第66話 侵入 (アルフォンス視点)


 学園から馬車を十分ほど走らせたところに目的のアパートはあった。アルフォンスは少し離れた場所に馬車を停車させる。馬車の扉を開けてモニカの頭を掴み、その顔を強引に目的のアパートへと向けて指差しながら尋ねる。


「ねえ、あそこで間違いないかな?」

「は、はい、間違いありません!」

「そう、じゃあしばらくここで大人しくしててね」


 怯えきった顔で答えたモニカの口を、馬車の御者席にあった手入れ用の布きれで塞ぐ。雑巾臭いが死にはしないだろう。アルフォンスがここを離れている間に誘拐だなんだと騒がれたら面倒だ。アルフォンスは馬車に乗る前に羽織ったローブのフードを深く被り直し、予め馬車に載せておいた剣を腰につけて準備を整えた。

 目的のアパートはかなり古い三階建ての建物で、あまり大きくはない。目的の部屋は三階の一番奥にあるという。侵入するにあたり、建物の周囲を確認する。特に不審人物は見当たらない。アパートは二階建ての民家に挟まれており、五十センチほどの隙間しか空いていない。近づいて確認すると、建物の入口の扉は古い木製でドアマンもいない。仮住まいとはいえ、とても貴族令嬢の住居とは思えない。侵入するには好都合だが。


 そのまま表の扉から静かに侵入する。入ってすぐの左側に一階の住居に続く廊下、右側に上へと続く階段がある。二階に上がる途中の踊り場まで上がって、階上の様子を窺う。人の気配がないのを確認してから、再び慎重に階段を上る。そしてようやく三階へ続く踊り場まで辿り着いた。

 姿勢を低くしながら階下から覗き込むように三階の廊下を確認する。どうやら廊下には誰もいないようだが、突き当りの奥の部屋から扉越しに男たちの話し声がする。あの部屋にルイーゼが監禁されているのだろうか。話の内容までは聞き取れないが、最低二人の男がいるようだ。

 階段を上がってすぐの所に隠れられそうな空間があったので、すかさずそこへ身を隠す。足元には清掃用具が置いてある。モップ、バケツ、雑巾などだ。壁の陰から奥の部屋の様子を窺いながら考える。何とか部屋の中の男を誘い出せないだろうか。


 腰の剣を抜いたあと、足元に置いてあったバケツを拾い、階段の下へ落とす。バケツが二階へ続く踊り場に落ちてガタンという金属音を響かせた。再び元の場所へと戻り、壁の陰から奥の部屋の様子を窺う。この音なら奥の部屋の中まで聞こえたはずだ。

 部屋の中の話し声が急に小さくなったことで気付かれたであろうことを悟る。何人出てくるかは賭けだ。話し声が止んだあとに若い男が一人、ゆっくりと扉を開けて出てきた。男は辺りを警戒しながら階段のほうへ慎重に近づく。そして階段の手摺りから下を覗き込んだ。

 今が絶好の機会だ。男がアルフォンスに背中を向けた瞬間、素早く後ろから近づいて声をあげさせないよう口を覆いつつ首を絞める。そして慌てて後ろを振り向こうとする男の首の後ろに剣の柄を思い切り打ちつけた。


「グッ……!」


 男の体から力が抜けて一気に重みが腕にかかる。アルフォンスはそのまま男の体を引き摺り、先ほどまで隠れていた空間まで移動させた。そして念のため男の持っていた短剣を奪っておく。

 再び奥の部屋の様子を窺うが特に動きはない。そのまま慎重に足を進め、途中にある手前の部屋の扉のノブを静かに回す。モニカに聞いていた通り空き家のようだ。伏兵の心配はないだろう。あとは突き当りまで全く隠れる場所がない。音を立てないよう気を付ながら真っ直ぐ足早に奥の扉へと向かった。

 ノブに手をかけ扉を開き、ようやく中へ突入する。だが部屋へ入った途端、目に飛び込んできた光景に戦慄する。若い男がルイーゼを後ろから羽交い絞めにし、首に短剣を突きつけて立っていたのだ。


「ア……!」


 目が合った瞬間ルイーゼが驚いたように目を瞠り、思わず口から出そうになったアルフォンスの名前をぐっと飲み込んだのが分かった。恐らく咄嗟にアルフォンスの正体を知られてはいけないと判断したのだろう。恐怖のせいかルイーゼが目に涙を溜めている。愛しい人に向けられた悪意に腸が煮えくり返る。そして懸命に恐怖を堪えるルイーゼの健気にも気丈な姿に胸が痛くなる。

 沸騰しそうな頭をなんとか鎮め、周囲の状況を確認する。部屋の中には男とルイーゼだけしかいない。ルイーゼは後ろ手に縛られている。男がこちらを睨みながらルイーゼの喉元に短剣の刃を向けている。浴室か何かに続く扉の向こうに人がいる気配はない。敵は目の前にいる男だけと見て間違いないだろう。そしてルイーゼはベッドの上に寝かされていたのだろう。足があったであろう位置に切られた紐が放置されている。突然ルイーゼを拘束している男がこちらを睨みつけて問いかけてくる。


「おい、お前……。仲間をどうした? この女の知り合いか? 答えろ!」

「あんたたちが女を連れてこの建物に入るのを目撃したから様子を見に来ただけだ。落ち着け」

「はッ! お前が味方じゃねえのだけは確かだ。その剣を置け! でないと……」

「ふっ……!」


 男が短剣の刃をルイーゼの首に直接当てる。ルイーゼが怯えて息を止める。アルフォンスが少しでも動けばルイーゼを傷つけてしまう。ここは言うとおりにするしかない。仕方なく手にしていた剣をゆっくりと床に置いた。


「両手を頭の後ろで組んでそのまま窓際まで歩け。早く!」

「……」


 男はこのままルイーゼを連れてどこかへ逃げるつもりだろう。ここで逃がしてしまえばもう追跡する手掛かりがなくなってしまう。どうしたらルイーゼを助けられるだろうか。身動きが取れないことが悔しくてぎりりと歯噛みする。仕方なく両手を頭の後ろに回したところで、突然ルイーゼが意識を失ったように男に凭れかかる。


「おっ、おいっ! くそっ、失神したのか!」


 膝から崩れ落ちそうになるルイーゼを見た瞬間、頭が真っ白になる。すると一度崩れ落ちそうになったルイーゼが低い姿勢から伸び上がって思いきり男の顎に頭突きをした。ルイーゼは意識を失った振りをしたのだろう。


「今です、早くっ!」

「この女ぁっ!」


 男は顎への打撃で一瞬ふらつくも、すぐに持ち直してしまう。中途半端な攻撃で逆上した男が短剣をルイーゼへと向けた。




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