第54話 そのままで (アルフォンス視点)
アルフォンスはルイーゼを連れて学園の食堂の貴賓席へと到着した。テーブルについて向かい合わせに座りランチを注文する。ルイーゼと食事をするのは初めてだ。
ルイーゼはというと緊張しているのか表情が硬い。そして手首の怪我をテーブルの下へとさりげなく隠している。
「何か注文がある? 特にないならこちらに任せてもらうけど」
「大丈夫です。好き嫌いをしないのが信条ですわ」
その貴族令嬢らしくない答えに思わず笑みが零れる。ルイーゼは平静を装いながらも仄かに頬を染めている。そんなルイーゼが途方もなく可愛くて胸が温かくなる。これが好きだという気持ちなのだろうか……よく分からない。
「ところで、その手、大丈夫?」
「え? ええ、お気遣いは無用ですわ。屋敷で扉に挟んだだけですので。おほほ」
アルフォンスのせいで負った怪我が心配で尋ねるが、ルイーゼはアルフォンスを助けたことを隠して誤魔化した。ルイーゼの明確な意図を感じ取り、今さらながらに胸がズキリと痛む。
そして覚えていてくれないだろうかという淡い期待を抱きつつ、幼いころの薔薇の咲き誇る庭での思い出を話す。
「昔、君の屋敷を訪問したとき、オスカーと三人で庭を散策したんだ。そのとき私が『とても綺麗な薔薇だね』と言ったら、君が『差し上げます』と言って庭の薔薇を無理やり手折ろうとしただろう?」
「あ……」
「そのときに君は薔薇の棘で怪我をして指から血を出してしまった。それで私はそれを」
「で、でん、アルフォンス様、どうかそれ以上は!」
ようやく思い出してくれたようで、ルイーゼは作った笑顔を一気に崩し、頬を真っ赤に染めた。もはや感情を隠す余裕もないようだ。羞恥に悶えるルイーゼが可愛い……。それに覚えていてくれたことが嬉しい。そんなルイーゼの様子があまりに可愛く思わず吹き出してしまう。そして恥ずかしがる目の前の少女をさらに追い詰めたい衝動に駆られる。
「ぷっ、ごめん。そんなに恥ずかしがるとは思わなかったんだ。そういえばあのときも顔を真っ赤にしていたね」
「お願いですから、もうそれ以上は言わないでください……」
さらに頬を染めるルイーゼにすぐにでも手を伸ばしてしまいたくなる。そんな感情をどうにか堪えているうちに、ルイーゼが平静を取り戻し、笑みを浮かべながら尋ねてくる。
「アルフォンス様は私みたいな華やかな女性がお好きなんでしょう?」
「いや。どちらかというと私は家庭的で優しい子が好きだね」
「そうですか。殿下の婚約者になれそうになくてとても残念ですわ」
アルフォンスの答えにルイーゼが一瞬悲しそうな表情を浮かべたような気がした。外見が華やかなのは好きじゃないから正直に答えたが、家庭的で優しい子とはルイーゼを差したつもりだった。どうも噛み合っていないようだ。言葉を間違えたのだろうか。そして婚約者になれないと言いながら、ルイーゼが安堵しているように見えるのは気のせいだろうか。
そういえば今日のルイーゼからはいつものきつい香水の香りがしない。今までは薔薇の香水を大量に付けていたようだが、ルイーゼは薔薇が好きなのだろうか。ルイーゼの嗜好を知りたくて薔薇について尋ねてみる。
「それは殿下がお好きだと思っていたからですわ」
ルイーゼの答えを聞いて驚いた。ルイーゼは特別薔薇を好きなわけではなかった。アルフォンスが薔薇を好きだと思って、薔薇のような華やかな女性になろうとした? つまりルイーゼの外見が派手になったのはアルフォンスのせいということなのか?
ルイーゼが喜ぶだろうと思って選んだ言葉がそんな勘違いを生むとは……。薔薇を好きだとはっきりと口にしただろうかと再び古い記憶を辿るが、事実がどうあれ、アルフォンスがルイーゼを勘違いさせてしまったのは間違いない。
そしてルイーゼが溜息を吐きつつ残念そうな表情を浮かべて告げる。
「アルフォンス様が私のような華やかな装いがお好みでなくて残念ですわ」
「君はいいんだ。そのままでも」
咄嗟に口を突いて出た言葉に自分でも驚いた。正直なところ、今はルイーゼがどんな外見でもいいと思っている。だが昨夜のルイーゼを他の男に見せたくないという思いが瞬時に湧き上がったのだ。自分がこんなにも狭量だったことに我ながら驚いてしまう。
昨夜のルイーゼは柔らかく穏やかに笑う顔が可愛らしくて、かつ美しかった。その上そこはかとない色気まで感じた。あの姿を他の男に見せたくない。ルイーゼの本来の姿を知るのはアルフォンスだけでいい。
もしやこれが独占欲というものなのだろうか。嫉妬、執着、独占欲。どれも初めて経験する感情だ。複数の感情に振り回されて、自分でもどう対応していいか分からず戸惑ってしまう。やはりこれはアレに伴う感情なのだろうか。
戸惑うアルフォンスの気持ちを余所に、アルフォンスの言葉を聞いたルイーゼの表情が俄かに曇る。これは悲しみ……なのだろうか。何か傷つけるようなことを言ってしまっただろうかと不安になる。そんなつもりはなかったのに。
だがルイーゼは一瞬で平静を取り戻し笑顔を浮かべた。作られた笑顔だ。昨夜調理場で見た楽しそうな笑顔とは違う。そんなルイーゼを見て酷く寂しくなる。苦しくなった胸の辺りをぎゅっと握る。ルイーゼの言動で一喜一憂する感情を抑えきれなくなっている。
だがアルフォンスの気持ちを伝えてしまえば、距離を置こうとしているルイーゼは逃げてしまうのではないだろうか。そう考えるとおいそれと気持ちを告げることもできない。
食事が終わるまでに、結局ルイーゼの本心を聞き出すことはできなかった。そして心なしか満足げな表情を浮かべたルイーゼを見て思う。今はまだ気持ちに気付かれなくていい。確実に大きくなっている感情を持て余しつつその日のランチを終えた。
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