第二話 咆哮

「はじめまして。シグルズ騎士団ミラー隊所属のロイ・グレイスと申します。シル殿、まずは突然の申し出にも拘わらず、早急に救援に応じてくれた事に感謝致します」


「いえ、構いませんよ。ちょうど近辺の村に滞在していた所でしたので。それに相手が破竜となれば、他人事では済みませんからね」


 自分達の窮地を救ってくれた事に感謝を伝えるロイに、シルは謙虚に応じた。

 実際の所、生きとし生ける者達の共通の敵と言える破竜を放置するという選択肢は無い。

 それにアルカス王国に仕えるシグルズ騎士団の危機を救い、破竜討伐に貢献したとあれば、その報酬は相当のものとなるだろう。


「いずれにしても安心するのはまだ早い。そちらの重症の方を連れて下がって下さい」


 そう言って三人に避難を促し、シルは、体勢をようやく立て直した破竜に意識を集中する。

 破竜相手に油断は、一瞬たりとも許されない。


(まずは、あいつらが仕掛ける隙を作らないとな)


『他者を救うための自己犠牲か。すかんな、そういうのは』


 上体を起こし、目の前にたった一人で立ち塞がったシルを、見下したまなざしで破竜は見下ろした。


「勘違いするなよ。俺は俺の幸せのためだけに生きる。自己犠牲なぞ死んでもごめんだね」


『ほう? では何のためにここに来た? よもや私を討つつもりではあるまいな?』


 破竜の質問にシルは沈黙で返した。数秒間、両者の間に沈黙が落ちる。


『フフ、フハハハハハ! 良い、好くぞ。実に私の好みだ。ああ、腹が空いてきた』


 静寂を破ったのは、破竜の方だった。

 言葉にせずとも、破竜の視線を真正面から受け止めるシルの態度から、破竜はシルの意思を正確に読み取り、そして心の底から笑った。

 ただ貪り喰らうだけの餌ではなく、破竜となって初めて出会った対等な敵。その存在が破竜には嬉しくてたまらなかった。


『そうだ。ただ弱者を喰らうだけでは、腹が満たされようと心が満たされん。強者を喰らうからこそ、生を実感できる。喰らう事は生きる事と同義だ』


「不本意ながら、それには同意だ。大物食い《ジャイアントキリング》に熱くならない奴はいない。被食者を除いてな」


『ますます良い。そこまで話がわかるのなら、これ以上の言葉は無粋だな』


「ああ、あとは拳(これ)で決めよう。俺とお前、どちらが喰われる側か」


 両者が同時に構えを取り、まるで時が止まったかのように錯覚するゼロコンマ数秒の時を経て、遂に両者は動きを見せた。

 先に仕掛けたのは破竜の方だ。

 その巨体に比例しない素早さで繰り出された右ストレートを、シルは前回と同様、腰に帯びた鞘から刀を抜き、破竜の拳を受け止める。


 一見すると先刻も行われた攻防。異なるのはただ一点。

 先程は破竜の拳を押し返し、反撃の余裕まで見せたシルが、今回は拳を受け止めるので精一杯だった事だ。

 理由は単純。不意打ちだったシルの前の攻撃とは違い、今回は破竜の恩寵が発動され、刀越しにシルの体に纏う魔力を奪っていた。


(予想より奪う魔力量と速度が上回ってやがる。身体強化が使い物にならん……!)


『ほう、何という魔力量。そして、それを奪われながら私の拳を受け止めるか』


「お褒めに預かり光栄だね! そっちこそ、破竜でありながら魔力を奪う能力とはな。」


 破竜が授かる恩寵の能力は、本人の欲望や性格に由来することが多い。

 例えば、狩人の竜人が破竜化すると、狩りに関連した能力。嘘が嫌いな竜人ならば、嘘を見抜く能力といった具合である。


 本来なら破竜は、例外なく魔力で構築された体を維持するために、周囲の魔力を常に吸収する特性を持っている。それにもかかわらず魔力を奪う能力を発言させたということは、恐らくよほど飢餓に苦しんだ経験でもあるのだろう。


