第42話 犬と猫
昼休み、渡り廊下の近くの花壇の側まで、アルフォンスに手を引かれながら連れてこられた。話というのは『クッキーのお礼を料理人に伝えてくれ』という件なのだろうか。どうにも話の内容に釈然としないので、気を取り直して確認してみる。
「お話というのはそのことですか……?」
「あ、ああ。……いや、ちょっと待って」
ルイーゼの問いに、そのままアルフォンスは再び何かを考え込んでしまう。いつの間にやらアルフォンスの顔から笑みが消えていた。ルイーゼは人の心の機微に敏いほうではないが、少なくとも今目の前にいるアルフォンスから、いつものような余裕が感じられないのだけは分かる。
先ほどの話の内容は以前オスカーからも聞いていた内容だ。ギルベルトとリタとの会合を遮って、こんな離れた所へ連れてきてまで話さなければいけない内容だろうかと疑問に思う。そしてその事実に対して思わず首を傾げてしまう。
言葉が紡ぎ出されるのをそのままじっと待っていると、ようやく何かを思い出したといった様子でアルフォンスがゆっくりとこちらを向いた。そして安堵した笑みを浮かべながら話し始める。
「明日の午前中……」
「はい」
「君の家にクッキーのお礼を持っていくから、待っていてくれるかな?」
クッキーのお礼をわざわざ我が家まで持ってくるというのだろうか。オスカーなどしょっちゅう王都のケーキ屋のケーキをアルフォンスに差し入れに持っていっていると聞いていたが、差し入れのお礼ではなくクッキーのお礼をわざわざ? お礼を持ってくるというアルフォンスの真意が分からず戸惑ってしまう。
「うちの料理人に、ですか?」
「うん、君の家の料理人に」
「……承知いたしました。明日、お待ちしていますわ」
「ああ、急ですまないね」
ルイーゼがなるべく嬉しそうに見えるようにこりと笑顔を浮かべて返事をすると、アルフォンスもルイーゼの笑顔を見て安堵したかのように微笑む。
こんなにしょっちゅうアルフォンスはうちへ来ていたっけ?などと疑問に思いながらも、お礼のお礼として今夜のうちにまたクッキーを作っておかなければと考える。そして、明日のアルフォンスの訪問で終日の休顔はできないなぁなどと心の中で嘆息していると、突然後ろのほうから声をかけられる。
「殿下! はぁ、はぁ……探しましたよ。急に二階から、飛び降りて、走り出すから……姉上?」
「オスカー?」
「チッ」
声のほうへ振り返ると、どれだけ走ってきたのか、オスカーが息を切らしながら立っていた。肩が上下に大きく揺れている。そしてどうやらこちらを見て驚いているようだ。廊下、走っちゃダメ、絶対! そんな苦い思い出が一瞬頭の中に蘇る。
それはともかく、今交わされた会話から、なんだか信じられない言葉を聞いた気がして気が動転する。
(殿下が、二階から? 飛び降りて走った……? そして今、殿下の舌打ちが聞こえたような気がしたわ。全て空耳かしら。うん、きっとそうよね。いやだ、私、疲れてるんだわ)
目の前の状況を整理しようと心を落ち着かせるべく深呼吸をする。一方オスカーが慌てたようにアルフォンスの無事を確認する。
「殿下、大丈夫ですか? 怪我は?」
「大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
「もう! あまり無茶はしないでください。……それで殿下。何があったんです?」
若干ジト目で問いかけるオスカーに、ようやく落ち着きを取り戻したアルフォンスが平然と答える。
「二階の渡り廊下から下を見ていたら、子猫が大きな犬に襲われそうになっていたから、助けないといけないと思って急いでしまったんだよ。ごめんね」
「……へぇ。それで、助けられたんですか?」
「うん、大丈夫だったよ。ああ、よかった」
優しげな笑みを浮かべてほっと胸を撫で下ろすアルフォンスを見て、『動物を助けるなんて優しいのね。流石殿下だわ』と密かに感心してしまう。だがふと追考し、思わず首を傾げてしまう。そういえば学園に猫や犬がいただろうかと。
そしてオスカーのほうを見るとなぜか哀れみを滲ませた眼差しでこちらを見ている。なんだかルイーゼだけ意味が分からず、疎外されているような気がするのだが気のせいだろうか。
「殿下、そろそろ行きますよ。午後の授業が始まってしまいます」
「ああ、そうだね。それじゃあ、ルイーゼ嬢、また明日ね」
オスカーに急かされながら、アルフォンスはこちらへ神々しいまでに美しい笑顔を向け挨拶をしたあと、オスカーと一緒に立ち去っていった。
哀れみを滲ませたオスカーの眼差しの意味が分からないまま、ルイーゼは午後の授業を受けるべく教室へと急ぐ。
そしてアルフォンスの『明日来る』という話はオスカーに話せばそれで済むんじゃなかったのかという事実に気付いたのは、放課後になってからのことだった。
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