第九話 歓迎の酒宴
「なあシル。あのお前の竜具は何なんだ? 私も欲しいのだが、どこで売ってるんだ?」
「ん? ああ、実はあれはここの店主に売ってもらったものなんだ。欲しいなら店主にキスすれば売ってくれるぞ」
「ははは、冗談が上手いなシル殿は……ってジャック! 何をしているんだ‼」
シルが無事決闘で勝利を収め、これからのアルカス騎士団との共闘が確定になったことで、一行は親交を深めるための宴会を王都の酒場で行っていた。
決闘後に数時間の休息を取ったため、既に日は落ちたというのに、まだ一杯のブドウ酒を飲んだだけのジャックの顔は夕日よりも赤かった。
「こんなに酔うのが早い人間初めて見たな。流石にキスは言い過ぎたか。申し訳ないことをしたな」
「ちなみに団長、本音はどうなんですか?」
「クソ面白い。数秒前の俺、ナイスすぎる」
身長二メートルを優に超える店主に熱いキスを交わすジャック、それを必死に引き剥がそうとするキルブライドなど、この場ではいい肴でしかない。酒が進むというものである。
「ふざけてないで手伝って貰いたいのだが!? いい加減にしないかジャック‼ 店主の目が段々とろけて来ているぞ!」
「いいぞジャック! もっと舌も入れていけー」
「馬鹿野郎! ここは一回離してからもっと熱いのをお見舞いするんだよ!」
酒場で行われる情事を肴にしているのはシル達だけではない。酒場にはキルブライドが非番であった騎士たちを集めてくれていた。
「ほらほらシルさん。もっと飲んで下さいよ。今回は騎士団長の奢りなんだから」
「おや、これはどうも」
集まった騎士たちは比較的好意的で、かなり積極的にシル達に話しかけてくれていた。この騎士も宴会が始まってずっとシルとの会話に花を咲かせていた。
「これぐらいどうってことないですよ! なんせシルさんには命を救ってもらったんですから」
「え? ああ! もしかして俺が餓食の拳を受け止めたときの?」
「はい。改めまして、ロイ・グレイスです! あの時救ってくれただけでも大感謝だというのに、貴方はさらに僕に更なる衝撃を与えてくれました」
真夜中の森の中だったのでよく顔が見えず、今まで気づかなかったが隣でずっと話しかけて来ていた騎士は、シルが餓食戦で救った騎士だった。
「そうそう、ロイさんだ。ところで更なる衝撃とは?」
ロイの命を救った事は確かに記憶に新しいが、更なる衝撃となるとシルにはてんで思い当たる節がない。
「何という謙虚さ……。このロイ・グレイス、一層感服いたしました」
「いや、本当に身に覚えがないんですけど」
何やら勝手に株が上がっていくのはいいが、その理由がわからないのは不気味だ。変に過度な期待をされても困るというもの。
「本当にわからないのですか? あんな激熱な決闘を見せておいて!」
「なんだ、その事ですか」
どうやらロイの好意の理由は、ついさっきの決闘だったらしい。
(確かにある程度は見栄えを意識したが、ここまで好感を持たれるとは思わなかったな)
シル自身が決闘の流れを操作した結果ではあるが、想定を遥かに上回る効果があったことに、内心シルは驚きを隠せない。
「あれを見てなんとも思わない方がどうかしていますよ! あのジャックさんが負けただけでも驚きですが、あの最後のパンチには心がしびれました‼ ぜひ次は俺と手合わせをお願いしたい。もちろんシルさんだけでなく、他の団員の方とも……」
「ロイ、シル殿が困っているだろう。少し落ち着かないか」
凄まじいロイの押しの強さにたじたじになっているのを見兼ね、ジャックを店主から引き剥がすことを諦めたキルブライドがロイを窘めてくれた。
キルブライドの慣れた様子から察するに、ロイの押しが強いのは珍しいことではないらしい。
「す、すいません! 興奮するとつい……」
「いえいえ、お気になさらず。そういう話ならあっちの小っちゃいのが好きですよ。ルートって名前なんですけど」
ロイの性格上、ルートと相性が良いだろうことを悟り、シルはルートの方を指差した。
「寛大なお言葉痛み入ります。それでは俺はここで」
「はい。手合わせならいつでもウェルカムですよ。あ、そこのお姉さん、麦酒のお替りください」
「貴殿はまだ飲むのか……。そろそろ勘弁していただけないだろうか」
ロイを見送りながら追加の麦酒を注文するシルに、今回の会計を払うキルブライドとしては文句の一つもこぼさずにはいられなかった。
それもそのはずで、シルの背後には飲み干された麦酒の樽が無残に転がっていた。
「え? でもまだ四杯目ですよ?」
「貴殿の一杯の基準は樽一個なのか!?」
キルブライドの驚きは当然であった。何を隠そうシルの背後に転がっている樽の中身の行方は、シルの腹の中なのだから。
「酒もそうだが、料理の方もどれだけ食べるつもりなんだ!? 貴殿のテーブルだけ他の十倍の速さで料理が減っているのだが……」
キルブライドの言葉は特に誇張というわけでもなく、シルの座るテーブルに並ぶ料理は、続々とシルの腹の中へ吸い込まれていく。
「ジャックが思ったより強かったので、腹が減っちゃって」
「キルブライド様、どうかご容赦していただけませんか? これでも団長は遠慮している方なんです」
シルの食事量は魔力と同様、常人とは一線を画す。特に戦闘後は、イナゴの如く出された料理を喰らい尽くす。
