#3 それは戸を、かく叩けり
「どうも怪しいぞ、あいつ」
「変な事件が起きたと思ったら、その矢先にまた変な人が現れましたね……」
今彼らは、かの有名な大作曲家と同姓同名の謎の男たっての希望で、またあの現場に戻ってきている。
辺りを見回したり、未だ残る這いずり回った跡を興味深そうに、或いは真剣な面持ちで観察したりしながら先々進んでいく男の後ろを、安藤と福田がついて行く。
「あのー、ベートーヴェンさん? そんなに先々行かれると困るんですけど」
安藤が彼に声をかけた時、先程までの真剣な表情がうって変わって、眉間にしわを寄せズカズカと二人のところへ彼が向かってきた。そして、目と鼻の先ほどの近さまで安藤の顔に自身の顔を近づけると、低い声でこういった。
「おい、今何と言ったか」
「先に行かれると困ると……」
「その前だ」
安藤は彼の威圧に少したじろぎながら、一瞬思考を巡らせ、言葉を絞り出した。
「ベートーヴェンさん、と――」
「それだ」
「へ?」
安藤と福田がキョトンとする中、少し顔を離して人差し指をたてながら、彼が安藤の目を真っ直ぐ見据えて喋り出した。
「いいか、アンドー。私のことはルートヴィヒと呼ぶんだ。気安く私をその名で呼ぶな。二度とだ」
「あ、あぁ」
ルートヴィヒは、言い終えるとくるりと踵を返してまた観察を始めた。
急転直下な男の態度に、安藤は口をへの字にしながら福田に耳打ちした。
「なんだあいつ。気にくわねぇな」
「なにか、その名前に思い入れでもあるんでしょうか」
「しらねぇよ。そもそもあいつが何者かもわからねぇってのに」
「なら、先輩から声掛けて聞き出してくださいよ」
「なんでだよ。さっきのやり取り見てたか? そもそもこういうのは、若くてピッチピチで可愛い女刑事が話をするって相場が決まってんだよ」
「うわ出た。セクハラ、パワハラ、時代錯誤!」
「悪かったな。ていうか、どうせなら最後も『ハラ』で揃えろよ」
「なんですか、それ」
安藤と福田の二人が後方で口論をしてると、唐突に先を歩いていたルートヴィヒが立ち止り、口を開いた。
「やはり」
「え、はい?」
「どうした。何がやはりなんだ?」
二人がドギマギする中、ルートヴィヒがゆっくりと振り返る。
「フェリックス……。我々が今追っている、ゲシュペンスト(化け物)の名だ」
「ルートヴィヒさん。そのフェリックスってのは何なんだ。ていうか、あんた何者なんだ」
安藤の質問に、ルートヴィヒは一瞬表情を曇らし俯いたが、意を決したようにスッと顔をあげた。安藤と福田の二人も、ほぼ同時に唾を飲んだ。
「私は、ドイツから来た刑事だ。実は、向こうドイツ国内でも同様の事件がここ数年で頻発している。私の調べだが、ほぼ確実にこの件で死傷したと考えられる人数で25人。それでも多いが、関係していると思われるのも含めると59にも及ぶ」
「そ、そんなに?!」
「あぁ、そうだ。しかし、この件をまともに捜査しているのは私くらいで、むしろ私なんかは、異端だ、変わり者だと言われる始末だ。だからか、今回ここ日本でヤツの姿が確認されたという情報を入手した時も、捜査協力の連絡はおろか、仲間の手配すらしてくれなかった」
「そもそも、今回の件をどうやって知ったんだ?」
「各地に情報屋を送り、ヤツがいつ、どこで再び姿を現すか、アンテナを張り巡らしていたんだ。実は、ヤツは既に数か月前からここ日本に出現していて、ようやく尻尾を掴んだんだ。ヤツと私は、ちょっとした因縁があってね。私は必ずヤツを捕らえ、この手で、息の根を止める」
「その、ヤツって言うのは。フェリックス、でしたっけ。未知の生物か何かですか?」
「そんな生易しい物ではない」
ルートヴィヒの語気が変わったのを感じ、福田はぐっと押し黙った。
「ヤツは……フェリックスは、禍々しい化け物だ。人の姿を借り、時に巨大なトカゲのような姿となって、人々を、特に若い女を襲っては喰らい、暴れ回る。一刻も早く見つけ出し、死を与え、永遠よりも途方もない沈黙の中へ葬らねばならない」
「る、ルートヴィヒさん……?」
恐る恐る声をかける福田に、我を取り戻したのか、ルートヴィヒは少し目つきを和らげ彼女の方を向いた。
「心配はいらない。もうすぐだ、もう少しでヤツを捕らえることができる。そんな気がするんだ。この地で、ヤツに終止符を打つ」
ルートヴィヒはそう言うと、ふと二人の後方に目をやった。すると、突然目を丸くして、脂汗をあれよあれよという間にかきはじめた。
「お、おい。どうしたんだ」
「もしかして、フェリックス……!?」
慌てて安藤と福田の二人は後方を振り返り見回すが、そこには何も、誰もおらず、ただガランと道が伸びているだけだった。
だが、ルートヴィヒには何か見えているらしく、なにかブツブツと呟き始めた。
「また、また君か……もう君は、いや、しかし……」
「ルートヴィヒさん、ルートヴィヒさん!」
何度も福田カノンに呼び掛けられ、彼はようやく我を取り戻したように、眼をパチパチとさせ、焦点があった。
「いや、なんでもない」
「なんでもない事ないだろ、どうしたんだ」
「本当に何でもない。ちょっと疲れているんだ。突然押しかけて、急を言ってすまなかった」
ルートヴィヒは、無理にでも二人を押し返し、帰ろうとするが、踵を返したと同時にふらつき、仕舞いには膝から崩れ落ちてしまった。
「ルートヴィヒ!」
「ルートヴィヒさん!」
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