第十二話 シューネの真意
「ここか」
リナの決闘の観戦を途中で放棄し、シルは騎士団の兵舎へと足を運んでいた。
「確か三階だから、あの部屋か?」
その理由は、ついぞ姿を見せなかったシューネに会うためだ。
リナの勝利を確信していたシルは、今回の決闘の無礼を不問とする代わりにキルブライドからシューネの私室の場所を聞き出していた。
「人の気配はしないが、ここ以外に当てもないしな」
いくらかつての恋仲といえ、八年間ぶりに再会したシューネの居場所に見当がつくはずもない。私室にいなければ、もうお手上げだ。
「よし。行くか」
◆◆◆
「逃げてばっかりじゃダメだって、わかってるはずなんだけどなあ……」
兵舎の私室に備え付けられたベッドの枕に顔を埋めながら、シューネはぽろりと誰に向けたわけでもない言葉を漏らした。
「いつの間に忘れてたんだろう」
シルと別れたあの日のことは、別れた直後には毎日の様に夢に見ていた。
降りしきる雨の中、傷ついて倒れたシルに向かって最低の言葉を投げかけたあの日のことを忘れるはずがない。いや、忘れてはいけないのだと思っていた。
それでもザンドーラに来て、騎士になって、シルと過ごした日々よりもここで過ごす日々の方がいつの間にか長くなっていた。
その日々の中であの日のことが自分の中ではっきりと過去になっていたのだと、シルと再開してシューネは自覚するに至った。
「でも、ずっと探してくれてたなんて思わないよ」
心のどこかで、シルもシューネを忘れてどこかで生きているのだと思っていた。
あんな別れ方をしたのだ。自分だったら、きっと同じ言葉を口にした恋人を許しはしない。
けれど、シルは違った。かつての恋人は、ずっと自分のことを求め続けてくれていた。
「シル君の気持ちはずっと変わってない。きっと戦う理由も。だったら、やっぱり私は……」
再会したシルは声が低くなり、身長が伸びて、態度も大人びていて特徴的な髪色以外は昔とは似ても似つかない。だから直接顔を合わせても、シューネは他人の空似程度にしか思わなかった。
しかし、外見は大きく変わってもその中身が、少なくともシューネへの想いが微塵も変わっていないことは明らかだった。
それは嬉しいことのはずなのに、シューネは心から喜ぶことは出来なかった。
「いっそのこと、私のこと憎んでくれてたらよかったのにな」
昔と変わらない好意を向けてくれるシルに対し、今のシューネはその好意を本心から受け入れることが出来ない。
そのどうしようもない罪悪感が、シルと相対する場からシューネの足を遠ざけた。
「ああもう、これ考えるの何回目なの私!」
そうして思考のループに陥ってベッドの上で意味もなくバタバタするシューネの耳が誰かが窓を叩く音を捉えた。
窓の方に目をやると、そこにはこちらを覗く人影があった。
「え? 誰?」
人影に警戒しながら武器に手を伸ばすシューネに掛けられた声は、聞き覚えのあるものだった。
「シューネ、俺だ」
そこにいたのは、今は最も会いたくなかった人物。
夜空に輝く星の光を吸い込んで煌めく銀髪、そして自分に向ける優しい笑顔だけは、昔と何ら変わってはいないシルだった。
「本……当に、シル……君?」
「このやり取り、今朝もしなかったか? 信用できないなら、夜明けまでシューネへの愛でも語り明かそうか?」
「この恥じらいの無さは間違いなくシル君だね。むしろそこは変わっていて欲しかったんだけどな」
シューネの前触れなく現れたシルへの困惑と緊張は、おどけたシルの言動によって一瞬で吹き飛ばされていた。
「それで? 何か用事でもあったの?」
「用事ってほどじゃないさ。ただ会いたいなと思っただけだ」
「――もう、本当に変わってないんだね。そういうところだよ」
シルの率直な言葉に頬を赤らめ、シューネは苦笑した。
今度はおどけたわけではない。シルがここに来た理由に、一切偽りがないことがシューネにはわかった。
そんな十の妄言に一の本音を潜ませるところもシルの魅力の一つだ。
「ちゃんと手土産は持ってきたから安心してくれ。お互いに積もる話もあるだろ?」
「――うん、そうだね」
シルが酒場から拝借してきた酒や料理を机に広げ、八年ぶりの二人だけの夜が始まった。
◆◆◆
「もう! 団長はいっっっっつもこうですよ! 本当に自分勝手なんですから! 振り回されるこっちの身にもなってほしいですよ」
「でもそんなところも?」
「好きー!」
