第89話 モンブラン


 教室に向かう途中でテレージアが頬を染めながらルイーゼに告げる。


「アルフォンス殿下は本当にお優しくて素敵な方ですね。兄上とは大違いですわ」

「そうなのですか?」

「ええ、いつもニコニコしているけれど、ああ見えてかなり腹黒なんですよ。ルイーゼも騙されては駄目ですよ」

「そんなことを仰ってはお可哀想ですよ」


 ルイーゼは知っている。テレージアが優しくて素敵と評価するアルフォンスもかなりの腹黒だということを。だがどうやら今のところ王女殿下にはばれていないようだ。

 とはいえ、ルイーゼにとってはアルフォンスはいつも優しいし、その心を隠したりはしていないと分かっている。頬の傷もだいぶ薄くなってはいたが、痕は残ってしまうかもしれないな……。アルフォンスのことを思い出して、思わずほうっと溜息を吐いてしまった。

 それにしてもテレージアは随分気さくな女性のようだ。とても話しやすい。きっとテレージアならアルフォンスのことも幸せに……。

 テレージアを教室に案内したあともルイーゼの胸のモヤモヤが消えることはなかった。


  §


 放課後、製菓クラブに参加するために調理室へと向かった。今日のお題を話し合うために班の皆で調理台を囲む。すると突然カミラが台の下から大きな紙袋を取り出して、ドンと台の上に置いた。皆が首を傾げる中、カミラが紙袋の一つを開いて見せる。


「栗です。領地のほうから大量にいただいたのを持ってきました。なので、今日は栗を使ったお菓子でお願いします。ねっ、ルイーゼ」

「わっ、私!?」


 栗……下準備に時間がかかるけれど、大丈夫だろうか。栗の皮剥きはあまり得意じゃないのだけど。いや、むしろ苦手……。


「あ、一応、一晩水に浸けてきたのを持ってきたから」


 流石カミラ、用意周到だ。ここまで準備してくれたのならばやるしかない。


「ありがとう。じゃあモンブランケーキを作りましょう」

「もんぶらん?」

「ええ、モンブラン」


 モンブランもこの世界にはないのか。語源がアルプスの山だからこの世界にないのは当たり前か。似たような味のクリームはあるかもしれないけど。口金や絞り袋もなかった世界に、あのチュルチュルはきっと存在しないだろう。

 カミラの栗を大きな鍋に入れてたっぷりの水を入れて火にかけて、一時間くらい茹でる。


「その間にカップケーキを作りましょうか」


 カップケーキは以前作ったことがあるので皆手慣れたものだ。全卵を攪拌して砂糖を少しずつ入れて溶かしバターを混ぜたものに粉をふるい入れる。出来上がった生地をカップに分けてオーブンに入れて焼く。ベーキングパウダーがあればもっと簡単にできるのだけど。

 ようやく茹であがった栗を半分に切ってスプーンで殻からくりぬいていく。どうせ潰すのだからボロボロになっても構わない。この大量の栗……見ているだけで目眩がしそうだけど、皆でやればきっと早く終わるはずだ。

 フードプロセッサーなどというものは当然ないので煮る前になるべく細かくしたい。栗の実を目の細かいザルで二回ほど裏ごしする。これがかなり根気がいる作業だ。

 細かくなった栗の実を鍋に入れて砂糖と牛乳を加えて煮る。いい感じの硬さに調整しつつ、滑らかになったらラム酒を加えて香りを付ける。アルコールを軽く飛ばして出来上がりだ。

 もしフードプロセッサーがあったら最初は裏ごしせずに、この段階でガーッと細かくできるから楽なのよね。フードプロセッサー……欲しい。


「ルイーゼ、このあとどうするの?」

「フフフ。チャッチャラー! 絞り口金!」

「しぼりくちがね?」


 ルイーゼは昨日届いたばかりの特注口金を製菓クラブに持ってきていた。いつか使うかもしれないと考えて、『ロイのパン』のニコラの伝手を頼って金物店に特注しておいたのだ。クラブ用と家用に二セット頼んでおいてよかった。

 口金の種類は星型、丸型などいろいろあるが、今回使うのは穴がいくつか開いているモンブラン用の口金だ。粒が多少混じっていてもいいように少し大きめの穴が四つだけ開いているものだ。

 絞り袋には蝋引き紙を使うことにする。熱いものではないので特に問題はないだろう。ロート状に丸めて固定した蝋引き紙の先を切って口金を落とし、出来上がった栗のクリームを入れていく。


「うん、いい感じ!」


 予め焼いて冷ましておいたカップケーキに栗のクリームを絞り出していく。クリームが上手く出てきたので一安心だ。作業をしていると、他の部員がうずうずしながら見守っている様子に気付いた。これはやってみたいよね。


「皆、やってみる?」

「やってみたいわ!」

「やりたい!」


 ほとんどの班員が名乗りを上げた。最後のデコレーションはわいわいやったほうが楽しい。多少不格好になってもいいのだ。

 絞り終わったケーキの真ん中に予め綺麗に剥いていた栗を砂糖と水で煮たものを載せていく。初めてにしては上出来だと思う。


「できたぁ……」

「わぁ、綺麗」

「美味しそう!」

「へぇ、それモンブラン?」


 ん? 今最後に男子の声が……。

 声のほうを振り向くと、皆の中に自然に溶け込むようにジークベルトが立っていた。いつの間に……。

 多分来たばかりだろうけど、ルイーゼは今しがた耳にした言葉を信じられないでいる。


「ジークベルト様……」


 先ほどの言葉から導き出される推測……。

 ルイーゼは得体の知れないジークベルトの存在に計り知れないほどの不安を覚えた。




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