第十三話 拒絶
「ねえシル君、私達もう会うのは止めない?」
八年に及ぶ長い時間を経て、ようやく再会したシルとシューネの会話は、まるで離れていた時間を取り返すようにお互いに弾んだものになった。
初めは不思議とお互いに気まずい雰囲気があったが、少し話をするうちにそんなものはどこかへ消えた。
二人だけの空間で言葉が途切れることはなく、シルが求め続けた時間が確かにここにはあった。
しかし、そうした和気藹々とした会話で前触れなく出たのが、先のシューネの言葉だった。
「ん? 今なんて?」
「だから、もう私達会うのは止めようって」
「あはは……そろそろ酒が回ってきたかな? 幻聴が聞こえるように……」
突然切り出された別れに、必然シルは自らの聴覚を疑い、苦笑いをすることしか出来なかった。
酒で聴覚が狂っただけならどれだけよかっただろうか。何の言葉も発さずに黙り込んだシューネを見て、シルはシューネの言葉が本気だと悟るしかなかった。
「何で……? 何でそんなこと言うんだよ! やっと……やっと会えたのに!」
「八年前にも言ったでしょ。私とシル君じゃ身分が違い過ぎるよ」
シューネの発言は事実だ。
八年前、シューネの叔母を名乗る人物の使いのシューネを引き取る申し出を、二人は拒否した。
お互い以外の全てを燃やされ、とても他者を信用する気にはならなかったからだ。何よりその申し出を受け入れることは二人の別れを意味していた。
そして、強制的にシューネを連れて行こうとする叔母の使いとシルは戦闘になり、完膚なきまでに敗北した。
ボロボロになってもなお立ち上がろうとするシルにシューネがかけた言葉が、二人の身分の違いによる拒絶だった。
しかし、そのシューネの言葉が本心からのものでないことは、容易に理解できた。
「でも、あの言葉は俺を庇ってのことだろ!?」
今でも忘れることはない。
降りしきる雨の中、背中から感じる地面の冷たさを。雨に混じった大粒の涙を流しながら、心にもないシルへの罵倒を口にするシューネの顔を。その顔をさせてしまった自分への無力感も。
だから強くなろうと努力した。もう二度と大切なものを失わないために。
だが、努力が常に報われるとは限らない。
「うん、あの時はそのつもりだったよ。でも、今は本当に身分の違いって大事だと思ってる」
「は?」
予想外のシューネの言葉にシルは全く理解が及ばない。それでもシューネの話は続いていく。
「やっぱり貴族と傭兵が恋人同士なんて体裁が悪いでしょ? それに私を育ててくれた叔母様にも迷惑がかかるし」
「――本気、なんだな?」
溢れ出る感情を全て抑えつけ、短い言葉を絞り出すことしかシルには出来なかった。
そして、既にボロボロなシルの心にシューネは最後のとどめを刺した。
「私は本気だよ。というか、そもそも八年間も元恋人の事を追いかけ続けるなんて、ちょっと気持ち悪いと思うよ」
もうシルには反論する余裕すら残ってはいなかった。確かに客観的に見ると、自分の行動は少し気持ち悪い。
「ああ、シューネの気持ちはよくわかった。とりあえず今日のところは帰るよ」
入ってきた窓に向かって歩き出し、何とかそれだけを口にするのが精いっぱいだった。
視界がぐらつき、四肢から血の気が引いていくのがよく分かる。
「シューネ、また……あ」
「シル君!?」
あまりにもひどい精神状態故か、足を滑らせて窓から落下したシルに、思わずシューネは声を張り上げた。
「だ、大丈夫……?」
シューネの心配に何も返さず、地面からふらふら起き上がって帰路に就くシルの背中を、シューネは黙って見送った。
「これでいいんだよね」
窓を閉め、一人になった私室で自分に言い聞かせるようにシューネは呟いた。
シューネの脳裏に強く刻み込まれた記憶。それは、自分のためにボロボロになって戦うシルの姿だ。
盗賊から自分を取り戻すために、信用できない叔母の使いから自分を守るために、シルはどれだけ傷ついても立ち上がった。
それは嬉しいことではあったが、同時に怖くもあった。いつかシルが自分のために戦って死んでしまうのではと思ったからだ。村が襲われた時、自分を守って死んだ両親の様に。
そして、そのシューネの恐怖は、八年前の別れの日に確かなものとなった。
叔母の使いとの戦闘は、当時のシルに勝機は一切なかった。それでも彼は何度も立ち上がった。
ただシューネのためだけに。そのまま戦い続ければ、死ぬことも十分あり得たはずなのに。
だから、シューネはシルを自分から遠ざけることを選んだ。その選択がどれだけシルを傷つけるか十分に理解していながらも。
「――あれっ……? 駄目っ……泣く資格なんか、私には無いのに……!」
シルの前では抑えていた涙が、遂に限界を超えて溢れ出した。
静寂の闇夜の中で、シューネの嗚咽だけがしばらく私室に響いていた。
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