第60話 半分解除


 月曜日、起床してから今日の装いをどうしようか、鏡の前に座り込んで悩んでしまう。土曜日に殿下に気持ちを打ち明けられて、婚約者になることをお断りしてしまった。そしてその希望は予想外にも難なく受け入れられた。だからアルフォンスに対するパフォーマンスはもう必要なくなった。ルイーゼがどんな格好をしていようが、アルフォンスの気持ちは変わらないだろう。

 前世の記憶が蘇る前はアルフォンスに見初めてもらうために武装していた。そして記憶が蘇ったあとは嫌われるためにさらに分厚い武装をしていた。

 そもそもルイーゼは本来着飾ることに興味はない。元々好きでやっていた格好ではないし、自分のセンスにも沿わない。早起きはしないといけないし手間はかかるし、理由がなくなった今武装する必要はないはずだ。

 ないはずなのだが……いきなり周囲の反応が変わるのが怖い。きっといきなり着ぐるみを脱いでしまえば、周囲の人間はルイーゼを判別できずに困惑するだろう。

 ルイーゼの素顔を知っているのはカミラをはじめとする製菓部関係者とオスカーとアルフォンスだけなのだ。


 一応学園へ行く3時間前には起床したから時間はある。鏡の前で散々悩んだ末に一つの結論に至った。いきなり着ぐるみを脱ぐのではなく一枚一枚玉ねぎの皮を剥くように武装解除してはどうだろうかと。

 そこで何から剥こうかと考える。縦ロールと化粧。どちらが混乱を招かないだろうか。ボリューミー縦ロールはルイーゼのシンボルといってもいいくらいに目立っている気がする。そして後ろから見ても誰だか分かる便利仕様だ。

 そう考えると化粧から剥くのが妥当だろう。だが紫外線は肌によくないので肌用の日焼け止めと唇用の色付きの保湿クリームは施しておく。化粧がないだけならルイーゼだと判別してもらえるんじゃないか思う。多分、きっと。

 今日はボリューミー縦ロールを大きな赤いリボンで纏めるのみにして学園へ向かった。到着して周囲の反応を見るに、ルイーゼを判別できなくて困惑している者はいないようだ。


「ルイーゼ嬢、この用紙に養護教諭のブラント先生の……サイン……を……」


 午前の二時限目の休み時間に自分の席で次の授業の準備をしていると、男子生徒に後方から声をかけられた。保健委員のデニス・ジーベルだ。

 振り向くと、デニスが目玉が零れ落ちんばかりに目を見開いてこちらを凝視している。化粧がないので誰だか分からないのだろうか。男子生徒の反応に困惑しつつもにこりと微笑んで答える。


「はい。お願いしていた使用許可証ですね。勝手に保健室の設備をお借りしてしまったので……。ありがとうございます、ジーベル様」

「い、いえ……」


 ルイーゼが笑ったあと、デニスの顔が段々と赤くなっていく。今日は朝からときどきこういった反応をされる。どうも以前すっぴんで学園内を歩いたときの周囲の反応に似ている。

 あのときは、周囲の反応についてルイーゼが美少女だからとカミラに言われたが、今日は縦ロールがあるので違うと思う。


 昼休みにニーナの教室とローレンツの教室へ向かった。先週の金曜日に破落戸ごろつきに絡まれたところを助けてもらったお礼をするためだ。

 まずニーナの教室へ行ってお礼のマドレーヌを渡した。マドレーヌは貝の形の型で焼いたふわふわのお菓子だ。殿下が来訪した翌日に新品のオーブンを使って屋敷で作ったのだ。

 ニーナは初めて見るマドレーヌをとても喜んでくれた。そしてまた買い物に誘ってくれと言ってやたらと張り切っていた。ルイーゼとしてもありがたい申し出なのでこちらこそ是非にとお願いした。

 そしてその次にローレンツの教室へとやってきた。アルフォンスの教室の隣りにある。

 教室の入口でローレンツに呼びかけ、頭を下げてお礼のマドレーヌを渡す。するとローレンツはぱあっと嬉しそうに笑って受け取ってくれた。


「ルイーゼ嬢、わざわざありがとうございます! それにまたお会いできて嬉しいです。あの、もしよかったら今度騎士団の練習場で模擬戦があるので、見にいらっしゃいませんか? ニーナも出場するので喜ぶと思います。それに貴女が応援してくれたら私も心強いです」


 ローレンツの顔がほんのり赤いような気がする。今まで模擬戦を見にいったことはないが、ニーナやローレンツの戦う姿を見てみたい気がする。

 この間助けてくれたときは二人ともとても格好良かった。ルイーゼが行くことで二人が喜んでくれるなら嬉しいと思った。


「お邪魔でないのならぜひ観戦させていただきたいですわ」

「っ……! そうですか! よかった……。それにしてもルイーゼ嬢、今日はなんだか雰囲気が違いますね。なんとなく柔らかいというか……」

「そ、そうですか? おほほ」


 本当はなんとなくというレベルではないはずだ。濃いアイラインと頬紅、それに真赤な口紅がなくなったからかなり顔が違うはずなのだが。きっと女性の化粧に無頓着なのだろう。ローレンツらしい。

 ローレンツと会話をしているとローレンツの後方……廊下の向こう側からアルフォンスが歩いてくるのが見えた。あんな告白を受けたあとなので顔を合わせづらい。

 ローレンツの陰にルイーゼがいるのを見つけた瞬間、アルフォンスが少し驚いたように目を見開く。そしてすれ違いざまに無言のままこちらを見て少しだけ悲しそうに微笑んだのに対してルイーゼは一礼した。

 そのままルイーゼから進行方向へ視線を戻し、アルフォンスは足を止めずにルイーゼの後方へ去っていった。ほんの一瞬の出来事だった。

 疚しいことをしていたわけでもないのに居た堪れない気持ちになる。間が悪いというかなんというか。

 すれ違いざまにアルフォンスの見せた表情を思い出すと胸がつきんと痛む。ほんの少しぼうっとしているルイーゼを不思議に思ったのか、ローレンツが心配そうに尋ねる。


「ルイーゼ嬢、大丈夫ですか?」

「はっ、はい……。それで模擬戦はいつなのでしょうか」


 心配そうに顔を覗き込むローレンツに笑顔で答えた。そして模擬戦を見に行く約束をした。どうやら次の日曜日に行われるらしい。当日は何か甘いものでも作っていこうかしらと考えつつも、気を緩めると先ほどのアルフォンスの顔を思い出してしまう。

 アルフォンスはローレンツと一緒にいるところを見てどう思ったのだろうか。再び傷つけはしなかっただろうかと心配になる。

 そしてアルフォンスのことを考えるまいと頭を左右に振る。考えるのを止めようと決めたのに、感情に引きずられて何度も思い出してしまう現状に溜息が出る。

 こんなときこそ製菓クラブだ。お菓子を作って、部員の皆と楽しい話をして、美味しいお菓子を食べるのだ。そんな時間をたくさん過ごせば、いつかはアルフォンスのことを忘れられるかもしれない。

 そんなことを考えながら放課後の時間が来るのを心待ちに午後の授業を受けた。




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