第81話 露店販売


 パンが焼き上がったのでオーブンから天板を取り出す。クリームパンはグローブのような形に出来上がっている。芋アンパンのほうは真ん丸で少しへこんだ真ん中に黒胡麻がまぶしてある。辺りに焼き立てのパンの芳醇な香りが漂う。


(ああ、なんて美味しそうなんだろう! そしてなんて懐かしい見た目!)


 その懐かしい形にノスタルジックな気持ちを掻き立てられてしまう。ああ、会社近くにあったパン屋さんのアンパンは美味しかったな……。ふとそんな思い出が胸をよぎり、不覚にもちょっとだけ目頭が熱くなってしまった。

 さあ焼き立てをどうぞ!と言いたいところだが、中身が相当熱くなっていて味が分からないと思うので、少し冷ましてから試食することにする。皆の目線は焼き上がったクリームパンと芋アンパンに釘付けだ。もし今後食料品店で小豆を見つけたら餡子を作ってみよう。


 ある程度冷めたところで皆でパンを試食することにした。試作品はクリームパン十個、芋アンパン十個だ。出来上がった感じ、もう少し小さくしてもいいかもしれない。クリームパン一個で満足してしまっては他のパンが売れなくなってしまう。

 それぞれがパンを手に取り口にし始めた。ルイーゼもクリームパンを手に取り一口千切って口に運ぶ。真っ先に声をあげたのはロイだった。


「うわっ、何これっ! すっごく美味しいよ。甘くて、うちのパンの味とよく合ってる!」

「まあ、本当、美味しいわ! 何も付けなくてもこのまま食べれるわね」


 ニコラも口元を抑えながら目を丸くしている。そうなのだ。包むことでバターもジャムも要らないのだ。

 ローレンツもやはり同じように感嘆の声をあげる。


「驚きましたね。まるでパンがお菓子のようです。そのまま食べても甘い。一見何の変哲もないパンの中から甘いクリームが出てくるのがとても面白いですね」

「フフッ。皆気に入ってくれたみたいでよかったわ。ただし、今日作ったパンはその日のうちに食べないと駄目よ。保存はきかないからあまり作り過ぎないようにしてね」


 菓子パンの欠点としてはその日のうちに消費すべきという点だ。個人的には三日くらいどうってことはないが、商品だとそういうわけにもいかないだろう。フランスパンやブールなどの直焼きパンは水分が少ないからある程度保存も効くのだが。

 ルイーゼは試食が済んだところでニコラとロイに提案する。


「明日の土曜日、朝九時に私はここへ来ます。それまでにクリームパンと芋アンパンをそれぞれ百個焼いておいてください」

「えっ、百個も!? 今日あんなに売れ残ったのに、そんなにたくさん焼いて大丈夫なの?」


 ルイーゼの提案にロイが驚いて疑問を投げかけた。不安げなロイに、ルイーゼは優しく微笑みながら答える。


「大丈夫よ。出来上がったクリームパンと芋アンパンの半分を、広場に露店を出して私が売るわ。売るときには今までのパンとセットで売るようにする。一人一セット限定にして、もっと食べたい人は『ロイのパン屋』に買いに行くように誘導するの。できればパンの紙袋にこの店への案内図があるといいわね」

「……分かった。僕頑張るよ。紙袋に地図を書く」

「私も頑張ります。クリームパンと芋アンパンのレシピはあとでもう一度確認させてください。久しぶりの新商品で腕が鳴りますわ」

「二人とも頼もしいですね! レシピは紙に書いてお渡ししますね。あとでもう一度おさらいしましょう」


 ルイーゼの申し出を聞いて、ロイもニコラも乗り気になってきた。明日はルイーゼも頑張らなくては!と張り切ってきたところで、ローレンツがポンとルイーゼの肩に手を置いて、ニコリと微笑みながら釘を刺す。


「まさか一人で立つつもりではありませんよね? 貴女が一人で売り子をするなんて想像しただけで危なっかしいので、私もご一緒します。明日はよろしくお願いしますね」

「ローレンツ様……ありがとうございます!」


 なんて友だち思いの人だろう。義に厚い人だとは思っていたが、これほどとは思わなかった。だが日曜日には模擬戦があると言っていたのに、こんなにルイーゼにつきあっていて大丈夫なのだろうかと心配になってしまった。


 §


 翌日土曜日の朝、『ロイのパン屋』で待ち合わせていたローレンツに、あらかじめ準備してもらっていたパンを荷台に積んでもらった。準備を終わらせてローレンツと一緒に広場へ向かう。

 広場に露店を出して準備を始める。今日は髪を後ろで三つ編みにし、侍女のエマが進めてくれた膝下丈のエプロンドレスを身に着けた。ワインレッドのワンピースにフリルたっぷりの白のエプロンがついている。こんな可愛い恰好はしたことがないのだが本当に似合っているのだろうか。


「ルイーゼ嬢……とても可愛らしいです」

「あ、ありがとうございます……」


 ローレンツがルイーゼの姿を見て、いつになくほんのり頬を染めながら目を逸らすので、こちらまで頬が熱くなってくる。今この場に甘い空気が漂っている感じがするのは気のせいだろうか。

 試食用にクリームパンと芋アンパンを一口大にカットする。初めての売り子の仕事にワクワクして思わず笑みが零れる。作業の傍ら、ふとここ数日の間に感じていたことをローレンツに伝えた。


「ローレンツ様は本当に友だち思いなんですね。私の思い付きにここまでつきあってくださるなんて」


 ルイーゼの言葉を聞いてローレンツは商品を並べる手を止めてこちらをじっと見た。ルイーゼはそんなローレンツの反応が予想外で首を傾げてしまう。何か気に障るようなことを言ってしまったのだろうか。


「……なるほど。貴女にははっきりと言葉に出して言わないと伝わらないようですね」

「え?」


 ローレンツは真っ直ぐに立って一歩ルイーゼに近付いて、意志の強そうな翡翠の瞳でじっと見つめてくる。そんなローレンツの眼差しの熱さに戸惑い、一体何を言われるのだろうと困惑してしまった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る