第65話 恐怖


 ルイーゼは重怠い瞼をゆっくりと開く。どうやらどこかに寝かされているようで薄く開き始めた視界に黄ばんだ天井が映る。一体ここはどこで、自分はなぜここにいるんだろう。まだ靄のかかった意識をなんとか覚醒に導きながら記憶を辿る。記憶に残る最後の映像は、ストロベリーブロンドの毛先を指でくるくると弄りながらルイーゼを睥睨する紫紺の瞳と、楽しそうに弧を描く赤い唇。そうだ、モニカと話したのを最後に記憶が途切れたのだ。


 意識が覚醒してくるにつれ、自分が置かれている状況が掴めてくる。今自分はベッドの上に寝かされている。そして両手を紐で一括りに縛られて、ベッドのヘッドフレームのパイプに繋がれているようだ。両足首も何かで一括りに縛られている。

 そして微動だにしていないので目覚めたことには気付かれていないが、部屋にいるのはルイーゼだけではない。薄目を開けて確認できるだけで若い男が一人、壁際の椅子に座っているのが見える。


 どうやらルイーゼは見知らぬ場所に監禁されて見張られているらしい。今この部屋には見当たらないが、モニカが一枚噛んでいるとみて間違いないだろう。

 一体目的は何だろう。身代金か暴行か……モニカが首謀者ならお金が目的ということはないだろう。ということは暴行……。悪寒が走り、ブルリと震えたくなるのをどうにか堪える。それほどまでにモニカに憎まれていたのかと思うと地味にへこんでしまう。生まれてこのかた他人に激しい憎悪を向けられたことなどない。多分。

 突然ガチャリと扉の開く音がする。見張りの男とは別の誰かが入ってきたようだ。目を瞑ったまま耳を澄ませ音に集中する。聞こえてきたのは若い男の声だ。


「なあ、その子、まだ目ぇ覚まさねぇ? 退屈でしょうがねえ」

「ああ、まだみたいだな。目覚めるまでは手を出すなって言われてるからなぁ。報酬のためだ。我慢しろ」

「あの女も本当にえげつないよな。俺は別に眠ったままでも構わないんだがな。ククッ」


 怖い、怖い、怖い! 鈍いルイーゼでも男たちが何について話しているかくらいは分かる。目が覚めたら間違いなく襲われるということだ。意識がない間は手を出すなというのはモニカの指示だろうか。もしそうなら、死にたくなるほどの惨めな気持ちをルイーゼに味合わせたいという一心だろう。そこまで憎まれるなんて……。

 一体どのくらいの時間眠っていたのだろうか。はっきりとは分からないが、薄目を開けて窓のカーテンを見た感じ、今は夜だろう。オスカーはきっとルイーゼがいなくなったことにすぐ気付いてくれただろう。だが十中八九ここは学園ではない。この部屋が学園外のどこかだとすると探し出してもらえないのではないだろうか。もはやルイーゼの貞操は風前の灯火……。いざとなったら腕が千切れようが足が折れようが全身で力いっぱい抵抗してやる。だが今できるのは精々寝たふりをして襲われるのを遅らせることくらいだ。


(神様、助けて! オスカー……アルフォンス様!)


 もし襲われてしまったらアルフォンスの前には二度と姿を現せなくなるだろう。昼休み、最後に少しだけでも話しておけばよかった。アルフォンスの優しい笑顔が瞼の裏に浮かぶ。


「おい。この子、もう目ぇ覚めてんじゃねえ? 三十分は経ってるぞ」

「ふむ、狸寝入りってやつかもな……。もう無理矢理起こしちまうか」


 男たちのうちの一人がこちらに近づいてくる足音がする。ルイーゼは呼吸を整え意識のない振りを続けるべく集中する。男の気配がすぐ傍まで近づく。そして温かい何かが肩の上に置かれた瞬間、突然扉の外でガタンッと大きな物音がした。


「おい、待て……。ちょっと様子を見てくる。お前はその女を見張ってろ」


 入口に近いほうの男が抑えた声で指示を出したあと、扉を開けて出ていく音がした。そしてそのあと肩に触れていた温かいものが離れ、すぐ傍で男が息を飲んだのが分かった。

 ルイーゼは内心安堵する。一体あの音は何だろう。男の気配がすぐ傍にあるので薄目を開けることすらできない。仕方がないので耳に入ってくる音に全神経を集中させることにした。




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