幕間2 生きる理由

「朝……ってほどの時間でもないか」


 窓から差し込む朝日で起床、などという気持ちのいい目覚めになるはずはなく、シルは最悪の気分で宿屋のベッドから起き上がった。

 外は未だに太陽の気配すら無く、シルが宿屋に帰ってきた時と暗さは全く変わっていない。


「頭痛っ……さすがに寝てられる心境じゃないな」


 意識が覚醒するほどに、昨夜シューネにフラれた衝撃が押し寄せてきて、睡眠不足による頭痛に拍車をかける。


「ルートの奴、むかつくほど気持ちよさそうに寝てやがるな……駄目だ。褒められたことじゃないとわかっていても、幸せな顔してる他人に腹が立つ」


 このままでは顔を合わせる誰にでも悪態をついてしまう気がして、シルはコートを掴んで部屋を飛び出した。

 いつもならばありえないが、今のシルには、他のものに八つ当たりしない自信が無い。


「――とりあえず歩くか」


 宿の外に出て、シルは目的地を定めるでもなく歩き始めた。まるで九年前の吹雪の中を歩いていた時の様に。


「おぉ……いい景色」


 シルが気付けば、いつの間にか周囲は森であった。どうやら適当に歩いている間に街を離れて、近くの森まで歩いてきてしまっていたらしい。

 そして今シルが立つ崖から見える景色、朝日がザンドーラを照らしていく絶景に、シルは感嘆の声を漏らした。


「――そういえば、あの時もこんな朝日だったな……」


 ザンドーラの向こうに見える朝日は、シルに感動を与えると共に、シルの幸せな記憶をも呼び覚ました。


◆◆◆


「シル君が来てもう三か月だねー。いつまでここにいる気なの?」


 まだ朝日も上りきっていない早朝、強風が吹く森の中をシルとシューネは歩いていた。


「俺は別に村を出ていくと言ったことは一度も無い。それとも出ていって欲しいのか?」


「そういうわけじゃないけどさ。シル君、あんまり自分の事を話してくれないから」


 シルがスール村に来てから、はや三か月。既にシルは村の一員として迎え入れられつつあった。

 しかし、その三か月の交流の中で、シルは頑なに村に来るまでの話をしようとはしなかった。シューネや村民がシルの過去について尋ねる度に、シルはまるで古傷をえぐられるような顔をして、話を逸らすのだった。


