第2話 聞いちゃいました

 ふらつきながらもどうにか学舎の廊下を歩いて、なんとか一人だけで学園の保健室へと辿り着くことができた。アルフォンスの教室から近くて本当によかったと思う。見た感じ、保健室には誰もいないようだ。

 仕方がないのでふらふらとベッド脇のカーテンをくぐり抜け、自力で奥のベッドへと辿り着く。そして空いたベッドに倒れ込むように横になり、ようやく落ち着くことができた。しばらくの間ゆっくりと呼吸を整えると、次第に目眩も収まってきた。


(よし、記憶を整理してみよう)


 落ち着いたところで早速、先ほど自分の頭の中に蘇った大量の記憶について思考を巡らせる。

 ここは乙女ゲーム『恋のスイーツパラダイス』の舞台となるルーデンドルフ王国だ。前世の自分はこのゲームを三周はクリアした。お洒落に全然興味がなかったからか、言い寄る男性は全くと言っていいほどいなかった。お陰で三十才になっても、結婚相手どころか彼氏すらいなかった。だからお金の使い道といっても、趣味のお菓子作りに関するものとスマホゲームのアイテム課金くらいしかなかった。


(枯れてたな、私……)


 保健室の天井を見つめながら前世の記憶を手繰り寄せては自嘲し、思わず遠い目をしてしまう。

 そしてアルフォンスは『恋のスイーツパラダイス』のヒロインの攻略対象者の一人でメインヒーローだ。ちなみに弟のオスカーもその一人だ。他には魔術師、騎士といったキャラクターがいて、攻略対象者はルイーゼの知る限り全部で四人だった。

 今いる世界には魔法が存在する。ごく一部の才能を認められた者のみが使える。学園の授業で魔法の概念のみを教わり、才能のある者は魔法省へ申請して登録しなければならない。魔術師ともなれば、一人残らず魔法省によって管理されることになるのだ。攻略対象の一人である魔術師も例に漏れずである。


 そして肝心なのは、ルイーゼがこのまま行くとアルフォンスの婚約者となるということだ。そしてもうしばらくすると、ゲームの主人公であるモニカという令嬢が学園へ転入してくる。転入してからのモニカの行動により、ルイーゼの未来が二通りに分岐することになる。


 まず一つ目は主人公であるヒロインがアルフォンス攻略ルート、もしくは逆ハーレムルートに入って成就させた場合だ。この場合、ルイーゼはアルフォンスの婚約者であり、ゲームでの悪役令嬢として、ヒロインの前に立ちはだかる。そしてヒロインを虐めた罪で断罪されることになるのだ。結末は幸いにも死亡エンドではなく国外追放エンドだ。


 そして二つ目が、ヒロインがアルフォンス以外の攻略対象者のルートに入った場合だ。この場合、婚約者のルイーゼは晴れてアルフォンスの正妃となる。ただしアルフォンスは将来側妃を十人も抱える好色王としてその名を後世に轟かすのだ。


 例え前世の記憶が蘇ったとしてもルイーゼはルイーゼだ。アルフォンスを好きな気持ちに変わりはない。だが日本での記憶が蘇った今、前世の常識的に考えて側妃が十人もいる夫を持つのは絶対に・・・嫌だ。全力で回避したい。だからといって悪役令嬢となって国外追放されるのもごめんだ。


(さて、どうしようか……)


 これからどうすべきかを考えているうちにうとうとと微睡んでしまう。そしてそのまま保健室で昼下がりまで眠り込んでしまった。




 保健室のベッドで目が覚めたときには、既に午後の授業は終わっている時間だった。もうそろそろ下校の時刻だ。でも酷かった頭痛が嘘のようになくなっていたので、結果的にはゆっくり休むことができてよかったのかもしれない。

 ルイーゼは保健室を出たあと、帰り支度をするために自分の教室へと向かった。しばらく廊下を歩いて、途中にあるアルフォンスの教室の手前へと差しかかる。するとなんだか教室から複数の男性の話し声が聞こえてきた。それが耳に入って反射的に足を止める。


「本当に……なぜあんなにけばけばしいんだろうな、貴族令嬢というものは」

「確かに酷いですね。僕も姉の香水で毎朝頭が痛くなります」


 それはあまりにも聞き覚えのある声だった。


(これはアルフォンス殿下とオスカー……?)


