ランランとシャオゴウ

晴見 紘衣

シャオゴウの飴

ただで舐めていいとは言ってない

「ひとつ一もん、ひとすくい六文だよォ!」


 爪先の破れかけた布靴でゆっくり歩き、シャオゴウは声を張り上げた。


 太陽は中天を過ぎ、じりじりする陽射しを地面に落としている。日陰でじっとしていたくなる暑さだが、大街ダアチエの人通りはそこそこ多かった。


 シャオゴウが手に持っているのは縁の欠けた小鉢だ。獅子の頭をかたどった白い飴がいくつも入っている。肩掛けにした籠には油紙が敷いてあり、さらに多くの飴が入っていた。


「獅子の飴ひとつ一文、ひとすくい六文だよォ!」


 前を歩く子供が振り返った。十二歳のシャオゴウよりもずっと幼い子供だ。手を引く大人に飴をねだってくれた。


 がんばれ、とシャオゴウは見守ったが、交渉は失敗したらしい。名残惜しそうに去っていく背中を、シャオゴウも残念な気持ちで見送る。


「獅子の飴、獅子の飴、いりませんかァ!」


 気を取り直して叫ぶ。こめかみを汗が伝い落ちた、そのときだった。


「ちょうだい」


 来た来た。シャオゴウは期待をこめて「へい」と振り向く。


 女の子だった。ぱっちりと大きい目がシャオゴウを見ている。ふたつのおだんごを結った頭に三つも四つも髪飾りがついていた。それらが日光を弾いてきらきらと光っている。


 シャオゴウはたじろいだ。


 この炎天下で日焼けをしていない色白の女の子だ。髪飾りの輝きも目のさめるような色合いの服装も、まるで別の世界から来た子のように思える。いったいどんな言葉で話せばいいのだろう。


 口ごもったのはわずかな間だった。少女の背の高さは自分とほぼ同じ。それなら歳が同じかもしれない。いや、きっと歳下だ。そう思ったら口調がくだけた。


「ひとつ?」

「ひとつ」

「じゃあ、好きなのを取って」


 鉢を差し出すと、女の子はじっと中を覗きこんだ。


 飴はどれも獅子の顔をしているが、細部まですべてが同じというわけではない。たてがみの形が違ったり、目の大きさが違ったりする。わざとではなく、手元のわずかな狂いでそういう仕上がりになってしまうのだ。


 それだけではなく、こうして売り歩く最中に割れてしまったり、溶けたせいで形が崩れたものもある。


 あとで文句を言われないためにも、シャオゴウはどの飴がいいか客に選ばせるようにしていた。そうすると形の悪いものが残るから、最後はふたつで一文、三つで一文、の触れ込みですべて売る。いつものことだ。


 金持ちの子かな、と思った。


 女の子が着ている上衣は羅か紗の白い薄物で、袖が透けて腕の形がうっすら見えている。衿を開いたまま裾を出して、黄緑色の帯で締めていた。帯から垂らしている長い組紐も若葉のような黄緑色だ。


 下に身につけているチュンは胸元から足首まであって、鮮やかな緑色をしている。裾のあたりは花柄の刺繍でぐるっと彩られているようだ。横側からお尻にかけては、こまかい襞が縦にまっすぐ整えられているように見える。


 布地はやっぱり透けていた。裙は身体に巻きつけて着るから、正面で布地が重なる。女の子が着ている裙は正面には襞がない作りだが、重なった部分が透けて内側にある襞がかすかに見えていた。


 襞があるってことは生地をたくさん使ってるってこと、と母が言っていた。つまり高いのよ、と。貧乏人の子ならまず着せてもらえない。


 女の子からは草花の香りがした。


 そんなことってあるだろうか。気のせいかもしれないから、ためしにシャオゴウは胸いっぱいに息を吸いこんでみる。


 気のせいではなかった。白くて小さい花がたくさん咲いているような、いい匂いがする。どうしてだろう、と首を傾げた。


 女の子が鉢に手を伸ばした。白くてほっそりした指が飴をつまみ上げる。そのまま口に持っていく所作もていねいで、おっとりしていた。


「あまい」


 飴を選んでいたときの真剣な表情から一転、ぱあっと光がさしこむように女の子が笑う。


 シャオゴウは誇らしい気分になった。へへ、と口角を上げる。


「うまいだろ」

「うん」

「もうひとつ買ってくれてもいいよ?」


 女の子は考えるような顔をした。黙ったまま、首を横に振る。


「そっか。じゃあ一文ね」


 汗で張りつく袖の先から手を差し出した。女の子の白い手にくらべたら汚れているように見えるし、腕は真っ黒に日焼けしている。だけどそんなことをシャオゴウは気にしない。


 女の子の目がまるくなる。きょとんとした様子でシャオゴウの掌を見つめた。


 聞き取れなかったのだろうか。


「ひとつ一文だよ。お金」

「――ない」

「は?」

「もって、ない」


 飴を舐めているからしゃべりにくいのだろう。舌足らずな発音だ。それでも言わんとしていることはわかる。


「はあ?」


 いかにも金持ちな見た目のくせに、金がないだと?


