第3話 作戦開始


 ルイーゼは朝いつものように学園へ行く三時間前には起きた。入浴を済ませたあと、自室の鏡の前でエマとアンナに念入りに縦ロールを巻いてもらう。だがいつもと違うのは……


「お嬢様……」


 鏡越しにエマが困惑したような顔でルイーゼを見ている。いつもの派手なメイクに拍車がかかっているからだろう。うん、分かる。

 ルイーゼはいつものメイクに加えて濃い目にアイラインを引いていた。我ながらかなりきつく仕上がっていると思う。アイラインを引くときには手がプルプルと震えてしまった。さらに今日は頬紅も濃い目に乗せている。あまりやり過ぎてわざとらしさが出ないよう加減するのが難しい。

 前世ではあまり化粧に時間をかけなかったため、ルイーゼの化粧の技術はとても低い。その不器用さが災いしたのか、アイラインも頬紅も無駄に時間がかかってしまうのだ。


「よし、とりあえず不自然にならない程度には化粧を濃くできたわね」


 そう呟くと、鏡越しにルイーゼの姿を見たエマが何か言いたそうに、そして困ったように眉根を寄せる。エマはいつものようにピンと背筋を伸ばし、両手を胸の下で組んでいる。

 今はそんなエマが何を言いたいか分かってしまう。だからなんだか申しわけない気持ちになってくる。ルイーゼがあえてケバい装いをしようと考えているとは夢にも思っていないのだろう。エマは言葉を詰まらせながらも恐る恐る諫言してくれた。


「お嬢様、その……アイラインと頬紅はお止めになったほうがよろしいかと存じます」


 いつも相談事に乗ってくれたエマに、前世の記憶が蘇ったことを打ち明けようか一瞬悩む。だがもう学園へ向かう時刻だ。家を出るまでに話し込むような時間はない。きっと短い時間で済むような話ではないだろうから。打ち明けるのは日を改めるべきと考え、とりあえず今は精一杯の謝罪の気持ちを込めて応える。


「ううん、これでいいのよ。ごめんね、エマ」

「……?」


 エマはそれを聞いてほんの少し首を傾げた。そして訝しそうな目を向けてくる。


(ええ、そうよね。エマの気持ちは分かるわ。必ず今度話すから)


 もし嫌われる作戦が失敗して婚約者に選ばれてしまったら……。

 仮にそのまま婚姻して王妃になってしまっても、アルフォンスにちゃんと愛されれば幸せになれるのかもしれない。だが前世のときからルイーゼは女子力が非常に低いと自覚している。だからアルフォンスに愛される自信がないのだ。そして女子力が低いから、婚約してヒロインと対峙しても、モニカでなくルイーゼを選んでもらう自信がない。なんせ前世は干物女だった。ルイーゼには女としての自信が全くないのだ。


(結局婚約者にならないっていう方法しか思いつかないのよね。殿下に愛される自信はないけど、今より嫌われることなら私にもできそうだし)


 そんなことを考えつつ、仕上げに薔薇の香水をたっぷりと付けて自室を出た。




 エントランスへ降りていつものようにオスカーと会う。そしてオスカーはいつものようにきらきらしい笑顔……ではなかった。


「……」


 ルイーゼを見るなり、エメラルドグリーンのきりっとした目をいつになく丸くして、まるで石化してしまったかのように固まってしまう。


(ええ、分かってる。だからそんな珍獣を見るような目で私を見ないでぇ)