「無理に聞き出したいわけじゃないけど、シル君が私を想ってくれるみたいに、私もシル君の事をもっと知りたい」


 シルはこの三か月間、あの手この手でシューネに告白を繰り返した。

 ある時は言葉で真正面から、またある時は手紙で。

 あまりにもまっすぐで一途なシルの猛攻に、シューネもシルの事を意識し始めていた。

 だからこそ、今のシルを作り上げた過去にシューネが興味を持つことも当然だ。


「――確かに俺だけ何も話さないのはフェアじゃないな。それじゃあどこから話そうか」


「話したくないなら、話さなくてもいいんだよ?」


「大丈夫。むしろシューネには話しておくべきだった。と言っても大した話じゃないけど」


 自分の過去も明かさずに、他者に心を開いてもらおうなんてなんとおこがましい態度だったのだろうと、シルは自分を見つめ直すに至った。


「まず俺の実家は貴族みたいなもんでな。それなりに不自由の無い生活をしてた」


「いきなり自慢話?」


「まあ聞けって。とにかく色々あって、俺は家を出奔する羽目になった。その原因を作ったのが【竜神教】だ」


「竜神教……?」


 シルの話を静かに聞いていたシューネだったが、突然出てきた聞いたことのない単語に首を傾げた。

 この辺境の村で生まれ育ったシューネは、はっきり言って俗世には疎い。それでも伝聞や本から得た知識によって、ある程度はこの世界の知識を持っている。

 だが、少なくともシューネには竜神教という名は初耳であった。


「有名な宗教なの?」


「全く聞いたことがない。あくまで俺の知る範囲だけど、アルカス王国だと一般的に広まってるものじゃないのは確かだ」


 シルも竜神教の名を聞いたのは、家を出奔した時の一度きり。アルカス王国やその他周辺国の歴史を思い返しても、竜神教の名が歴史に登場した覚えはシルには無かった。


「へー、それでその竜神教は何をしでかしたの?」


 貴族に近い家柄の生まれだと言うシル、一体何があってこの村に辿り着くに至ったのか。その疑問を解消するべく、更にシューネは質問を続けた。


「突然俺の親父が治める領地を攻めてきたんだよ。何の宣戦布告も無しにな」


「何それ……一体何の目的があって?」


「さてな。奴らは何も語らなかった。ただ目の前のものを壊すだけだった」


 今まで見たことがない険しい目つきをしながら、思い出すのも忌々しい記憶をシルは語り聞かせた。

 シルの父が治めるシルの故郷に対し、竜神教が攻撃を開始したのは、シルが村に辿り着く一か月前ほどのこと。

 領民の奮戦によって、竜神教を撃退することには成功したが、その代償は少ないものではなかった。


「――双方に大勢の死者が出た。それにもかかわらず、奴らはずっと笑ってた。まるで破壊そのものを楽しんでるみたいに」


「それって……」


 竜神教の異常性を聞き、シューネは同様の異常性を持つ存在を連想した。


「ああ、まるで破竜みたいだろ? あんな怪物の真似して何が楽しいのかは理解できないけどな」


 破壊行動を最上の愉悦とし、存在する物を全て破壊しようとするその在り方は、破竜そのものだ。

 だが、あくまでその在り方は破竜のもの。他者を気安く蹂躙する強大な力を持っているからこそ、破竜はその身勝手な在り様を許されている。


「じゃあ竜神教の人達は、破竜になりたい人達なのかな?」


「さてな。いずれにせよ、まともな奴らじゃない。そういうわけで、俺は竜神教をぶっ潰すために旅に出たわけだ」


 シルの過去を伝えられ、シューネはシルに抱いていた印象を持ち直した。


(ただの軽薄な人だと思ってたけど、それなりのものを背負ってたんだ……)


 初対面の求婚発言と普段の言動から、シルに対する適当で意志の軽い人という印象をどうしてもシューネは拭えなかった。シューネに日頃から囁いている愛の言葉も、どうせ他に美人がいれば平気で同じ言葉をその美人に囁くのだろうと。


「ちょっとだけシル君のこと見直したよ」


「それはよかった。ところでどんな風に見直したんだ?」


「最低限の人の心は持ち合わせてるんだなって」


「元の俺の評価低すぎだろ! おっと、そんなこと言ってるうちに着いたな」


「やっと到着?」


 村を出て約一時間、ようやく二人は目的地に到着した。

 シルが『見せたいものがある』と言い出したのは、昨夜のことだ。朝になってからもシルから詳しい説明は無く、黙ってシルに付いてきてみれば、到着したのは村の東にある湖だった。


「朝からこんなに歩かせといて大したものじゃなかったら、ちょっとだけシル君の事嫌いになるからね?」


「ちょっとだけで済ませてくれるシューネのそういう優しいところが俺は好きだよ」


「はいはい、それで? 見せたいもって?」


 シルの言葉をシューネは華麗にスルーし、話を続ける。

 いちいちシルのこんな発言に付き合っていてはきりが無いと、シューネはこの一か月で十分に学んだ。

 日が経つにつれ、シューネの反応が薄くなつているにもかかわらず、それでもシルがシューネに好意を伝えることを止めることは無かった。


(初めは私をからかってるだけかと思ってたけど、ここまで貫き通すとなると、さすがに本気なのかな)


 少なくともシルは、シューネの反応を楽しんでいるのではないのだと思うほどには、シューネもシルのことを理解し始めている。三か月という時間は短いようで、二人の距離を縮めるには十分な時間だった。


