第6話 義士は紅に踊る
冴が暗がりで光る冷たい刀身だとすれば、少女は炉の中で紅に染まった鉄だ。
冴の瞳が純度の高い倦怠に澄んでいるのとは対称的に、赤髪の少女は小学生にすら見えかねないほどに小さな体の内で、炎を静かに燃やしていて、それゆえにその瞳は夢見るように爛々と輝いていた。
桃香の息が凍りつく。どうして気付かれてしまった? それとも最初から気付いていたのか? 額がじっとりと冷や汗で濡れていた。
赤髪の少女は前傾姿勢でゆらゆらと体を左右に揺らして攻撃のタイミングを計っている。
冴はナイフを手首の前で弄びつつ、問う。
「やっほ、赤の女王。パーティでもしてた?」
赤髪の少女は女王と呼ばれ、しかしそれ否定をせず、
「そちらこそ、花市場の濡羽烏が何の用?」
濡羽烏。聞き慣れない単語だが、昨日確かに耳にしたものだ。それはおそらく、花市場の鉄砲玉、坂口冴を示す符号。敵側からのみ使われる異名だった。
坂口冴は手の平を左右に揺らして戦意を否定する。
「や、別に喧嘩売りにきたわけじゃないよ〜」
その口ぶりにはわずかな焦りも見られず、能天気なほど平常運転であったが、瞳は張り詰めた絹糸のように一分の緩みなく赤の女王の動きを窺っていた。
しかしそれは赤の女王も同じこと。罪人を裁くように、幼い裁判官は人差し指を冴に突きつける。
「先程あなたに同胞が傷つけられたみたいだけれど、それはどう説明するの?」
彼女は野生の狼のような暴力性を身に宿していたが、その瞳は確かに義憤に燃え、理性的な光を灯していた。
追及された罪人、冴は教師に叱られた生徒のように、心底気怠げに顔を曇らせる。
「仕事だってば。めんどくさいなー。……それより」
「何よ」
冴は新しい遊びを見つけた子供のように笑って、赤の女王を指し返す。
「なんで純血が食屍鬼とつるんでるわけ? あーわかった、弱くても食屍鬼みたいな雑魚なら支配しやすいってことね」
赤の女王の眉がぴくりとひくつく。女王はぎりぎりと歯を噛みしめた。
「よほど死にたいようね」
赤の女王は両手を地面について、深く、重く踏み込んだ。コンクリートの摩擦音がトンネル内に響き渡る。
冴は「えー、マジ?」と言って、手首を掻っ切る。
「お前が死ね」
洞穴内に響く風を裂く音。赤の女王は女王は俊敏な獣のように飛び込んでくる。冴は血の垂れる鉄刃を女王の腹に向かいまっすぐ突く。
あまりにも単純な太刀筋。女王は空中で身をよじって回避した。
はずだった。
━━坂口冴の血統は鉄を析出させる瞬間が最も強力である。なぜなら、その凶器は血液の足りる限り、自由な曲度、刃渡りで造形することができるのだから。
刃の先端から、新たに刃が発生する。それは太陽へ伸びる朝顔のように、不自然に湾曲した形で女王へと向かう。
女王は再びかわそうとしたものの、間に合わず脇腹が刃で切り裂かれる。女王は舌打ちしつつ、一度を距離をとった。冴は鉄を一度分解して体内へと戻し、再び攻撃の体勢を整える。
冴は手を地面につけ、足下に小さな血溜まりを作った。
冴が血溜まりを踏み込むと同時に、カビが根を生やすように鉄が地面に析出する。そしてその中心から、樹木のごとき形状の鉄の柱が一瞬にして形成される。
冴は鉄樹の成長速度分の加速を乗せて飛び跳ね、トンネル高くまで舞い上がった。そして手首から血を撒き散らし、女王目掛けて鉄の雨を降らせる。
無数の鉄槍による高密度の物量攻撃。
女王は弾幕を避けるも、そこへ冴が降りてきており、落下速度も加えて刃を振るう。
しかし、なぜか女王の姿が霞む。