 心の中で羞恥に悶えつつ鞄を胸に抱え、懸命に笑顔を作って挨拶をする。


「お、おはよう、オスカー」

「……おはようございます、姉上」


 オスカーがはっといつもの表情に戻り、驚きから幾分落ち着きを取り戻した様子で挨拶を返す。そしてルイーゼの様子を不審に思ったのか、探りを入れてきた。


「姉上、何か心境の変化ですか?」

「え?」

「いや、いつもよりさらに張り切ってらっしゃるなと思いまして」

「な、なんのことかしら?」

「いえ、姉上がいいなら別にいいのですが……」


 オスカーの言いたいことは分かるのだが、あくまでしらを切り通す。ルイーゼの装いにどんな感想を持ったのかも大体想像がつく。正直恥ずかしい。

 だけど恥ずかしく思いつつも、いつもすましているオスカーを動揺させたことに若干胸がすく。とはいえそんなルイーゼはオスカーよりもさらに動揺しているのだけれども。

 そして今日から行う予定の自虐的な計画に、ふと空しさを感じる。だがこれもアルフォンスとルイーゼの幸せな未来のためだと自分に言い聞かせる。


(殿下に他の婚約者ができるか、ヒロインとくっつくまでの辛抱よ。頑張るのよ、ルイーゼ!)


 前世のときからお洒落に全く興味がないルイーゼである。毎朝縦ロールのために三時間も早く起きるくらいなら、朝寝して手抜きメイクで学園へ行きたい。それに香水も本当は苦手だ。甘いお菓子の匂いのほうが本当は好きなのだ。


(もう少しよ。もう少し)


 そんなふうに自分を奮い立たせながら馬車に乗り込む。向かい合わせに座ったオスカーに、エマと同じような不審げな目を向けられるが気にしない。そしてそのままいつものように学園へと向かった。




 学園に到着すると、遠巻きに珍獣を見るような目で学生たちに見られているのが分かる。周囲の好奇の目に晒されて視線が痛い。


(メイクを濃くしたから? いや、でももしかすると……)


 今までこのケバい装いを気にしたことは全くなかった。だって自分に似合うと思っていたのだから。だけど実際のところは、ずっと以前から周囲に好奇の目で見られていたのかもしれない。そんなことにも気付かなかったなんて……。


(私って本当に殿下しか見えてなかったんだわ。恥ずかしい……)


 どうやらアルフォンスのことばかり考えていて、周りが見えていなかったようだ。そう自覚してしまうとなかなかに恥ずかしいものがある。と同時に他人の視線が気になり始める。なぜ今まで奇異なものを見るような視線に晒されて平気だったのかと不思議に思う。前世のルイーゼはずぼらな格好を白い目で見られるのは全然平気だった。だけどこの格好コスプレは恥ずかし過ぎる。


「うわ、恥ずかしいと思わないのかしら」

「なんだか今日はいつもより奇抜ね」

「やだ、私はとても真似できないわ」


 そんな女子生徒たちのクスクス笑いながら話す声が聞こえてくる。今まではそんな陰口にも気付かなかった。だが嘲笑の的になるのももう少しの辛抱だと自身に言い聞かせながら、ようやく午前中の授業を終えた。

 そしていよいよアルフォンスに突撃する昼休みが来た。昼食のお誘いをしなければいけない。昨日までは楽しくてうきうきする時間だったのに、今は果てしなく憂鬱だ。それでも何とか自分を奮い立たせて重い足取りでアルフォンスの教室へと向かう。今までよりも積極的にならなければ。




 アルフォンスの教室へ到着する。今日もいつものように婚約者候補の令嬢たちがアルフォンスを取り囲んでいた。令嬢たちの間へ入り込み、心の鉢巻きを締め直してアルフォンスに甘えた声で話しかける。そして香水が匂うようになるべく近くへ寄ってしなを作る。


「アルフォンス様ぁ、今日こそ昼食をご一緒してくださらない?」


 するとアルフォンスがあからさまに嫌そうな顔をして後ずさる。予想していた反応だがやはりショックだ。こんなにも嫌がられていることに、なぜ今まで気付けなかったのだろう。


「ああ、ええと……ああ、そうだ。君、もう頭は大丈夫なのか?」


 きっとこの間転倒して頭を打ったことを心配されているんだろう。分かっているんだけどなぜだろう。なんだか違う意味に聞こえてしまう。そんなアルフォンスの問いに媚びた笑顔を作って答える。


「ええ、大丈夫ですわ。ご心配ありがとうございます。アルフォンス様ったら私のことをそんなに想ってくださってたなんて」


 そう言って頬に両手を当てて左右に身を捩る。前世のルイーゼなら絶対にやらなかった仕草だ。そんな言動に、アルフォンスの麗しい顔が思い切り引きつっている。計画通り……なんだけど悲しい。そして心の中で滂沱の涙を流す。

