幕間1 出会い

(いよいよ目も霞んできた。足もそろそろ限界か……)


 猛吹雪が視界を遮り、数十センチ先すら見渡せない雪原の上を一人の少年が歩いていた。

 少年は何の目的があるわけでもなく、ただ足を前に進める。その姿はまるでさ迷い歩く亡霊の様。


(あーあくそ、ここまでか。つまんねえ人生だったな)


 既に感覚が無くなりつつある五感が、足を踏み外したらしい事を少年に伝えた。

 体が落下している感覚を味わいながら、数秒後に訪れるだろう死を抵抗することもなく受け入れ、少年はゆっくりと目を閉じた。


◆◆◆


「――なんだ。死後の世界ってのも案外代わり映えしないんだな」


 少年が目を覚ますと、そこはベッドの上だった。

 周りを見渡すと、どうやら一般的な農家の一室らしく、傍の窓からは深々と降る雪が外の民家に降り積もる様子が見える。

 少なくとも死後の世界ではなさそうだ。


「どこだ? ここは?」


「ここはスール村だよ。君は急に山を歩いていた僕達の前に落ちてきたんだ。覚えてないかい?」

 少年の独り言に近い質問に、部屋に入ってきた三十代ほどに見える青年が答えた。

 どうやら少年は、からくも死を免れたらしい。雪がクッションになったのもあるのだろうが、我ながら頑丈な体だ。


「助けて頂きありがとうございます。スール村というと、アルカス王国北端の獣人の村ですか?」


「おや、よく知ってるね。こんな辺境の村を」


 スール村は一年の半分近くは雪が降る土地にあり、その土地の特性から外部との関わりがかなり薄い。よってスール村の存在を知る者は、かなり少ない。


「ええ、王国の北に、吹雪の中で暮らす獣人の村があると聞いたことがありまして」


「そうなんだね。ところで君、名前は? 私はグリス・アンゴラ。この村では唯一の人間だ」


 スール村は獣人の村と聞いていたが、グリスの様な人間も暮らしているらしい。

 シルの見立てでは、グリスは一般的な人間とほとんど変わらないように見える。普通の人間にこの村の寒さは厳しいはずだ。何かしらこんな辺境で暮らさなければならない理由があるのだろうか。


「グリスさんですか。よろしくお願いします。俺は、そうですね……。俺の名はシル。シル・ノースです」


 名を聞かれ、少し考え込んだ後に、シルは名乗った。


「シル君か。よろしくね。ところでシル君はなぜこんな吹雪の中を出歩いていたんだい?」 


「色々あって家を飛び出してきました。如何せん勢いで飛び出してきてしまったので、何の準備もなく吹雪にあってしまい、崖から落ちた次第です」


「なるほど。家出か。そうだ、お腹すいているだろう? 何か持ってこよう」


 シルの事情を深く詮索はせず、グリスは部屋を出ていった。


「ふう、あの吹雪の中で助かるとは、悪運の強いことだな」


 グリスが居なくなり、沈黙が落ちた部屋で、シルは一人これからについて考え始めた。


「さて、これからどうしたものか。生きてても仕方ないが、死ぬ理由も見当たらん」


 もうシルには生きようと思える理由もなければ、死のうとする意思も無い。窓から見える降り積もっている雪の様に、ただ流れに身を任せているだけに過ぎない。


「そこら辺に落ちてないもんかねー。生きる理由ってやつ」


 雪景色を眺めながら、ぼやいたシルの独り言は、誰に届くわけでもなく虚空に消える。

 そうしてしばらく雰囲気に浸っていたシルの意識は、扉をノックする音で引き戻された。


「はい」


「えっと……お父さんに言われてスープ持ってきたんだけど」


「ありがとうございます。どうぞ入ってください」


 ドアの外から聞こえてきたのは、グリスの声ではなく、若い女性の声だった。

 女性は目覚めたシルのためにスープを持ってきてくれたらしい。

 温かい毛布にくるまっているとはいえ、猛吹雪の中を数日間さまよったシルの体の芯は冷えきっている。ありがたい行為を無下にする理由もなく、シルは女性を快く部屋に招き入れた。


「何から何まで申し訳……ない……です」


「どうしたの? 固まっちゃって。大丈夫?」


 シルの視線を一瞬で釘付けにしたのは、女性の頭に生えた猫の耳や、腰の付け根から伸びる尻尾ではなく、その女性の美貌だった。

 整った顔立ちはもちろん、特にシルの気を引いたのは雪よりも白く、腰まで伸ばした美しい髪。


 耳と尻尾から女性が獣人であるのは明らか。しかし、シルはこれほどに美しい獣人を見たことが無い。いや、例え他種族を含めたとしても、女性の持つ美しさは、シルがまだ短い人生で見てきたあらゆるものを凌駕していた。


「いや……えっと……名前……そう! 名前を聞いてもいいですか? 俺はシル・ノースと申します」


 言葉に詰まりつつも、シルは何とか言葉を絞り出す。

 まずはお互いに自己紹介をしない事には始まらない。


「固まったり、自己紹介したり忙しい人だなあ。私の名前はシューネ・アンゴラ。さっきのは私のお父さんだよ」


「シューネ……か。うん、良い名前だ。よろしくお願いしますね、シューネさん」


「うん、よろしく、シル君。何かスープ以外に欲しいものがあったらすぐに言ってね。できる限りで用意するから」


 生まれた家を飛び出し、猛吹雪の中をさまよってすっかり冷えたシルの心身を、シューネやグリスの優しさは無条件に温めてくれる。どこの馬の骨とも知らないシルをだ。


「俺なんかのために本当にありがとうございます。それじゃあ早速ですが、一つ頼んでも?」


「何?」


「シューネさん、俺と結婚してください」


「するわけないでしょ。初対面で失礼にも程があるよ?」


 気が付けば口が勝手に動いていた。

シルの理性を貫通して放たれた求婚発言を、当然シューネは受け付けずに突っぱねる。


「ですよね! ハハッ! アハハハハハハッ‼ ハッハハハハハ! ゲホッ……!」


「だ、大丈夫? もう、変な人」


 一世一代のプロポーズを断られたシルの胸中に溢れてきたのは、心からの歓喜だった。

 仕方ないではないか。まさか本当に生きる理由が、こんな簡単に見つかると誰が思っただろうか。

 たった一人で故郷を出奔し、孤独に吹雪の中をさ迷い歩いた甲斐はどうやらあったらしい。


「心配ご無用。ただの一目惚れです」


「――本当に変な人」


 シルのいまいち真意の掴めない言動に、シューネは呆れて肩をすくめる。

いきなり一目惚れだ何だとシューネには意味がわからないが、シルの笑顔を見るとそれも些細な事のように思えてきた。


「まあいいや。この調子なら数日は吹雪は止まないだろうし、とりあえずしばらくの間よろしくね」


「ああ、よろしく」


 そう言って二人はどちらともなく手を差し出し、握手を交わした。


(意外と人生ってのは、生きてればいいことあるもんだな)


 シューネを通して見るこの色づいた世界。この素晴らしい世界がこれからの未来にもずっと広がっているのだと、この時のシルは思っていたのだった。

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