うっかりシルに食事を奢ってしまい、泣きを見た人間は一人や二人ではないのだ。
今回は相手が相手であるため、シルもかなり食べる量を制限していたのだが、それでもキルブライドからすれば異常事態には違いない。
「こ、これで遠慮しているだと……? いや、約束は約束だ。気にせず食べるといい」
食事を奢ると言ったのはキルブライド自身であるのに、それを相手に気を遣わせたとあればアルカス騎士団団長の名折れだ。
「やったあ! すいませーん、ここの料理全部おかわりください!」
「――ああ、好きに食べてくれ……」
早速数秒前の自分の言葉を後悔し始めたキルブライドを尻目に、シルは再びテーブルの上の料理に手を伸ばし始めた。
「うん! 実に美味い! こんな歓迎ムードで酒が飲めるのも、ジャックが喧嘩売ってくれたおかげですね」
「ほう、気づいていたのか」
「あれだけ剣を合わせれば、相手の人間性も見えてくるというものですよ」
シルがジャックとの決闘を終えて感じたことは、ジャックが自身の偏見で他人を価値付ける人間ではないということだった。そこから考え出せる答えは一つだ。
「本当に俺達を毛嫌いしている連中が何かやらかす前に、俺達の正当な実力を示す場を与えてくれたんですよね?」
「まあそういうことだな」
「そうだったんですか? 単純に意地悪な人だと思ってました……」
実際傭兵と共に戦うことを受け入れられない騎士は多いだろう。その不満が集まれば、何を引き起こすかはわからない。
だからジャックは自身が一番に声を上げ、正々堂々の方法でシル達の実力が評価される場を設けたのだ。
「陛下が決闘と言い出すのも計算の内だったのでしょう?」
「いやおそらくそれは計算外だ。あの方の考えることは誰にも予見出来まいよ」
「はは、確かにそうですね」
「私も驚きました。ああいう王様もいらっしゃるのですね……」
ライアンが決闘と言い出すことも予想していたと考えたシルだったが、仕える騎士ですら彼の王を推し量ることは出来ないらしい。
(はたから見れば愉快な王だが、実際に仕える身からすれば笑い事じゃないだろうな)
強力なカリスマを持つライアンを王として仰ぐ民はいいだろうが、直接振り回される家臣達の心労は察するに余りある。
「ところでシル殿は一体どの様な思惑で今回の契約を持ち出したのだ? ここだけの話として教えてはもらえないだろうか」
「興味がお有りですか?」
特に理由があるわけでもなく、ただの好奇心からキルブライドはシルに今回の契約の意図を尋ねた。
単純に安定した収入が欲しかったと考えるのが妥当――シルの食事量を見た今では余計にそう思う――であろうが、キルブライドにはそれだけが契約の理由ではない気がしていた。
「別に語るほどの思惑などありませんよ。ただ俺はいつでも俺の幸せのためだけに行動しているだけです」
「その割には我が騎士団の救援などと善行を行っているように見えるが?」
「それが俺の幸せに繋がるならそうしますよ。実際こうやってタダ酒が飲めているでしょう?」
「ははは! これは一本取られたな」
シルの行動原理は常に自分の幸せだ。どんな時も自らの利になることだけを考えて行動を決める。
【竜と猫】の仲間達のためになり、且つシューネの手がかりを探す選択をすることがここ数年のシルの選択の基準だった。
アルカス騎士団の救援を決めた理由も、それによって得られる報酬とシューネの情報故だし、仮に戦況が絶望的だった時にはすぐに逃走する手筈だった。
シューネと再会できた今となっては、あの時の選択をした自分を褒めちぎりたい。
「ん? そういえばシューネの姿を見てないような……」
「確かに私も見かけていないな」
「――おっと、こらリナ。お前に酒はまだ早いといつも言ってるだろうが」
未だに酒宴に姿を見せないシューネの姿を探し、周囲を見渡したシルの目にさりげなくブドウ酒を飲もうとするリナの姿が映り、シルはリナのコップを素早く奪い取った。
「ああ! ひどいですよ、団長!」
「酒はあと数年は禁止だと言っただろうが」
没収したブドウ酒を口にしようとするシルに文句を言うリナだが、ここまでは全てリナの計画通りだった。
(うふふ……、完全に私の計画通り! さあ団長、そのまま私が口をつけたコップをさあ!)
リナの完璧な作戦に一切の穴は存在しなかった。
しかし、いつでもイレギュラーは発生するものだ。それは今回も例外ではなかった。
「シル・ノース様。少し時間を貰えるでしょうか」
「はい? あ、やべ」
突然背後から掛けられた声に反応して、コップを置こうとしたシルが手を滑らせてコップを落としたことでリナの作戦は破綻した。
一瞬で視界が赤く染まり、頭の中がどす黒い何かに支配されていくのをリナは感じた。仮にリナが破竜化の資格を有していれば、今ここで破竜化してもおかしくはなかっただろう。
「おっと、これはすまないことを……」
「すまないじゃないですよ。どうしてくれるんですか。私の関節キ……じゃなくてブドウ酒を……‼」
親の仇でも見るような目付きで、謝罪すら遮って恨み言を漏らすリナ。
宴の端で生まれた一つの怒りを起点に、宴は更に賑やかな方向へと舵を切ったのだった。
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