔から抱いていた気持ちを誤魔化す必要があるだろうか。未来への懸念がなくなった今、精一杯の誠意を伝えてくれたアルフォンスには本当の気持ちを伝えるべきじゃないだろうか。いや、伝えたい。ずっと伝えたかった。

 気持ちを言葉にして伝えようとすればするほど顔が熱くなってくる。きっと今ルイーゼの顔は、恥ずかしさで耳まで真っ赤になってしまっているだろう。ルイーゼは俯いたままアルフォンスにずっと心の中にあった本当の気持ちを言葉にして告げた。


「アルフォンス様、私はずっと幼いころからアルフォンス様のことをお慕いしていました。そして今も……その、大好きです」


 言った。言ってしまった。もう引き返せない。アルフォンスの反応が気になってちらりとその表情を窺う。

 ルイーゼの言葉を聞いたアルフォンスのアメジストの瞳が大きく見開かれている。息が止まっているように見える。そんなに驚かせてしまったのだろうか。……まだ固まっている。まさか意識がなくなっているとか……?


「……アルフォンス様?」


 ルイーゼはアルフォンスの目の前に片手をかざして左右に振ってみた。するとアルフォンスが突然椅子から立ち上がって、ルイーゼの腕を掴んで引き寄せた。


「あ……!」

「ルイーゼ! ルイーゼ、ルイーゼ! ああ、嘘みたいだ! 嬉しい!」


 アルフォンスは引き寄せたルイーゼの背中に両腕を回してぎゅっと抱きしめた。


(温かい……。私も嬉しい……。……でも、苦しい)


 あまりにぎゅうぎゅうと力任せに抱きしめられて、ルイーゼは苦しくなってしまった。このままでは呼吸困難に陥ってしまう。


「アルフォンス様、くっ、苦しいですっ」

「ご、ごめん!」


 背中に腕を回したまま少しだけ力を緩めてできた空間で、アルフォンスがルイーゼの顔をじっと見つめる。アルフォンスの顔がとても近い。美貌の王子のドアップは凄まじい破壊力だ。そのまま少しずつ顔が近づいてきたので、恥ずかしさに堪えきれずぎゅっと目を閉じてしまった。


(キスされる……!?)


 急展開に頭がついていかず、ぎゅっと目を閉じたままそのときを待ったけど何も起こらない。おかしいなと思って恐る恐る目を開けた。するとアルフォンスはルイーゼの目をじっと見つめながら、眉根を寄せてぎゅっと唇を真一文字に結んでいた。なんだか切なそうに見える。


「怖がらせてごめん。今はこれで十分……。ルイーゼ、気持ちに応えてくれてありがとう。俺も君のことが好きだ。君のことが何よりも大切だ。絶対に幸せにする。約束するよ」

「アルフォンス様……」


 アルフォンスは背中に回した手でルイーゼの髪を優しく撫でた。そして今までに見たことがないような優しい笑みを浮かべている。まるで大切なものを慈しむかのようなアルフォンスの笑顔に、ルイーゼの胸は幸せな気持ちで満たされていく。

 キスはされなかった……。安心したようなちょっと残念なような気持ちだけど、時間はたくさんある。この先はアルフォンスのことを大切にしたい。アルフォンスを思う気持ちも大事に育てていきたい。この優しくて柔らかな関係を大切にしていこうと、ルイーゼは強く心に決めた。

 アルフォンスはゆっくりとルイーゼの体を解放した。そして跪いてルイーゼの左手を取って指に口づけて告げた。


「ルイーゼ、改めて申し込ませてほしい。どうか私と結婚してもらえませんか?」

「……はい、謹んでお受けいたします」

「ありがとう……」


 感無量といった表情でアルフォンスが立ち上がってルイーゼの両手を自分の両手で握る。こんなに幸せでいいのだろうか。なんだか怖い。


「これからのことは二人で話し合っていこう。婚約者は君に決まったと陛下に報告するよ」

「承知しました。アルフォンス様、正式に決まるまではこのことを口外しない方がいいですか?」

「いや、むしろどんどん言っていいよ。反対されることはまずあり得ないし、反対されても絶対諦めないし。あと一つだけお願いがあるんだけどな」

「……? 何でしょう?」

「君がよければでいいんだけど。……以前のような恰好で学園に来てくれると嬉しい」

「……はい?」


 以前のような恰好……縦ロールと化粧のことだろうか。アルフォンスの予想外の言葉に、ルイーゼは思わず耳を疑ってしまった。




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