第二十六話 罪と贖罪
「――寒くなってきたな。そろそろ戻ろうか」
夏が近づいてはいるが、夜はまだ冷える。
明日も朝早くからリュースルトに向かうため、ミラー隊も交えた賑やかな夕食は早々に解散となった。何となく寝付けなかったシルは、宿屋の屋根の上で一人、月明りを浴びながらブドウ酒を飲んでいた。
「眠れないの?」
掛けられた声にシルが振り向くと、そこには毛布を羽織ったシューネが立っていた。
「シューネか。あまりに綺麗だから、遂にあの世からお迎えが来たかと思ったよ」
「あーはいはい、それはどーも。それで何してたの?」
シルの誉め言葉を華麗に流した様に見えるが、耳がやや赤くなっているのをシルは見逃さない。それをわざわざ指摘もしないが。
「月を見てたんだよ。売ったらいくらになるかなって思ってさ」
頭上の月を見上げ、シルは呟く。今晩の夕食で吹き飛んだ財布の中身を想いながら。
「――隣、いい?」
掛ける言葉がシューネには見つからなかった。
シューネにできたのは、シルの横に座り、その肩に毛布を掛けてあげることだけだった。
「ありがとう」
静かで、それでいて不思議と心地の良い沈黙が落ちた。
その沈黙に、シルは覚えがあった。
「昔も眠れない夜は、こうやって二人で夜空を見てたな」
思い出すのは、シューネと過ごした一年半。傭兵として過ごした年月より短く、それでいて今の自分の大半を形作ったと言っても過言ではない。そんな今までの人生で一番充実していた一年半。
「そうだね。昔とは色々変わったよ。昔はこんな短い毛布でも、二人揃ってくるまれたのに」
シューネもまた、シルと同じ時間を思い出していた。
昔は二人並んで全身を包めた毛布の長さでも、今のシルとシューネでは肩にかけるのがやっとだ。
「ああ、いろんなものが変わった。例えばこんな所とかな」
そう言うと、シルは右の手のひらに竜の紋章を出現させ、シューネが持ってきた毛布よりも更に大きな毛布を具現化した。
「わあ、すごい。改めて見ても便利な能力だね」
シルが具現化させた毛布を今度は全身にくるませ、シューネは竜の紋章の汎用性に感嘆の声を漏らした。
「俺が触れてないとしばらくしたら消えちゃうけどな。それに無計画に使うと魔力がすぐに枯渇する」
「今日の財布みたいに?」
「そういうこと。そう言えば、シューネはいつ竜具を?」
シューネはシルが竜具と取引をする場に立ち会っていたので、シルが竜具を所持していることを知っていた。しかし、シューネが竜具を手に入れたのはシルと別れたとであるため、シルは再会するまでシューネが竜具を所持していることを知らなかった。
「あの子を手に入れたのは、三年前だね。どこだったかの商会から国が買い取って、私が適合したの」
取引をすることで強力な能力を得ることができる竜具は、市場に出せばかなりの値段が付く。なのでそれを狙って破竜討伐に参加する傭兵は多い。
竜具は適合しなければ取引ができないため、破竜を倒して竜具を手に入れても、仲間が誰も適合しなければ、ちゃんとした価値のわかる商人に売り払うのが無難だ。
簒奪の大鎌も、そうやって市場に流れていた竜具の一つだった。
「適合しても取引をしない選択はあっただろ? そもそも何で騎士になろうと思ったんだ?」
「それは――」
同じ質問を数日前にリナからされた事を、シューネは思い出していた。あの時は薄っぺらな答えしか出せず、見事リナに本心を見透かされてしまった。
けれど、今は違う。自らの本心を偽っていたあの時とは。
「強くなりたいっていうのもあったけど、今考えると『良い事』をしたかったんだと思う。シル君への罪悪感をごまかすために」
そこに正義も理想もありはしない。唯一あったのは自責の念だ。
「ずっと迷ってたんだ。本当に守りたかったシル君を守れなかった私に、誰かを守る資格があるのかなって」
誰かを助けたいと思ったことも嘘ではないが、やはり根幹にあったのは贖罪の念だったと言わざるを得ない。
人を助けて感謝をされるたびに、自分の罪が洗い流されている気がした。実際にはただの自己満足に過ぎないと理解はしていても。
けれど、シューネにはそれしかシルに胸を張れる生き方が思いつけなかった。
「本当の私は、皆が思ってるような【優しさと強さを兼ね備えた完璧な騎士】なんかじゃないんだよ」
シルに軽蔑される事も覚悟で、シューネは長年誰にも話していなかった本心を明かした。
「そんなこと思ってたのか? だったらもう迷う必要は無いな」
「え?」
「だって、餓食との戦いで俺のことを守ってくれたじゃないか。だからこれからは、誰かを助けることを疑問に思う必要は無いだろ?」
シルの反応は、俯いて膝を抱えていたシューネには意外なものだった。
「でも、だからって私の罪が消えるわけじゃ……」
いくらシルが許しても、シューネが自分自身を許せるかは別問題だ。
「シューネ、罪は消せないよ。罪はそれ以上の功績で塗りつぶすしかないんだ」
「それ以上の功績?」
「そう。少なくとも俺はこうやって隣にいてくれるだけで十分だからさ。だから、これ以上俺の恋人を責めないであげてくれよ」
まだ不安げな顔をしているシューネに、シルは心からの笑顔を向ける。
その笑顔でようやくシューネの表情から影が消えた。
「今更だけど、本当にこんな私でいいの? シル君が思ってるより短所多いよ、私」
「シューネがいいんだ。それに、短所があってもいいじゃないか」
夜空に浮かぶ月を指差し、シルは言葉を続ける。
「だって、欠けていても月はあんなに綺麗なんだからさ」
「シル君……そのセリフはちょっと臭いよ」
「――わかってるって」
「でも、ありがと」
お互いの想いを吐き出し、二人は顔を見合わせて笑いあった。
そうして二人だけの夜は、ゆっくりと過ぎていくのだった。
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