 昨夜はベッドの中で嫌われ作戦遂行のためのイメージトレーニングをした。にも拘らず、実際にアルフォンスの顔を見ながら作戦を実行するのはかなりクるものがある。大好きな人に嫌われるのはやはりつらいのだ。

 決意が揺らぎそうになるのを懸命に堪えつつ媚びた笑顔をキープするルイーゼに、アルフォンスが困ったような顔で苦笑しながら答える。


「……ああ、ごめん。今日はサンドラ嬢と約束してたからね。行こうか、サンドラ嬢」

「まあ、嬉しい!」


 サンドラと呼ばれた令嬢がぱぁっと顔を輝かせてアルフォンスの腕に手を添える。こんなふうに好きな人が別の女性と接触するのを見るのはやはりきついものがある。だけどアルフォンスとルイーゼの幸せな未来のためだ。仕方のないことなのだ。


「そうですか。それは残念ですわ。ごゆっくりどうぞ」


 ――しまった。もう少し追い縋るべきだったかしら。

 そう気づいてすぐに自身の言動を反省したが何の問題もなかったようだ。ルイーゼの言葉を聞くまでもなく、アルフォンスとサンドラはそのまま仲睦まじく食堂へと向かっていった。

 仲睦まじい二人の姿を見送るのはつらかったが、ほんの少しだけほっとした。今日の責務からようやく解放されたと安堵したのだ。思わず溜息を吐きながら独りごちる。


「……つらいわね」


 ぼんやりとしているところに、他の令嬢たちから声をかけられる。


「ルイーゼ様、また今日は一段と……ふっ、華やかでいらっしゃいますわね」

「ええ、本当に。流石ルイーゼ様ですわぁ。私はそんなふうに思い切った装いをする勇気が出なくって。ふふっ」


 令嬢たちのにやにやと嘲るような笑顔で、言葉と全く違う本心が伝わってくる。言いたいことは分かっている。自分が計画していることの結果とはいえ、悔しいものは悔しい。


「ええ、殿下の気を引きたかったら、皆さんも私くらい頑張るとよろしいのではなくて?」


 そんな苦しい捨て台詞を残して、唇を噛みしめながら早々にその場を離れた。




 午後の授業を終え、帰り支度をして教室を出た。そのあと廊下を歩いていると隣の教室の男子生徒二人とすれ違う。二人はすれ違いざまに一瞬目を瞠る。そしてすれ違ったあとだから、もう聞こえないとでも思ったのだろう。小さな声で話しているのが背後から聞こえた。


「くっさ。ケバい女」

「俺、あれは無理だわぁ」


 そんな心無い言葉に傷つく。いや、傷つく資格などない。全て自分で決めた計画が招いた結果なのだから。

 十分に覚悟したつもりだった。だが今日一日嫌われ計画を実行してみて、ルイーゼがやろうとしていることはアルフォンスに嫌われるだけでは済まないことに気付いた。きっと今までも周囲には嘲り笑われていたのだろう。このケバい装いのままではお先真っ暗な学園生活を送らなければいけなくなる。どうにかしたい。もう手遅れかもしれないが。


 だがコスプレもアルフォンスが別の誰かを婚約者に決めるまでの辛抱だ。もしくはヒロインのモニカと婚約してくれればそれが一番いい。婚約者にさえならなければ、好色王の妃や国外追放の未来から逃れられるのだから。

 そうなったら今のケバい装いコスプレをしなくてもよくなる。そうすればアルフォンスが結婚したあとも、あわよくば友人の姉程度の距離感で仲良くしてもらえるかもしれない。ずっと愛されない王妃よりはほどほどに仲のいい友人のほうがいい。


「頑張れ、私」


 嫌われ初日は精神的にハードな一日だった。だが明日は学園が休みだ。心と体をゆっくり休めて来週のために英気を養おう。そう自分を慰めつつ、明日はがっつり引き籠ってやろうと心に決めて、ルイーゼは帰宅の途についた。




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