【短編】夢追い人の堕落

Lie街

夢追い人の堕落

私は歩いていた。車がぽつりぽつりと独り言のように通るのを道路を跨ぐ橋の上から傍観していた。「私はインタビューには応じない。」そう怒鳴って小さな出版社から出てきた帰り道だった。私はフラッシュやカメラや人が苦手だ。もっと言えば私の普段の思想を巧みな話術で引っ張り出し紙にコピーされるのも嫌いだ。私は私なのに、他者の客観が私を塗りつぶしてしまう気がする。風が私の事などお構い無しに通り過ぎていき、つられて飛び出したカバンの中の原稿ももはや取りに行くつもりは無い。彼らは鳥になったのだ。風に翼をもらって少しの間だけこの海原のように広い空を滑っていくのだ。何故それを私が止められようか、さすがに私もそこまで自惚れではないし傲慢でもない。ただ見ていた、そして、祈った。誰か、私の考えを理解してくれる人が、俗物の足によって踏みにじられた私の思想を…私の放った鳥を拾い上げ、それに共感し大事に持って帰って暖炉の炎で燃やし尽くしてくれることを。紙面の上ではなくその清く純粋な心に記録しまた、記憶してくれることを。


鳥の飛ばされた方向とは反対に、鉛のように重く垂れ込む空を見上げながら同じように鉛のような体をノロノロと動かし、向かったのは思い出深い公衆電話だった。私は家出や電話を忘れて出かけた時(私は物事をよく忘れるのだ)などはよく公衆電話に立ち寄っていた。けれど、私は全てを投げ打ってここまで息もたえたえに走り続けてきたんだ。友人も恋人の屍さえも踏みにじって高くジャンプしてきたんだ。今更こんな所に来ても誰にも連絡をする宛もないし、虚しい気持ちになるのは目に見えていたが、ここに来ずには居られなかった。私はとんだ大馬鹿だ。透明なガラスケースの中で、小学生に捕まったバッタが虫かごに入れられた時のような気持ちになった。膨大な不安とただただどこかへ逃げ出したい陰鬱に悶えていた。でも、逃げたところでどこに行く?私にはもう居場所も守るべきものも生活を営む手段も心から笑い合う友も何もない。全て捨ててきたのだ。高く飛びたいがために何もかも無視してきたのだ。私は高く飛び、そして、誰よりも深くに落ち込んだ。私が倒れ込んだ地面は時間の経過とともにどんどんと沈降していき、いずれ私の姿などは誰の目にも触れなくなる。事実上の死だ。私はなんで自分が正気でいられているのか不思議に思った。それと同時になんで正気でいるのだと、自分を叱りつけたくもなった。いっその事キチガイにでもなって、裸でその辺を徘徊し大柄で欲求不満な怖い顔をした男にレイプされていた方がずっと良かった。それから朝に正気に戻った私は自分の有様を見てもう一度おかしくなるのだ。でも、正気の私にはそんなことは到底できない。キチガイになどなれないのだ。レイプされる勇気もないのだ。街灯が夜空の星よりも明るく、黒いアスファルトに光を落としている。公衆電話の後ろ側のお店はとっくにmorphiaとスプレーで書かれたシャッターを落としていて、少し前に終わった夏祭りの案内の貼り紙を貼り付けていた。歩道には呆れるくらいに隙間から草がムダ毛のようにはみ出していて、見ていると腹が立った。


目が覚めると朝だった。どうやら私は寝てしまっていたらしい。「お姉さん。大丈夫かい?」警察官の制服を着た男が2人私の顔を覗き込んでいたようだ。珍しくもない、どこにでもある陳腐な顔だと言うのに。「近所から人が倒れてると通報があってね。なに、大丈夫なら別にいいんだ。」私は朦朧としていた意識がやっと明瞭になってきたところで今の私がいかに恥ずかしい事になっているかきずき少し顔を赤くした。「すいません。とても、疲れてたみたいで、すぐに帰りますね。」帰るって一体どこに帰るのだろうか。もう私に居場所はないのに。

グワン グワン 公衆電話が揺れている気がする、少しづつ傾いてる気がする。気のせいかもしれない、そんなのはまやかしかもしれない。でも、どうしても断言できない。なぜならきっとこの公衆電話は揺れているから、まやかしでもなく、気のせいでもなく、微かにではあれどこの公衆電話は揺れているのだから。

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【短編】夢追い人の堕落 Lie街 @keionrenmaro

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