シルとシューネが邂逅を果たしていた頃、やけ酒ならぬやけミルクを貪るリナの怒声が酒場に響いていた。それをからかうノルノの笑い声と共に。
「本当に貴殿達は仲がいいな」
「うちは全員シルが独断と偏見でかき集めたメンバーなので、必然気が合うんでしょう」
リナとノルノを見て率直な感想を述べるキルブライドに対し、水を飲みながらレイが応じた。
リナが圧勝した決闘を節目として宴がお開きになったことで、酒場に残っているのはシルを除いた【竜と猫】の四人とキルブライドだけだった。
「気が合うと言えば、シル殿とアンゴラ副隊長だ。あの二人はどういった関係だ?」
二人が既知の間柄であることは見るに明らかだ。しかし、その詳細までを今日だけで見抜くことは、キルブライドでも不可能だった。
故に酒が入っていることもあり、野次馬根性で尋ねた次第であった。
「実は僕達もよくは知らないのです。何分、僕達がシルと出会う前の話ですので」
「団長曰く、十年前にとある事情で故郷を出奔した団長が、シューネさんの暮らす村の近辺で行き倒れていたのが二人の最初の出会いらしいです」
シルの話を聞きつけて近づいてきたリナが、レイに代わってキルブライドの疑問に答え始めた。
「二年近く続いた村での生活でしたが、その幸せの終焉は突然でした。襲ってきた盗賊団によって村が焼かれたのです」
「――度し難い」
リナが語った一つの崩れた幸せに、キルブライドは怒りを抱かずにはいられなかった。
「結果として村は壊滅し、生存者は二人だけ。シューネさんは盗賊団の囚われの身となりました。そもそもの盗賊団の狙いがシューネさんだったからです」
「まさかあの二人にそんな過去があったとは。しかし、今二人が無事だということは……」
「お察しの通りです。竜具と取引を交わした団長の手によって、シューネさんは救出されました。しかし、二人が心に負った傷、特にシューネさんの傷は察するに余りあるものでした」
当然だ。自分が理由で故郷が滅び、家族が死んだなど到底受け入れられる現実ではない。キルブライドでも同じ状況になれば、正気を保っていられるかも怪しいものだ。
「シューネさんが救出されて数日後、シューネさんのお父様の妹を名乗る人から使者が来ました。目的は天涯孤独となったシューネさんを引き取ること。その時、何があったのかは知りませんが、シューネさんは団長と別れる道を選びました」
淡々と話をしていたリナの語調が最後だけ強くなったように感じたのは、キルブライドの勘違いではない。
少女がその胸に抱く激情は、薄情とも取れるシューネのかつての選択に対してか、それとも別の何かに対してか。
「そして、シューネさんを探す旅に出た団長は、とある都市のスラムで私と出会いました。碌に教育も受けていなかった私に、団長はたくさんのことを教えてくれました。言葉や常識もそうですが、何より大きかったのは人を愛する気持ちです。他にも団長は……」
「さりげなく話をすり替えるんじゃないの」
話の流れに乗って始まったリナの自分語りを、ノルノの軽いチョップが遮った。
キルブライドもそろそろリナ達のノリに慣れてきたのか、二人の絡みをスルーして自分の見解を述べた。
「なるほど。アンゴラ家といえば、建国当初から王国貴族に名を連ねる名家。彼女の父上がその血縁だったと。だが、二人は恋人だったのだろう? ならばなぜアンゴラはシル殿と別れる選択を?」
「私もずっとそれを考えていました。真実は実際にシューネさんに聞かないことにはわかりません。けれど、直接話してみて私の推測がほぼ確実なものになりました」
シルから語られる当時の話を総合した結果、リナには長年考えていた一つの推測があった。
そして、昼間のシューネとの邂逅で、その推測がほぼ真実であろうことをリナは確信していた。
「まあ、何はともあれ二人は無事に再会出来たわけだ。めでたしめでたしと」
「いえ、むしろ逆です。私は二人は再会しない方がよかったと、今は思います」
リナは何も嫉妬から二人の再会を望んでいないわけではない。ただ、これ以上傷つかないためという意味では、二人は再会するべきではなかった。
だって、その真実はシルにとって余りにも残酷だから。
「ほう、その心は?」
「私の考えが正しければ、間違いなくシューネさんは団長を拒絶します」
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