第90話 ジークベルトの見学


 モンブランの仕上がりは上出来だった。生栗から作ったモンブランは風味が豊かで優しい甘さだった。

 製菓班の皆がそれぞれモンブランを食べながら口々に感想を漏らす。皆の美味しそうな笑顔が嬉しい。


「優しい甘さね。私これ好きだわ」

「うーん、美味しい!」

「この見た目が面白いわね。チュルチュルでフワフワしてる」


 テーブルを囲んで皆で談笑していると、隣に座っていたカミラが突然ルイーゼのほうを向いて頭を下げた。そして頭を上げて嬉しそうに話し始めた。


「ルイーゼ、昨日『ロイのパン屋』へ行ってきたの。そしたら貴女が助けてくれたってロイに聞いて……。私、何もできなくてごめんなさい。そして本当にありがとう!」

「カミラ……。いいのよ。美味しいパン屋がなくなるなんて私にとっても大きな損失だもの。それにちゃんと見返りはあるんだから、貴女が気にすることはないのよ」

「……貴女って本当にいい人ね。ロイとニコラさんがとても喜んでいたわ。いくらお礼をしてもし足りないって。だから私ね、ルイーゼは食いしん坊だから、どこよりも美味しいパンを作ることが恩返しになるって言っておいたわ」

「あら、私、そんなに食いしん坊かしら。……フフ、でも美味しいパンが恩返しっていうのは正解よ」


 ルイーゼが笑って話すとカミラも嬉しそうに笑った。どうやら『ロイのパン屋』は上手くいっているようだ。今は亡きマルクの夢の結晶を、そしてロイとニコラの幸せを守ることができて本当によかった。近いうちにまたパンを買いに行くことにしよう。

 ふと視線を感じてテーブルの向かい側に目をやる。そこには自然に皆に混ざってモンブランを口にしているジークベルトの姿があった。お菓子が出来上がった際に、ルイーゼの分のモンブランをジークベルトに勧めたのだ。何の目的があるにしろ、わざわざ製菓クラブの見学に来た王族をスルーするわけにはいかなかった。手作りの食べ物は断られるかとも思ったが、ジークベルトは喜んで受け入れた。

 ジークベルトは皆と一緒のテーブルを囲んで、モンブランを食しながらとてもいい笑顔を浮かべている。そして、この女子ばかりの会合に思いっきり馴染んでいる。すぐに他人との距離感を詰めて自然に集団に馴染むのはジークベルトの特技だろうか。王族とは思えない。


「いやぁ、美味しいね、このモンブランっていうお菓子。誰が考えたの?」

「ルイーゼですわ。彼女の作るお菓子は絶品ですの」

「へぇ。凄いね、ルイーゼは」


 部員の一人が誇らしげに答えると、ジークベルトがにこりと笑ってこちらを見る。その笑顔に特に他意は感じられないが、王族の笑顔ほど信じられないものはない。この事実は誰のお陰とは言わないが、割と最近になって気付いたことである。記憶が蘇る前のルイーゼなら素直に受け取っていただろうが、三十路OLの記憶を得た今は、相手の真意を勘ぐってしまうのだ。


(合計四十六年の人生を歩んでいることになるのよね。こういうのもれたっていうのかしら……)


 美味しいモンブランを口にしながらも、ジークベルトが先ほど発した言葉が頭に引っかかってゆっくり味わうこともできない。ジークベルトから何も関わってこないのならばこのまま気付かなかった振りをしたほうがいいのだろうか。それとも魂胆を探ったほうがいいのだろうか。

 そもそもなぜジークベルトは調理室へ来たのだろうか。製菓クラブの活動をわざわざ見に来たのか、それともルイーゼに接触するために来たのか。どちらにしても調理室はフラリと立ち寄るような場所ではない。何らかの目的があって来たことは間違いない。

 ジークベルトが談笑の合間にさり気なくルイーゼに問いかける。


「ルイーゼ、あとで話があるんだけどいいかな?」

「……承知しました」


 来た……。どうやらルイーゼに会うことが目的だったようだ。カミラが心配そうにちらりとこちらを見る。ジークベルトは調理室で王族だということを自らは明かさなかった。もうすでにジークベルトが何者なのかを知っている学生がいるかもしれないが、本人が明かさないことをルイーゼが言うわけにはいかない。カミラはジークベルトが王族だということを知っているのだろうか。

 心配させてはいけないと考えて、ルイーゼは後片付けをしながらカミラにこっそりと打ち明けた。


「カミラ、彼はマインハイム王国の第二王子殿下なの。今日から学園に通われてるのよ。そのうち他の皆も知ることになると思うけど、先に言っておくわ」

「そうだったの……。その王子殿下がルイーゼに何の用事があるのかしら」

「分からない。……でも多分たいしたことではないと思うわ。心配かけてごめんなさい」

「……何か困ったことが起きたらちゃんと相談してね」

「ええ、ありがとう」


 カミラには前世の知識があるということを打ち明けたことはない。知っているのはオスカーとテオパルト、そして侍女のエマだけだ。だからジークベルトに今抱いている推測を話すことはできなかった。そしてたいしたことではないと言っても、カミラの心配そうな表情が消えることはなかった。

 ジークベルトの用件が何なのかはまだ分からないが、とにかく彼と話すしかない。

 片付けが終わって皆が調理室を出たあとに、ジークベルトと向き合って座った。モニカと二人きりのときに襲われた過去を思い出して、少しだけ身震いする。今日はオスカーは用事があってここへ来ることはない。とはいえ、学園にはまだ多くの人が残っている。何かあれば大声を出せば誰かが来てくれる。念のためにジークベルトとの距離は充分にとってあるし、警戒を怠らなければ大丈夫だろう。

 警戒しながら待ち構えるルイーゼに、ジークベルトはゆっくりと口を開いた。


「ルイーゼ、君にお願いしたいことがあるんだ」

「……何でしょうか」


 恐る恐る聞き返すと、ジークベルトが今までに見たことのないような真剣な眼差しで真っ直ぐにルイーゼを見て答えた。


「ルイーゼにうちの国に来てほしいんだ」


 あまりに予想外なジークベルトの言葉に、ルイーゼはすぐには理解が追いつかず、しばらく呆然と固まってしまった。



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