『そう! この恩寵こそ、我が飢餓を満たすため神が与えた祝福だ』


「ああそうかい! 良い能力だな、こんちくしょう! だが、何はともあれ能力は報告通り。これなら問題無しだな」


 事前に救援を求めてきた騎士から聞いた恩寵の能力が、間違っていないかを念のため確認し、シルは作戦を次の段階に移した。


「今だ! リナ‼」


 俺とお前、とシルは語ったが、当然初めからシルに一人で破竜と戦うつもりはない。

 シルの合図に応じ、林から飛び出したのは、まだ体の節々にわずかな幼さを残した少女だった。

 シルに意識を集中していた破竜の隙を突き、跳躍した少女はその手に持った刀で破竜の胸の中心を切りつけた。


『なるほど。まんまとハメられたか。本命はその刀というわけだ』


 リナの斬撃は確かに破竜に届いたが、その傷は破竜からすればかすり傷の様なもの。

 破竜の体は魔力で構成されるため、魔力さえあれば容易に体を修復できる。

しかし、破竜は初めに殺すべき対象を、この場で最も弱い生物であろうリナに定めた。たった今、リアから受けた小さな傷だけが修復できない為だ。

 つまりこの少女、というより少女の持つ刀がこの場で最も破竜を殺せる可能性を秘めている。


『それなりに私と張り合えるこの男を捌きながら、少女の斬撃にも対処しなければならない。容易いな』


 破竜の圧倒的アドバンテージである再生能力への対処を持ち出されても、破竜は余裕の態度を崩さない。その態度こそが生まれながらの強者たる所以であるが故に。


「リナ、奴はお前を狙ってくる。攻めることは考えなくていい。回避に専念しろ」


 破竜が戦況を分析するために手を止めた気を見計らい、シルは次の行動をリナに指示する。


「ふふっ、私の心配してくれるんですか?」


「当たり前だろ。死ぬんじゃないぞ。俺が悲しい」


「――もう、ずるいですよ、団長」


思ったよりもストレートに返された言葉に、リアは赤面し、白旗を上げた。


『敵の前で油断大敵、というレベルではないぞ!』


 しかし、そんな戦場らしからぬ甘ったるい雰囲気は、振り下ろされた拳によって、粉微塵に吹き飛ばされた。

 シルとリナは二手に分かれる形で、振り下ろされた拳を左右に避け、反撃を開始する。


「食と戦闘だけでなく、愛にも飢えていると来たか」


『その通りだ。愛に、食に、戦いに、この世の全てに私は飢えている。だから私は喰らい続ける。この飢餓が満たされるその時まで!』


「欲が満たされる事なんてあるかよ。何かが手に入れば、次に欲しいものが生まれる、それが欲ってもんだ。だから、ここで俺達が終わらせる。【竜の紋章】五番――戦斧」


 刹那、シルの右の手の平に紋章が浮かび上がり、一瞬で何処からともなく分厚い刃を持った巨大な戦斧が現れる。


「どおおりゃあああ‼」


 突如として出現した2メートル近くはあろう戦斧を、まるで棒切れを振り回すように扱い、間違いなく今までで最も強烈な一撃を、シルは破竜の背中に放った。が、破竜はその攻撃に見向きもせず、刀を構えるリナに視線を向け続けている。


『確かに貴様の膨大な魔力による身体強化は脅威だが、貴様から受けた傷は問題なく治療できる以上、他の虫どもの攻撃と大差は無い』


「返す言葉もない。けどな、虫でも人に害を及ぼす事はあるだろ? なあ、ノルノ」


『何? なっ、これは……?』


 含みを持ったシルの言葉を聞き、一度冷静になったことで破竜は一つの違和感に気づいた。


「足、動かないでしょ?」


 シルの攻撃が原因ではない。その理由は自身の足元、足の異常に気が付く寸前に、突如として現れた気配。

 片手に短剣を携えた少女。

 間違いなく原因はこの少女、いや正確には少女が持つ短剣だと破竜は確信した。


『そうか。原因は貴様か。ならば先に貴様から喰らうとしよう』


 どうやって両足の動きを封じたのか、そんなことはどうでもいい。

 破竜はその名の通り破壊の権化。相手が何であろうとも、この世界に存在するならば、全て破壊する。

 それが破竜の存在する理由であり、生きる唯一の目的。


『足だけを封じたところで何の意味がある!』


 あれこれと考える事を放棄し、破竜はその身を焦がす破壊衝動に身を委ね、目の前の二人の少女に向かって拳の嵐を放つ。恩寵を発動すらせず、純粋な拳による連撃は地を砕き、森の一部をあっという間に更地に変えた。

 常人が食らえば数秒間人の形を保つので精一杯の連撃、といってもそれは、あくまで常人の場合である。


『なぜ生きている?』


「くぅぅぅ‼ 効くなぁ! 流石は破竜、スゲー威力だな‼」


「ナイス! 戦闘に関してはさすがだね、ルート」


「本当に戦闘能力だけは一人前ですね……」


 全ての破竜の拳は、少女たちを庇う様に立ちはだかった一人の少年によって防がれていた。


「二人とも守ってあげたのにそれはないでしょ!」


『馬鹿な。確かに手応えはあった筈だ』


 その拳は全て、少女たちを庇う様に立ちはだかった少年によって防がれていた。

 いや、正確には防がれてはいない。間違いなく攻撃は全て少年に直撃している。

 しかし、少年は目に見えるダメージを少しも負っていない。その足元の地面にはおびただしい拳の跡が残されているにもかかわらず。まるで拳が少年の体をすり抜けたかの様に。


(なんだ? こいつらは。人の身で、破竜である私の攻撃を全て防ぐだと?)


