第19話 知らぬが仏

「頭が!良くなりたいです!!」


「ーー……」


 夏休み明け、明らかに課題をラスト数日で倒したのだなとわかるクマの出来た顔でそう訴えてきたミーシャに嘆息したシャーロットは、彼女の腫れたまぶたに水で冷やしたハンカチを押し付けた。   


「まずはその見すぼらしい目元をどうにかなさいな、みっともない」


「わーい、本物のシャーロット様だぁ………」


(だから同一人物なんだっての……!)


 目を冷やしつつへニャリと笑うミーシャに、ルイスは内申で毒づく。が、確かに完全に“シャーロット”である時と“ルイスが演じているシャーロット”では立ち居振る舞いに些細ながら差が生じていることもまた事実だった。


(本当に、野生の勘は恐ろしいと言うか何というか……)


「はースッキリした!ハンカチありがとうございます、今度お返ししますね。そう言えばルイス様ってどうされてますか?あれきりきちんとお礼もお詫びも出来てなかったので気になってて」


「ーっ!えぇ、そうね。今は仕事の関係で王宮で過ごしていてよ。そんなに気掛かりならば、次の休日会いに行きましょうか?」


 軽く洗い直したハンカチを丁寧に畳みながらのミーシャの言葉を渡りに船と利用し、シャーロットが優雅に誘いの言葉を口にする。

 『ぜひ行きます!』と餌に食い気味に食らいついたミーシャは、こうして何も知らぬまま急遽王宮に初訪問することになったのだった。









ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 皆様、お初にお目にかかります。わたくし、オンソレイエ王国第一王子、ライアン・オンソレイエ殿下の専属侍女を務めさせて頂いております、エミルと申します。

 昨年学園の入学式の際に殿下を下敷きにしたミーシャ様の傷の手当を頼むお医者様の手配や、ルイス様が演劇祭にて男装をされた際のお召し替え、更に先日のリゾート地でのルイス様とミーシャ様のお部屋のブッキング等々は、全て殿下のご指示でわたくしが手回しをさせて頂いた次第です。


 と、言うのも、わたくし実はスラムの出でございますから、縁あってこうして取り立てて下さったライアン殿下に逆らえないが故なのですが……。


「………はぁ」


「おや、どうしたんだい?エミル」


「いいえ、何もございません」


 感情を乗せぬ声音で答えたわたくしに対して不快になるでもなく、殿下は寧ろ愉快そうに目を細めておられます。昔から、予測のつかない事柄や人の裏を暴かれるのがお好きな方なのです。


「つれないなぁ、長い付き合いなのに」


「長い付き合いですから、殿下の調子に呑まれず侍女として責務を果たすにはこの対応が最善だと悟った次第にございます」

 

 淡々と返せば、殿下は声を上げて愉快そうに笑い出しました。何がそんなにおかしいのかはサッパリですが、幼き頃、婚約者を亡くされ塞ぎ込んでいた姿よりは断然今の方が良いでしょう。


「……性格は、随分と捻くれてしまわれたようで残念ですが」 


「おや、心外だな。私のどこが性格が悪いんだい?今日だって親友の恋を芽吹かせてあげようと彼等が人目を気にせず会える場を提供しようとしているのに」


「えぇ、対外的には人当たりもよく御学友想いな素晴らしい王太子で御座いましょう。そうしなければならない原因をご自身で作っておきながら恩着せがましくお膳立てをし、更にお二人をご自身の目的達成の布石にしようとしておられるだなんて、傍から見た分には微塵も感じられません」


「さて、何のことかな?」


 しらばっくれつつ支度を始める殿下の手元には、学園でも付き合いのある有力貴族の御子息、御令嬢方の身辺調査の書類。その一番上の2枚は、先日ご婚約が成立されたブレイズ様とミシェル様の書類で……何というかもう、ため息しか出ません。


「あぁ、それかい?ずっと父上がかねてより縁を結んでほしいと願っていた家の縁談だからね。めでたいだろう?王太子としてだけでなく、学園で懇意にしている友人としても祝いの品くらいは贈りたいなと思って。何がいいかな」


「……武芸に長けた両家の長子であらせられるならば、記念となるような装飾を施した武器などが妥当ではないでしょうか」


「あぁ、それは良いね。父上と後で話してみよう。それにしてもミーシャ嬢は本当に何かと良い働きをしてくれるよ。ブレイズは以前からミシェル嬢に邪に近づく男を無意識に蹴散らしていたんだが、如何せん本人が理由を理解していなくてね。少し引っ掻き回してくれれば進展があるかと少し仕込んだだけでまさかここまで上手く事が運ぶとは思わなかったよ。他にもまだ突きたい藪は学内にいくつかあるし、また力を貸してもらおうかな」


(“利用させてもらう”の間違いなのではありませんか)


『本当に、あの子が現れてから退屈している暇もない』


 そうミーシャ様について語られる殿下は、いつもの腹黒い笑みでなく、年相応に笑っておられます。昨年の入学式以降、殿下の口からミーシャ様とルイス様のお名前を聞く頻度は日増しに増えており、留まる所を知りません。その事に殿下はお気づきでないようですが。


(ブレイズ様の事を言えた立場ですかね、この方は)


 ミーシャ様がどうかは存じ上げませんが、ルイス様もお話を伺うに随分とかの方をお気に召していらっしゃるご様子ですが。果たしてどちらが先に自覚されるのでしょうかね。

 まぁ、ルイス様も殿下に負けず癖の強いお方でおられますし、どちらに転んでもミーシャ様は苦労されるに違いありません。


 そしてこの腹黒殿下は一度気に入った物は手放さない主義のお方ですから、どんな形であれミーシャ様とルイス様が殿下から離れられる事は未来永劫ないでしょう。


(本当に、御愁傷様です)


 さぁ行こうかと優雅に歩き出した殿下に付き添いお二人を招いた茶会の席へと向かいますと、風に乗って無邪気な少女の笑い声が響いて参りました。

 そしてライアン殿下に気づいた様子で、花の様な笑みをこちらに向けられたミーシャ様は、一瞬殿下の瞳が揺れた事や、それを察したシャーロット様に扮したルイス様の眼差しに影が落ちた事など知る由もないのでしょう。


(知らぬが仏、とはまさにこの事なのでしょうね)


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る