第三十話 誇りの価値

 木々をなぎ倒し、目にも止まらぬ速度で大男が吹き飛んだ方向に向かって、シルは自慢げな顔で指を立てた。

 けれど、吹き飛ばした時の手応えからシルは、これで大男を倒せたとは思ってはいなかった。


「さすがだ。硬度を高めていなければ無傷では済まなかっただろう」


 案の定吹っ飛ばされた森の中から、大男は横腹をさすりながら平気な顔でシルの前に姿を現した。

 新たに手札を晒してまでのシルの攻撃は、大男には全く効果が無かったらしい。


「物は言いようだな。こっちは追加で手の内晒したってのに」


「初見の能力だ。これも竜の紋章の能力か?」


 戦闘時であるにもかかわらず、大男はあくまで好奇心からシルの能力に関して質問を投げかけた。

 わざわざ戦闘時に自らの能力を詳細に明かす必要は無い。それこそ能力を開示することで有利になる竜具や固有魔力は存在するが、シルの竜の紋章にそのような能力は無い。


「――メリットはないが……まぁ答えてもいいか」


「いいのか?」


「竜具の能力を開示した程度で不利になるなら、ここまで有名になってはいないさ」


「それは確かに。あなたがその程度の男でない事は、少なからず理解しているつもりだ」


 長年傭兵をやっていれば、敵に自分の能力が把握されることなど珍しくはない。ただでさえ竜の紋章の能力は、シンプルで見当が付けやすい。

 更に傭兵として名が広まると共に、必然竜具を所持している情報も広まってゆく。傭兵の暗黙の了解として、本人の許可なく固有魔力と竜具の能力を言いふらす事は、あまり褒められた行為でない。