 二度も完全に防がれた攻撃、回復不能の傷、動かせない両足、自分が破竜であるということを疑いたくなる出来事の連続。

 それらによって一瞬だけ鈍った思考の隙を、シルは見逃さなかった。


「レイ‼ とどめだ‼」


 そうシルが合図を送った瞬間。


「――――」


 少し離れた木の上で閃光が迸り、雷が落ちたような轟音が轟いた。

そして、その轟音が破竜の耳に届くより速く、閃光が破竜の胸に炸裂していた。


『グッ……』


 その衝撃でようやく破竜は自覚する。自らの死が、すぐそこまで忍び寄っていることに。

 しかし、気づいた時にはもう遅い。

 不可避の閃光によって丸裸にされた核の周りの傷を回復する前に、膨大な魔力を纏ったシルが核に向かって突撃を開始していた。


「あんたがどこの誰で、なんで破竜になってしまったのかは知らない。きっと何かしらの辛い事があったんだろうさ。だが、俺達の前に立ち塞がるならば討たせてもらう!」


 シルの体から迸る魔力が描く銀色の軌跡、それは寸分違わずに先刻の閃光を辿り、今度は完全に破竜の胸部を貫いた。


『人間がああぁぁぁ!』


「無理な話だろうが、せめて安らかに眠ってくれ」


 破竜の力の源は、何かしらへの果てしなき憎悪。例え核を砕こうと、その憎しみは消えはしない。

 だから、その憎悪の終わりが穏やかである事を願い、破竜から奪った核を握りつぶした。


『ぬおおおぉぉぉ』


 その瞬間、甲高い悲鳴を上げ、破竜の体が崩壊を始めた。


『まだだ! まだ終わらんぞ! せめて貴様らだけでも……!』


 しかし、それでも破竜は止まらない。

 体が完全に消滅する前に、残りの魔力を全て口内に集中させる。


「――しまった。まだそんな余力があったか」


 破竜が持つ最後の切り札【咆哮】。


 それは、全ての破竜が例外なく持つもう一つの特性であり、まさに最後の切り札と呼ぶに相応しい技。

 全ての魔力を純粋な破壊エネルギーとして放つ能力で、常識外れの多量の魔力を持つ破竜にだけ許された、ただ破壊することだけを目的とした技だ。

 全快の状態ならば、山を跡形も無く消し飛ばす事も難しくはない。しかし、今の破竜の状態は全快とは程遠い。

 それでも、一直線上に在るものを消し炭にする位ならばどうということは無い。いくら膨大な魔力に因る身体強化を行えるシルであっても、まともに食らえばひとたまりもない。


 とはいえ、【咆哮】は魔力を集中させる際に、少々の時間を要する為、お互いに向かい合っている今の状態ならば、回避する事は容易だ。

 しかし、今回に限っては破竜が核を砕かれ、魔力が大幅に削れていたことが災いした。既に破竜は【咆哮】を放つ体勢に入っていた。

 威力が下がる代わりに発射速度を優先した限定的な【咆哮】。本来より出力が下がるといえ、人間数人を消滅するくらいわけはない。


「団長‼」


「来るな!」


 駆け寄ってこようとするリナを制し、シルは回避を諦め、【咆哮】を受け止める体勢に入る。

 防御が間に合わなければ間違いなく死。間に合ったとしても無傷では済まないだろう。


 それでも生き残らなければならない。まだ彼女を見つけていないのだから。

 そうシルは覚悟を決める。

 しかし、その絶体絶命の死地の中、身体強化によって強化されたシルの動体視力はあるものを捉えた。

 それは、シルの背後から現れ、破竜の頭上に大きく飛び上がった影。まるで踊り子の様に優雅に空中を舞いながら、それでいてその手には、成人男性の身の丈はあるだろう大鎌が握られている。


「――美しい」


 美しさと禍々しさが一体化したその姿にシルが目を奪われた一瞬、その死神の大鎌は瞬きすら許されない速度で破竜の首を斬り落とした。


『――――――っ』


 今度は悲鳴の一つも上げず、破竜の首が地に落ちる音だけが周囲に響いた。その音を聞いてシルはようやく我に返った。

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