第59話 ルイーゼの答え


 ルイーゼはきゅっと唇を噛み締めたあとに口を開いた。


「私は殿下に好意はありません……」

「ルイーゼ……」


 アルフォンスが眉根を寄せてつらそうに呟く。ルイーゼにとっては苦渋の告白だった。嫌われ作戦を始めるときにアルフォンスを思う気持ちを諦める覚悟はしていた。それにアルフォンスには嫌われていると思っていたから。だがアルフォンスに好意を示されたのに、本来報われるはずの恋心を諦めないといけないのは本当につらい。理性と感情がぶつかり合って心が引き裂かれそうだ。アルフォンスに頷いてしまいたいのをぐっと堪える。

 拒絶するのに好意を示すのは残酷な行為だ。アルフォンスが思いを断ち切れるように完全にこの恋心を隠し通し、新たな愛を見つけてもらったほうがいい。そうすればきっとあんな未来にはならない。


「俺には少しの望みもない?」

「……はい」

「そう……。分かった。婚約者になってもらうのは諦めるよ」


 悲しそうに笑いながら言ったアルフォンスの言葉にルイーゼはほんの少し驚いてしまう。そんなにあっさり諦めてもらえるとは思っていなかったからだ。王太子がその気になれば強制することもできるのだから。そんなことを考えているとアルフォンスがふっと笑みを浮かべる。


「なんだか驚いたみたいだね」

「え、ええ」

「確かに、その気になれば強引に婚約者に決めることもできる。もし政略目的であれば有無を言わさず婚約者に決定したかもしれない。だけど俺は君が好きだから婚約してほしいと告げた。でも君のほうに好意がないのなら無理強いはしたくない。関係を強要される苦しさは痛いほど分かるから」

「殿下……」

「ルイーゼの嫌がることをしたくない。君には幸せに笑っていてほしいんだ。君に俺みたいな思いはさせたくない。だから今回は諦める」

「はい……ん?」


 今回は? 気のせいだろうか。アルフォンスが諦めないと言っているように聞こえる。聞き間違いだろうか。アルフォンスは穏やかな笑みを浮かべながら話を続ける。


「今好きな男がいるわけじゃないんだよね?」

「それは……いません」

「それなら俺にも望みがあると思わせて。先のことなんて誰にも分からないと思うんだ。君は婚約者候補になってから少し前までは、ずっと俺の婚約者になることを諦めずにいてくれただろう? だから俺も君に振り向いてもらえるよう頑張るよ。もし君に恋人ができたら……幸せになってほしいから諦めるかもしれない。諦められないかもしれないけど。俺が君を思うのは自由だよね?」

「そんな! 殿下の貴重な時間を無駄にさせてしまうのは……」

「無駄かどうかは俺が決めることだ。時間の使い方もね。君は長い間頑張ったんだ。それ以上に俺も頑張るよ」

「殿下……」


 嬉しい。好きな人にこんなにも思われているのだ。このまま感情に委ねたい。今のアルフォンスなら好色王の未来は回避できるかもしれない。そんな思いが胸をよぎり、ぐらぐらと心が揺れるがぐっと堪える。


「でも殿下に好きな人ができたらどうかその方と……」

「ふっ。そんな女性と簡単に出会えるようなら、長い間思いを拗らせたりしないよ。折角見つけた気持ちだから大事にしたいんだ」


 アルフォンスが少し悲しそうな笑みを浮かべて答えた。アルフォンスの切なげな表情を見て胸がぎゅっと締め付けられる。

 そのままアルフォンスはルイーゼとオスカーに別れを告げ、城へと戻っていった。帰るまでずっとアルフォンスは明るく振る舞っていた。だが馬車に乗り込むときに一瞬見せた表情がとても悲しそうで、アルフォンスを酷く傷つけてしまったのだと分かった。

 そしてルイーゼもまたアルフォンスのことを考えると胸が痛くなる。だが最初から覚悟していたことだ。アルフォンスを傷つけてしまった分、痛みが大きいだけだ。アルフォンスを見送ったあとにオスカーとエントランスに戻って思わず呟く。


「胸が苦しいわ……」

「姉上……やはり殿下のことは受け入れられませんか? ああ見えて殿下は全く恋愛経験がありませんし、姉上に対して不誠実なこともなさらないと思いますが」


 オスカーが気遣わしげに尋ねてくる。オスカーには先ほどまでのアルフォンスとの話の内容を伝えてある。


「ええ、それは分かっているわ。だけどあの夢に見た未来が絶対に来ないとは限らないし、もしそうなったら殿下にとっても不幸だもの」

「そうですか……。前世の記憶のことは打ち明けないのですか?」

「貴方が好色王になるかもしれないから婚約したくありませんなんて言えないわ。信じてもらえないだろうし、殿下はそんな理由では諦めてくださらないでしょう。それならいっそ好意がありませんとお伝えしたほうがいいと思ったの」

「そうですか……。僕は姉上にも殿下にもいい恋愛をしてもらいたかったので残念です」

「そう、期待を裏切ってしまってごめんなさい……。私、殿下に好意を持っていただいてるなんて夢にも思わなかった……。自分が諦めればそれで済む話だと思っていたのに、あんなに傷ついた顔をさせてしまうなんて思わなかった」

「姉上のほうが傷ついた顔をしていますよ。すみません、少し前に殿下の気持ちは聞いていたのですが口止めされていました。きっと殿下は自分の口から気持ちを打ち明けたかったのでしょう」

「そう……」


 オスカーが何か言いたそうにしていたのはそういう理由だったのかと納得する。半ば騙すような形でアルフォンスを傷つけてしまったのだから、ルイーゼはその何倍も痛い思いをして然るべきだと思う。オスカーと別れたあと自室に戻った。そして一人になった途端に涙が溢れだす。


「うっ、ううっ……」


 ずっと幼いころから抱いていた気持ちを封じ込めるのはつらい。同じようなことを言っていたアルフォンスの言葉を思い出す。そのまま夕食のときまでベッドの上でひとしきり泣きながら、明日からはもっと強くあろうと心に決めた。




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