 不意に耳に入ってきた聞き覚えのある声に、聞いてはいけないと思いつつも、つい耳を傾けてしまう。


「ああ、ルイーゼ嬢が一番酷いね。きつい香水の匂いで鼻が曲がりそうだよ」

「ふっ。殿下、お気持ちは分かりますが一応僕の姉なのでお手柔らかに」


 ルイーゼは頭を殴られたような衝撃を受けた。あのいつも優しそうなアルフォンスがそんなことを考えていたなんて。しかもオスカーも迷惑だと思っていたのか。そういえば香水について苦情を訴えられていたような気もする。完全に忘れていた。

 二人の会話の内容がショックで思わず手が震えてしまう。気が付くと制服のスカートをぎゅっと握りしめていた。だが改めて、今朝がた私室の鏡に映っていた自分の姿を思い出してみる。


(ボリューミーな縦ロールに、派手で大きな赤いリボン。それに真っ赤な口紅。そして鼻が慣れているはずの自分でも分かるほどに大量に付けられた香水……。うん、確かにないわよね……)


 改めて思い出してみれば、自分でも呆れてしまうほどのケバさだ。だけど今まではそうすることでアルフォンスが振り向いてくれると思い込んでいたのだ。そしてケバい装いが自分に似合うと思っていた。

 だが今なら分かる。このケバい格好は前世でそれほどお洒落に興味のなかったルイーゼでも驚くほどの壊滅的なファッションセンスだ。エマがときどき言っていたことも、なるほど理解できる。改めて自分の姿を顧るととても恥ずかしい。


「好意を向けてくれているのは分かる。だけど貴族令嬢たちの誰も好きになれそうにない」

「はは。容赦ないですね、殿下は。まあ貴族令嬢なんて皆同じでしょう」

「まあね。だからどの女性を当てがわれようが俺にはどうでもいい。婚約者は誰でもいいからさっさと決めてほしい。いい加減昼食の度に囲まれるのはうんざりするよ」


 アルフォンスはどうやらルイーゼたちに囲まれて迷惑していたらしい。先ほどの言葉はショックだけど、同時に申しわけないと思う気持ちも湧いてしまう。さぞかし今まで香水臭かっただろう。


「誰でもいい、ですか。……もしちゃんとした恋愛をしたら、殿下も変わるのかもしれないですね」

「さあ、どうだろうね。俺は誰も好きになったことがないから分からないな。今は本当に婚約者なんてどうでもいいんだ」


 アルフォンスとオスカーの会話は、ルイーゼにとっては傷ついてしまうような内容だった。にも拘らず、ルイーゼのアルフォンスに対する気持ちは微塵も変わらない。そんな自分に軽く引いてしまうほどには。

 だがいくらアルフォンスを好きでも、好色王の妃も国外追放も嫌すぎる。それにルイーゼが妃になるから、他の女性に走るのかもしれない。好色王の未来はアルフォンスにとってもルイーゼにとっても不幸でしかないのではないか。

 唯一どちらにも進まないで済む方法がある。それは婚約者に選ばれないようにすることだ。だがゲームのシナリオでは、今ほど嫌われていても婚約者に選ばれてしまう。ではどうすればいいのか。


(アルフォンス殿下はこの先ヒロインに心を奪われる。ということは……)


 ゲームのヒロインであるモニカのスチルを思い出してみる。モニカは肩までのふわふわしたストロベリーブロンドの髪をハーフアップにしており、その瞳は大きくくるくるとして小動物のようだ。可愛らしくて、所謂庇護欲をそそる清純派タイプというやつだ。確かお菓子を作るのが好きなんだったか。

 以上のことから考えると、アルフォンスのタイプはゆるふわ可愛い系の家庭的な女子だ。ということはルイーゼが今以上にもっとケバくなればいいのではないかという結論に辿り着く。

 そうと決まれば早速実行するしかない。香水の苦手なアルフォンスには本当に申しわけないと思う。だがこれからはさらにぐいぐい押させてもらう。今以上に嫌われれば、流石にルイーゼを婚約者としては選ばないだろう。


(うん、なかなかいい考えかもしれない! 殿下のことは好きだけど、殿下と私の幸せな未来のためには嫌われるしかない)


 これまではアルフォンスに振り向いてもらうために努力してきた。だけどこれからは嫌われるために努力するのだ。


(明日からもっと気合の入った化粧をしよう)


 そう心に決めて、ルイーゼは音を立てないよう、こっそりとアルフォンスの教室の前から立ち去った。




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