第6話 殿下の好きなもの (オスカー視点)
今日オスカーは、王都で今話題になっているケーキ屋で一番人気のガトーショコラを買ってきた。城で執務に従事するアルフォンスに差し入れをするためだ。この見目麗しい銀髪の王太子は何よりも甘いものが好きなのだ。
(確か殿下は午後は執務室で書類業務に携わっているはずだ。甘いものでも食べれば疲れが取れるだろう)
そんなことを考えながら、王太子の執務室へと足を運んだ。
「殿下、お疲れさまです。今日は王都で人気の店のガトーショコラを差し入れに持ってきました」
オスカーの言葉を聞いた途端、アルフォンスが書類とにらめっこしながら浮かべていた欝々とした表情から一変して、ぱぁっと眩い笑顔を浮かべる。
(どれだけ甘いものが好きなんだ、この人は。喜び過ぎだろう)
そう思いながら、ソファの前のテーブルにケーキの箱を置いた。
「以前から噂で聞いていて、ぜひ食べてみたかったんだ。ありがとう!」
アルフォンスが満面の笑みでソファに座りひと息つく。侍女に紅茶を入れるよう頼み、向かいのソファに座る。そしてガトーショコラを箱から取り出して目の前の皿の上に載せて準備をする。
アルフォンスがアメジストの瞳を潤ませて皿の上のそれを見つめている。その熱意を少しは婚約者選びへ向けてくれるといいんだがと思う。
今、婚約者の選択に関わっているのは、陛下と宰相である父のテオパルトだ。だが決してアルフォンスの意志が無視されるわけではない。ただ単にアルフォンスは婚約者選びに全く関心がなくて、他人に任せきりにしているだけなのだ。
「美味いな、これ……」
アルフォンスがガトーショコラを口へ運びながら呟く。アメジストの瞳が感動できらきらと輝いている。
(あっという間になくなるな、ガトーショコラ……。一時間も並んだのに)
そんなことを考えながら、美味しそうにケーキを頬張るアルフォンスを眺めながら答える。
「ええ、平民だけでなく貴族にも人気だそうですよ。最近は午前中のうちに売り切れてしまうのだそうです」
「へぇ。それなのにわざわざ買ってきてくれたんだ。嬉しいよ」
「喜んでいただけて光栄です」
満面の笑みで皿に向き合うアルフォンスに、にこりと笑って答える。実はガトーショコラは限定で一人一個しか買えなかった。ガトーショコラだけじゃ足りないと思って他のケーキも買ってきた。
実はオスカーはそれほど甘いものには関心がない。だが昨日食べたルイーゼのクッキーは本当に美味かった。甘さもくどくなくてサクサクしていて、できることならまた食べたいと思う。そして自分はどちらかというとドライフルーツ入りのほうが好みだ。
昨日食べたクッキーの味を思い出して思わず笑みが零れてしまう。そして紅茶と一緒に食べようと、昨日分けてもらったクッキーの包みを取り出した。蝋引き紙をカサカサと開け、それを取り出して一口齧る。うん、やっぱり美味い。
刺すような視線を感じ、はっと前を向く。アルフォンスの目がオスカーの手元に釘付けになっていた。ふと見るとすでに皿の上のガトーショコラはなくなっているようだ。
ちょっと待ってほしい。このクッキーはガトーショコラにありつけなかったオスカーのものだ。アルフォンスに渡す分はない。そう考え、さり気なくクッキーをアルフォンスの視線から隠す。
「オスカー、それ」
「駄目です。これしかないんですから」
「一個でいいから」
「………………一個だけですよ」
オスカーは渋々クッキーを差し出した。アルフォンスはクッキーを一つ摘み、口へと運ぶ。
「うまっ! なにこれ、美味しいんだけど。どこで買ってきたんだい?」
アルフォンスが目を丸くして驚く。痛く気に入ったらしい。
さて、どう言おう。ここでルイーゼが作ったなどと言っては、下手に関心を持たれかねない。約束した以上、ルイーゼが婚約者に選ばれないよう心象操作をしなくてはいけない。
困ったな。ここは無難に……
「このクッキーは家の料理人が作ったものです。気に入っていただけて、彼も光栄だと思います」
「へぇ、そうなんだ!」
あ、やばい。アルフォンスの目がきらきらしている。咄嗟に手元のクッキーをしまおうとするがもう遅かった。
「ねえ、もう一個ちょうだい」
「ええっ!? 一個だけって言ったくせに……」
アルフォンスがそう言って強引にクッキーをもう一個摘む。
「本当に美味いな。優しい味がする。ガトーショコラも美味しいけど俺はこっちのほうが好きだな」
「そうですか」
