第87話 ランチタイム
会場を挟んで反対側の観戦席に座るアルフォンスの隣に、プラチナブロンドの髪を編み上げたとても美しい少女が座っている。少女はアルフォンスに向かって柔らかい微笑みを向けていた。そして少女の隣に彼女にそっくりの美しい少年が座っている。肩口ほどの長さのさらさらの髪と凛とした表情で、かろうじてその少年が女性でないことが窺える。
二人とも美しい異国情緒あふれるデザインの装束を身に纏い、アルフォンスと会話を交わしているようだ。長椅子に座る三人の周囲には数人の騎士が護衛に立っている。
護衛騎士に囲まれたアルフォンスたちの一団は、その華やかさもあってかなり目立っていた。一体あのよく似た美しい少年と少女は何者なのだろうか。アルフォンスと隣の少女が微笑みを交わす様子に、ルイーゼの胸がチクリと痛む。
じくじくと痛む胸に手を当てて、唇をぎゅっと結んで考える。アルフォンスの好意に応えられないのにショックを受けるなんて筋違いもいいところだ。アルフォンスを傷つけたルイーゼに傷つく資格などない。夢に見た未来を回避して幸せになることが目標なのだから、アルフォンスが愛する人を見つけるのは望むところのはずだ。
数試合行われたあと昼の休憩時間となり、ルイーゼはカミラとオスカーとともに騎士団の食堂へ向かった。流石に他の男性騎士もいるためにローレンツの控室に行くのが憚られて、ローレンツとニーナには騎士団の食堂へ来てもらうことにしたのだ。
ルイーゼはバスケットの中に入った容器を一つずつ取り出しながら皆に説明する。
「皆で食べれるようにたくさん作ってきました。こっちのパンプキンシードの乗っているパンがカボチャアンパン、そしてこれがクリームパンです。そしてこの容器に入っているのはサンドイッチです。ゆで卵を刻んだものと、チーズとトマトを挟んだものがあります。さあ皆さん、お好きなパンをどうぞ」
「おお、美味しそうですね。差し入れありがとうございます、ルイーゼ嬢。そして今日は模擬戦を応援に来てくださってとても嬉しいです。感謝しています」
「いえ、模擬戦を見るのは初めてなので、こちらこそ楽しませてもらってますわ。誘っていただいてありがとうございます!」
ルイーゼがテーブルの上に容器を置き終わると、嬉しそうな笑みを浮かべたローレンツに感謝の言葉を告げられた。だが模擬戦を皆で観戦するといった楽しい体験をさせてもらったことで、むしろ感謝したいくらいだった。
するとローレンツに続いてニーナも笑顔を浮かべながら感謝の言葉を告げる。
「ルイーゼ、カミラ、オスカー様。皆様に応援していただいて私も嬉しかったですわ。退屈させてしまったのではないかと不安だったのですが、いかがだったでしょうか?」
「圧巻の強さで驚いたわ。ニーナは凄いって皆で話してたのよ。練習もたくさんしているのでしょう?」
「ええ、それなりに……。なんだか恥ずかしいですわ」
赤く染まる頬を両手で隠して身を捩る可憐で恥ずかしがり屋のニーナが、大男を呆気なく倒してしまった事実が未だに信じられない。人は見かけによらないということを、今日改めて実感してしまった。
差し入れに手を伸ばした全員が、それぞれの好みのパンを口にして目を丸くする。
「うーん、やっぱりルイーゼの作ったものは美味しいわ。パンも作るなんて本当に器用なのね。このカボチャ餡なんて、自然な甘さでパンによく合っててもう堪らないわ……!」
「カミラ嬢、こっちのクリームパンも甘くて美味しいですよ」
美味しそうにカボチャアンパンを口にするカミラに、オスカーがクリームパンも勧めている。
「あ、このクリームパンの中身って、前に作ったシュークリームの中に入っていたのと同じなのですね」
「ええ、カスタードクリームよ。美味しいでしょ」
オスカーの隣に座っているニーナがクリームパンの中のカスタードクリームの味に感動している。そういえばシュークリームはニーナのふわふわお菓子のリクエストで作ったんだっけ。
ローレンツはというと、刻んだゆで卵を挟んだサンドイッチを手に取っていた。卵サンドを一口食べて、驚いたように目を瞠る。ルイーゼはローレンツの表情を見て不安になり声をかけた。
「何かお口に合いませんでしたか?」
「いえ、とんでもない! この卵の中の酸味のあるクリーム状のものは何ですか? とても美味しいのですが……」
「それはマヨネーズっていうんですよ。最強の調味料の一つですわ」
「マヨネーズ……」
ローレンツはマヨネーズがお気に召したようだ。マヨラーの素質があるのかもしれない。マヨチュウをするほどではないが、ルイーゼもマヨネーズは好きだ。
食堂のテーブルを囲みながら皆で差し入れを口にしながら楽しく談笑していると、先ほどアルフォンスの近くに座っていたプラチナブロンドの美しい少年が、護衛騎士らしき男性と一緒に食堂へ入ってきた。少年の立ち居振る舞いは品があって美しい。恐らく高位貴族以上の身分だと予想される。少年はルイーゼたちを見つけると、嬉しそうな笑顔を浮かべて近付いてきた。
「やあ、初めまして。僕の名前はジークベルト。君たちは騎士殿とご友人かな?」
「は、はい。あの……」
「あ、いいよ。そのままで」
失礼があってはならないと思って立ち上がろうとするのを片手で制止された。そしてジークベルトがルイーゼに向かって胸に手を当てて軽く低頭し、顔を上げてニコリと微笑んだ。
「君、さっき反対側の応援席にいたでしょう。美しい人がいるなと思ってたんだよ。ぜひ君と話したいと思ってたんだ」
「え!?」
ジークベルトの不意打ちの世辞に戸惑い、つい狼狽えてしまった。一体この少年は何を考えているのだろう。美しい人なら観客席にいくらでもいたはずだが……。オスカーやローレンツが胡散臭そうに少年を見ている。いや、分かるけど……。
「王太子殿下がときどき君を見てたから、僕もついつられて見ちゃった。うん、近くで見ても可愛いね。ところでなんだか美味しそうなものを食べてるけど……これって何?」
ジークベルトがアイスブルーの瞳をきらきらさせながら、クリームパンを指差す。
「クリームパンといいます。中にカスタードクリームが入っているのです」
「……へえ」
「……? 一つお取りしましょうか?」
「ああ、じゃあいただこうかな」
ジークベルトはルイーゼが差し出した容器からクリームパンを一つ取りそのまま齧りついた。そしてその断面をじっと見つめながら呟く。
「……うん、美味しいね。ありがとう。これは誰が作ったの?」
「私です。クレーマン侯爵家のルイーゼと申します」
「そう、ルイーゼ嬢か。覚えておくよ。それじゃ、僕はもう行くね。皆さん、ごゆっくり」
ジークベルトは皆に一礼をして、クリームパンを手にしたまま護衛と一緒にその場を立ち去った。ルイーゼはジークベルトの背中を見送りながら、先ほどの会話を思い出す。会話の中でほんの一瞬ジークベルトの表情から笑みが消えた気がしたのだ。その一瞬がルイーゼの心の中に棘のように引っかかっていた。
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