 しかし、暗黙の了解で人の口を紡げるはずはない。


「そういう事。と言っても見たままの能力だけどな」


「推測するに竜具で具現化した物を、触れることで形を変える能力だか?」


「ご名答」


 シルが話すまでもなく、大男は的確にシルが新たに見せた能力をほぼ言い当てた。


「やっぱり侮れないな。洞察力もなかなかのものだが、注視するべきはそのスピードだな。固有魔力は関係ないんだろう?」


 大男の目を見張る身のこなしをシルは指摘する。大男が自身の固有魔力を偽っていなければ、大男の身体能力は鍛錬によって得られたものだろう。

 巨漢の傭兵と聞けば、力任せに斧を振り回すような筋肉の塊を想像するが、実際は筋肉だけで生き残れるほどこの世界は甘くはない。


「むぐっ……その認識で問題ない。私の固有魔力でできるのは……もぐっ……体の硬化のみだ」


「ふむ……シンプル故の強さか。そりゃ速度と力、そして硬さを兼ね合わせた大男が弱いはずがない。で? さっきから喰ってるそれは何だ?」


 シルが大男の評価を口にしている間、大男は懐から取り出した石の様なものをかじっていた。

 石の様なものと言っても、シルの目にはどう見ても大男がかじっているものは石にしか見えない。


「もぐっ……これは昨日商人から買い取った鉱石だ」


「そうじゃなくてだな。鉱石を食ってる理由を……いや、そうか。固有魔力か」


「ご名答」


 大男との会話の途中で、ようやく大男の固有魔力の詳細を思い出した。大男の能力は、皮膚の硬化であり、その硬度は鉱物を食べるほど高くなる。

 大男が能力を偽っている可能性もあるが、さすがにブラフで鉱石を食べはしないだろうとシルは判断した。


「つまり今までの会話は、硬化を強化するための時間稼ぎか。姑息な手を使うじゃないか」


「わざとらしく見過ごしておいてよく言う」


 事前に能力を開示したにもかかわらず、シルが大男の行動を咎めないはずはない。

仮に能力を忘れていたのが事実だとしても、鉱石を食うという明らかな奇行にしばらく言及しないはずはないだろう。


「何か考えがあるのだろう? あのシル・ノースがこんな簡単な見落としをするはずがない」


「さっきも言ったが、お前は俺のことを過大評価し過ぎだ。鉱石を食うのを見過ごしたのも、ただ本気のお前と戦いたいと思ったからだ」


 シルの言葉に嘘は無い。

どこまでも物事に筋を通そうとする大男の在り方をシルは好ましく思い、本気の大男を真正面から打ち倒すと決めた。シルが大男の強化を見過ごした理由はそれだけだ。


「……なるほど。では望み通り本気で戦うとしよう」


「そうこなくちゃな」


「ただ、条件がある」


 シルの言っていることは、大男にもよくわかる。戦いに勝敗以上の価値を見出すのは、大男もまた同じなのだから。

 だからこそ、大男もシルに条件を提示した。


「何だ?」


「そちらも本気で戦ってほしい。もちろん、命懸けで」


 大男にとって、シルは人生の目標であったと言っても過言ではない。

 数年前、まだ大男が今ほどの巨体ではなかった頃、当時の大男には何もなかった。

 奴隷であった大男は、その固有魔力を見込まれ、とある傭兵団にその身を売り払われた。


「初めての右も左もわからない戦場で、俺は見た。死の匂いが蔓延る戦場を、圧倒的な暴力で駆け抜ける貴方の姿を。何者にも侵されることのない強固な自己を!」


 常に誰かの言いなりで、流れのままに生きてきた大男にとって、シルの戦う姿は衝撃的だった。

 迫りくる敵を次々とねじ伏せるシルの目には、途切れることなく強い意志が宿っていた。


「貴方に俺は教えられたんだ。自分の人生は自分のためにあるのだと。俺は自分だけのために生きていいのだと」


「なるほどな。つまり今の自分が俺相手にどれだけ戦えるか試したいと?」


 大男の話を黙って聞いていたシルは、自分なりに解釈した話の内容を大男に確認した。

 色々と話していたが、要約すれば大男の望みは腕試しで間違いないだろう。


「その通りだ」


「そっちの願いはよくわかった。本気で戦うのは構わない。だが、命を懸けるのは無理だな」


「何?」


 シルの予想外の回答に、まさか要求を拒否されるとは思っていなかった大男は、思わず困惑の声を漏らした。

 悪意を持ってシルの言葉を受け取れば『お前如きとの戦いに命を懸ける価値もない』と言われているようなものだ。


「勘違いしないでくれ。お前の覚悟を無下にしているわけじゃない」


「ならば何故だ? 何の理由があって命を惜しむ? 少なくともあなたは戦いを楽しむ人種だと思っていたが」


 これが実際にシルと話すことが初めてである大男は、シルの性格について噂や伝聞でしか話を聞いたことがない。

 けれど、聞いた話によれば、シルは多くの強者との戦闘を心から楽しんでいたと聞く。当然それらの戦闘の中には、お互いに命懸けだった戦いもあったはずだ。

 そのシルが、実力を認めてくれているはずの大男との戦いで、本気は出すが命は懸けないという発言をした意図が、大男にはわからなかった。


「戦うことが楽しいのは否定しない。だが、どこかの戦闘狂ルートと違って、俺にとっては戦闘とそれに伴う自身の戦闘力の上昇は、あくまで目的を果たすための手段だ」


 大男の言うように、強者との命を懸けたギリギリの戦いでしか得られない高揚感と、その後に感じられる自身の成長を確かにシルは楽しんでいる。


 しかし、あくまでシルが命を懸けて戦うのは、そうせざるを得ない状況に遭遇した場合のみ。戦場で敵と遭遇した時や、破竜討伐に参加する時がその状況に当たる。

 シルが目的を果たすために行う命懸けの戦闘を楽しむことはあっても、それそのものを目的にすることは断じてない。


「俺の人生においての最優先は、大切な人との今を守ること。そのためには俺自身が生きていることが必須事項だ。だから俺は基本的に戦いに命は懸けない」


 シルが最も望むのは、シューネと共に歩むこの時間。

 今の幸せを護るためなら、その他の事は全て二の次だ。


「本気で言っているのか? 貴方には傭兵としての誇りは無いのか?」


 シルの言い分を聞いた大男は、不機嫌そうにゆっくりと口を開いた。

 不機嫌の理由は明白。大男が憧れた理想のシルと、実際のシルの在り方が大きく異なっていたからに他ならない。


「当然少なからずはあるとも。だが、誇りで守れるのは自分だけだ。それじゃ駄目なんだよ」


 刹那、シルの脳裏をよぎったのは、第二の故郷であった村が焼け落ちる光景。

 何も守れなかった。かろうじてシューネだけは盗賊から救い出すことはできたが、シューネ以外の全てをシルは守ることができなかった。

 自分には絶対的な信頼を置ける恋人がいるのだという誇りは、圧倒的な暴力の前には何の役にも立たなかったのだ。


「それに俺が死んだら泣いて悲しむのが、少なくとも二人はいるんでな。だからそう簡単に命を懸けるなんて言えないんだよ、俺は」


「……よくわかった。確かに俺は貴方を過大評価し過ぎていたようだ」


 これまでになく冷えた大男の目がシルを刺す。


「期待外れだ。シル・ノース」


 憧れを失い、同時に大男の目に宿ったのは、燃やし尽くせぬ激怒。

 つい数分前までは意気投合していた二人、その間に簡単には埋まらぬ溝が生まれた瞬間であった。


「私がこの手で思い知らせてやる。この世界で唯一信用できるのは、全てを圧倒する強大な自己のみであると!」


「そっちがそう来るなら、こっちも教えてやる。一人で戦う事の限界をな」


 徹底的に根本から両者の主張は食い違う。

 もはやこれはただの傭兵の小競り合いではない。

 お互いの人生を掛けた男と男の戦いの火蓋は、ここに斬って落とされた。


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