なんだかんだ言ってルイーゼは身内だ。姉の作ったものが喜ばれればオスカーも嬉しい。本当は声を大にして言いたい。これはルイーゼが作ったものだと。
正直今までオスカーはルイーゼのことを馬鹿にしていた。ルイーゼはいつもアルフォンスのことだけをひたむきに思っていて、周囲のことが見えていなかった。そんな様子がとても愚かに見えた。愚直な所は美点と言えなくもないが、見ていて苛々した。
だが昨日のルイーゼはどう見ても今までと違っていた。初めて見たときは、雰囲気の柔らかい知らない令嬢だと思い込んで話しかけた。ルイーゼの友人かと思っていたのだ。見た目は勿論のことだが、香水臭くもなく、どことなくバニラの優しい香りがした。姉と知らずに最初話しかけたときには、不覚にも若干ドキドキしてしまった。
実際に話してみても、ルイーゼは明らかに今までとは違っていた。聞けば前世を思い出したという。何より印象的だったのは、先のことを見据え思慮深くなっていたことだった。臆病ではあるが慎重ともいえる。オスカーにとっては今の姉のほうが好ましく感じた。恋愛脳だった以前と違って対等に話ができると思ったのだ。
「殿下は姉のことをどう思ってますか?」
「ああ、ルイーゼ嬢か。オスカーには悪いけど、俺は彼女が苦手だ」
アルフォンスが苦笑いをしながら答える。さらに突っ込んで尋ねてみる。
「どういったところが?」
「そうだねぇ。あのケバい見た目は勿論だが、何よりもあの香水だね。あれでぐいぐい来られると結構きついものがある」
「まあ、あの香水は確かに……」
見た目はともかくとして、学園に行く日のルイーゼの香水は確かにうんざりするものがある。朝の爽やかな空気を楽しめるのはエントランスへ行ってルイーゼと会うまでだ。薔薇の香水が階段の上まで立ち上ってくる。さらに馬車の密室で香水の匂いはきつい。学園に到着して別れたあとも、しばらくは自分に匂いが染みついている。
「あと、急に化粧も濃くなって前より秋波が酷くなった気がするんだ。頭を打ってからかな」
転倒して前世の記憶とかを思い出したときのことか。
「打ち所が悪かったのかな……。転倒したとき様子がおかしかったんだよ。いつもルイーゼ嬢は甘えた声で『アルフォンス様』と俺のことを呼んでいるんだ。だがあのときだけは『殿下』と呼んでいて違和感を感じたんだ」
「はぁ」
「それに保健室に連れていこうとしたら断わられたんだ。いつもなら喜んでべたべたしてきそうなものなのにね。本当に大丈夫だったのかな、彼女は」
「大丈夫みたいですよ。ご心配ありがとうございます」
ルイーゼが転倒したときのことを思い出してでもいるのか、アルフォンスがなにやら考え込んでいるようだ。苦手と言いながらも、ルイーゼが頭を打ったことを心配しているようだ。アルフォンスは情が薄いわけじゃない。それが分かっているからオスカーは子どものころからアルフォンスが好きなのだ。ただアルフォンスは女性に対して淡泊過ぎるだけなのだ。
それにしてもそのときルイーゼはよほど気が動転していたのか。きっと混乱して素が出ていたのかもしれない。頭を打った翌日からそれまでに輪をかけて媚び始めたわけだ。そしてふと三日前のルイーゼの激濃い化粧を思い出して想像する。あのケバい化粧を見てアルフォンスもさぞかし困惑しただろう。
「それほど苦手と思ってらっしゃるなら、婚約者の候補から外してはいかがですか? 姉も嫌われたまま殿下の伴侶となるのは哀れですし」
「ああ、そうだねぇ……。ん、オスカー、そんなにルイーゼ嬢に対して優しかったっけ?」
おっと、あまりいつもと違う発言をすると怪しまれてしまう。少し結論を急ぎ過ぎてしまったみたいだ。関心を持たれないまま自然にルイーゼを候補から外させるのは難しそうだな。
「そんなことはないですよ。殿下のためにはそれがいいんじゃないかと思っただけです。いくら婚約者選びに関心がないとはいえ、少しでも相性のいい相手のほうがいいでしょう?」
「まあ、そうだね。考えておくよ」
アルフォンスがにっこりと笑って答えた。そして今の笑顔に下心を感じてしまうのは気のせいか?
「ねえ、オスカー。あのクッキー、また食べたいな」
「…………分かりました。また作らせます」
――クッキーが目的だったのか。仕方ない。またルイーゼに頼んで作ってもらおう。
そう心に決め、オスカーは大きな溜息を吐いた。そしてルイーゼの今後を考えて頭が痛くなった。
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