「ほらほら! シューネ、速く来いよ!」


 森が開けている場所にいち早く駆け出したシルは、その先に広がる湖を指差した。


「子供だなあ……一体何があるの?」


 まるで幼い子供の様にはしゃぐシルに呆れながら、遅れて指差された先を見たシューネは、思わず息を呑んだ。


「わあ……綺麗……」


「だろ?」


 湖に広がっていたのは、視界を覆い尽くすほどの花吹雪。更にはちょうど昇ってきた朝日によってその花びらが輝いて舞い散っている絶景だった。


「この辺【ユキザクラ】が生えてるだろ? 今日は色々条件が揃ってたから、綺麗な景色が見えるんじゃないかと思ったんだよ」


 ユキザクラのことは当然シューネも知っている。この近辺によく生えている、吹雪の中でだけ花を咲かせる不思議な木だ。


「狩りの途中で花が咲いてるのは見たことがあったけど、花が散ってるのは見たことなかったよ……」


 吹雪の中で花を咲かせるユキザクラの花びらは、雪に覆われている。その雪が朝日を反射し、この眼前に広がる奇跡的な光景を生み出していた。

 湖に反射する朝日と光り輝く花吹雪は、まるでおとぎ話で読んだ天国の様に辺りを照らしている。


「――シューネ、聞いてくれ」


 その神秘的な光景に言葉を無くして見入っていたシューネを現実に呼び戻したのは、いつにも増して真剣なシルの声だった。


「な、何? 珍しく真面目な顔して?」


 初めて見るシルの真剣な顔に、シューネの胸中には、困惑と驚愕の二種類の感情が浮かんだ。


「俺、ずっと考えてたんだ。俺の生きる理由は何だろうって。どんな人生を歩んだところで、結局最後にあるのは死だけだ。それなら俺の人生に意味はあるのかって」


 竜神教の侵攻によって死亡した者の中には、シルの知人も何人もいた。シルの幼少期からの知り合いもいれば、最近子供が生まれたばかりの者もいた。

 身近な人達の死を体験し、シルは死について深く考え込むようになった。果たして竜神教との戦いで散っていった者達の人生に意味はあったのかと。


「でも俺、シューネと出会ってわかったんだ。生きる理由っていうのは、決まってるものじゃない。自分自身で見つけて、定めるものなんだって」


「シル君……」


 真っ直ぐにシューネを見つめるシルの瞳を、シューネもまた真正面から受け止めた。

 この先の展開を予想すれば、もちろん恥ずかしい気持ちはある。しかし、今目を逸らすことは、シルの覚悟への最大限の侮辱だ。


 シューネの胸中をシルも察し、シューネの手を握って言葉を続けた。


「だから、これからの人生を俺と共に歩んでほしい。例え見返りが無くても、俺はシューネを隣で支えたい。そして、もし俺がくじけそうになった時は、隣で俺を支えてほしい」


 普段とは違う、本心からのシルの告白。寒さもあるだろうが声は所々が震え、瞳もまた迷子の子供ように不安を浮かべている。

 これがシルが今まで見せなかった弱さなのだと、シューネは確信する。


「――シル君の気持ちはよくわかった。でも、その気持ちにはまだ答えられない」


「まだ?」


 少し考え込んだシューネの返答は、決して肯定的なものではなかった。しかし、真っ向からの否定でもない。


「うん、まだ出会って三か月だし、私はシル君への想いを定めきれてない。だから少しだけ待って欲しい。一週間……三日後には答えを出すから!」


 シルのことは別に嫌いではない。けれど、恋人になりたいかと問われると即答はしかねる。

 なんせ、今日までシルの好意を本気に思ったことなどなかったのだから。

 だからシルの覚悟を無下にはせず、自分の気持ちを整理すべくシューネが取った選択は保留だった。


「――そうか、わかった。待つよ、いつまでも。それじゃあ帰るか」


「せっかく来たんだから、湖の周りを一周してから帰ろうよ」


「そうだな。じゃあ行こうか」


 繋いだ手を離さないまま、二人は歩き出す。


 その光景を唯一見届けていた朝日が、二人を祝福するように輝いていた。


◆◆◆


「んー、朝?」


 昨日の疲れが全く取れていないことを確信しながらも、シューネはベッドから体を起こした。

 今日は餓食戦を労われての非番だ。普段なら気の済むまで眠っているところだが、今日のシューネはそんな気分にはとてもなれなかった。


「シル君……ごめんね。でも、これでいいんだよ」


 眠っても脳裏にこびりついて消えないのは、昨夜別れを切り出した時のシルの表情だ。

 あんなシルの表情を見たのは、過去にも一回きり。八年前、シルと袂を分かった時以来だろうか。


「あ、朝日」


 窓から外を見れば、朝日が半分ほど昇っている。


「あの時みたい……」


 昇りかけの朝日を見てシューネが思い出すのは、八年前の出来事。

 故郷が焼かれた日のことだ。


 盗賊によって連れ去られたシューネが、シルに助け出されて村に戻ってみれば、村は完全に壊滅していた。家屋は全て燃やされ、生存者はシルとシューネの二人だけ。

 あの日のことはあまり覚えていないが、既に誰のものかもわからない焼死体が、朝日に照らされていたことだけは覚えている。

 それ以降、シューネはこの時間帯が嫌いだ。


「あの日の前までは、好きだったのにな……」


 故郷が焼かれるまでは、シューネはむしろこの時間帯が好きだった。

 シルに告白されたあの日を思い出せるから。


「あの頃は楽しかったなあ」


 シルに告白された日、答えを保留にしたシューネだったが、結局は湖を半周もしないうちにシルの告白を受け入れた。

 返事をした時のシルの輝く笑顔は、今でもよく覚えている。


 そして、その時にシルがくれた竜と猫が掘られたピアスは、ずっとシューネの宝物だった。


「私、何してるんだろう……」


 シューネが騎士になった一番の理由、八年前シルを切り捨てた事への罪悪感すら、今となっては揺らいでいる。また同じことを繰り返しておいて、何が罪悪感だ。


 いよいよ自分自身のことすらわからなくなり、シューネは底の無い思考の沼へと段々と沈んでいった。

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