 ふざけんな、とシャオゴウは激しくかぶりを振った。


「だめだめだめだめ! 払わねえなら返せ!」


 女の子の頬が右側だけいびつな形に膨らむ。そうしてスラスラと言葉を発した。


「返せって、飴を? もう舐めてるのに」

「いいから返せ!」


 口をこじ開けようとシャオゴウは手を伸ばす。すかさず女の子は顔をのけぞらせて後ろに下がった。


「やめて」

「じゃあ払えよ。銭か飴か、どっちか出せ!」


 シャオゴウは掌を天に向けて、女の子の鼻先で強く上下に振った。


 ここで引き下がったら一文の損だ。シャオゴウは一文だって無駄にしたくない。むしろ一文でも多く儲けたい。でないと好きなものを食べられないし、くたくたの服や布靴を新しくすることもできない。


 女の子は困った顔でシャオゴウの顔と掌を交互に見ている。やがて何かを思いついた顔をして、自分の髪に手を伸ばした。簪を一本、引き抜く。


「これじゃだめ?」


 シャオゴウは簪を奪うように掴んだ。一瞬だけ触れた手が柔らかくて、すこしドキッとする。ドキッとしたことを怒りの形相で隠して、簪をためつすがめつした。


 一本の細い棒だ。シャオゴウはちらりと視線を上げる。


 女の子が頭につけている髪飾りには、先端から房が垂れているものがある。受け取ったものには房がない。房があったほうが豪華に思えるが、この棒の先端には房のかわりにきらきらした飾りがついていた。


 石だ。黒い板に石が嵌めこまれている。


 何の石だろう。


 光を反射して輝くだけではなく、色が定まらない。最初は青い色に見えたのだが、角度を変えると緑や紫や黄色や、いろんな色に変化した。


「これ、なんていう石?」

螺鈿らでんっていうの。石じゃなくて、貝殻」

「へぇ……」


 宝石にも髪飾りにもとんと興味がないから価値がわからない。それでもこれだけ綺麗なんだから、まさか安物ということはないだろう。


「よし。きょうはこれで勘弁してやる」

「ありがとう」


 女の子は安心したように笑った。すぐに口をすぼめて、いびつに膨らんだ右頬を戻す。


「きょうだけだからな。次はちゃんとお金を持ってくるんだぞ。ああまったく、怒鳴って口がカラカラだ」


 首にかけた巾着袋を懐から引っ張り出して、簪をしまう。


 これ、いくらになるかな。一文よりも高く売れるよな。すげー儲けたんじゃないか?


 にやつきそうになるのを懸命にこらえながら、シャオゴウは怒った顔を続けていた。


 女の子は、今度は左頬をいびつに膨らませた。そのまま小首を傾げる。


「飴、舐めないの?」

「俺が? なんで?」

「口がカラカラなんでしょう?」

「そうだけど、これは売り物だもんよ」

「あなたの飴じゃないの?」

「売ってるのは俺だけど、勝手に舐めちまうわけにいかねえよ。それじゃなんのために売り歩いてんだか」

「お金?」

「そうだよ。見りゃわかんだろ」


 うんざりしてシャオゴウは顔をしかめた。馬鹿なんじゃないかこいつ。見てくれはいいけど、中身はやっぱり子供なんだ。


 女の子の目が動く。遠慮も何もなく、シャオゴウの全身をじいっと見つめてきた。


 ぼさぼさの頭も、帯を締めた上衣に汗の染みができているのも、布靴の爪先が破れかかっているのも、飴を舐めながら黙って見つめてくるのだ。


 シャオゴウのしぐさも見ているようだった。巾着袋を懐に押しこんだり、溶けた飴をちょっと動かして鉢の底や隣の飴にくっつかないようにしたり、そういう動きをこまかく観察している目つきなのだ。


「なんだよ」


 たまらず声をあげると、まっすぐ目が合った。桃色の唇が声を発する。


「明日もここにいる?」

「いるよ。ここっていうか、このへん。この道のどっか。雨降りじゃなければ。あと、午後ね。きょうもこれからが稼ぎどきなんだ」

「どうして?」

「大道芸人が来るんだよ。見物のおともに飴を舐めませんか、って売るんだ」

「ふうん……。大道芸人? ここで? きょうだけ?」

「毎日やってるよ。刀を使った軽業とか綱渡りとか、話芸もあるし人形芝居とかも。あとはほら、そことかそこの茶楼さろうや酒楼だと雑劇も観られる。それの呼び込みのための短い雑劇なら外でもやってるよ。続きをご覧になりたければこちらへ~って。知らねえの?」


 とたんに少女の瞳が曇った。


「……飴、ありがとう」


 声も硬い。くるりと踵を返して遠ざかっていく背中は、怒っているようにも、泣いているようにも見えた。


 生ぬるい風がシャオゴウを包む。


「ええ……? 俺、なんか悪いこと言った?」

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