刃はすんでのとこで狙いを外したらしく、女王の首すれすれの空間を切り裂いた。
女王は冴の着地の隙に攻撃を入れようとするが、冴は再び鉄の樹を生やし、空中へと跳び上がる。
血濡れのレインコートで空高く舞い上がり、制空権を握り弾幕を張る……これこそが坂口冴が『濡羽烏』という異名をとる由縁なのだった。
女王は冴を追って跳躍する。空中に飛び上がる燕のごとき、爆発的なスピードだった。しかし空中では絶え間ない弾幕を回避することはできない。
冴は鉄の雨を真下の女王に向けて放つ。
逃げ場などない、殺意で満ちた鋼の軍勢。
女王の体が一瞬にして蜂の巣となるのは必至であった。
が、追い詰められたはずの女王は、
「二度同じ手が通じるわけないじゃない」
━━嘲笑した。
突如、女王の体が不自然に吹き飛び、鉄の雨を回避した。そして今度はふわりと上昇し、冴へと向かっていく。
とはいえ、読みやすい機動だ。
冴は女王へ向けて刃を振るう。殺った。確実に首を落とす剣筋だった。
だが、刃は女王をすり抜けるように空を切った。
直後、女王に腹を蹴られ、コンクリートに叩き落とされる。鈍痛を堪え、なんとか立ち上がるも、眼前に女王の拳が迫る。刃で受けようとするも、女王の拳はぼやけて姿を消したかと思うと、冴は腹を殴られて後ろへ吹き飛んだ。小柄な少女から放たれたとは思えないほど重い衝撃だった。
「血が出ないように、内臓を壊して殺してあげる」
壁に打ち付けられた冴に、女王は迫っていく。
一転して追い詰められた冴を前にして、しかし桃香は加勢を躊躇っていた。
敵わないと思ったからではない。
女王の強さを恐れたからでもなかった。
もちろん桃香は恐怖していたし、勝てる自信など当然なかったが、そうではなく、不可解な点が多いから逡巡しているのだ。
桃香はすうっと息を深く吸い込み、空を仰いで思考する。
血痕の原因は食屍鬼の死体だった。話を聞いている限り、食屍鬼は犯人というより被害者のようじゃないか。ここで戦っていていいのだろうか?
呉モヨコとの邂逅を思い出す。わたしはあのとき確かに食屍鬼と同じ死に方をした。全身が溶けるように血液が溢れ出す。それはきっと警察官のときも同じ。
……敵は別にいる。
不可解な点といえば、女王と冴の戦闘にもある。
なぜ先ほどから冴の攻撃が幾度となく外れるのか? なぜ女王は空中で浮き上がることができたのか? なぜ冴の頭に向けて放たれたはずの拳が腹部に命中したのか?
数々の疑問が桃香の頭を駆け巡っていく。
そして。
桃香は、前を見据える。
「……見つかりました、冴えたやり方」
冴はボロボロの体で、それでも刃を構え、立ち上がる。既に血中鉄分は限界を迎えていた。これ以上減ると、呼吸ができなくなる。
女王は手負いの冴にも容赦することなく飛びかかる。
これまで通りでは、殺られる━━。
そこへ桃香が勢い良く飛び出して、正拳突きを放つ。狙いは女王ではなかった。当然冴でもなく。あくまで狙いは、女王周囲の空間。
桃香は、既に血統の正体を捉えていた。
赤の女王の血統、それは『汗腺から吹き出す蒸気の熱により、周囲の空気の膨張率を操る』というものである。
空中で女王が浮き上がることができたのは、熱膨張により気流の流れを操っていたから。
埒外な身体能力の高さも、熱膨張のエネルギーでブーストしていたと考えれば説明可能だ。
女王に刃を当てることができなかったのは、熱膨張による空気の屈折率の変化によって、女王の像がずれて見えていたから。いわゆる、蜃気楼現象である。
つまり、女王の周囲の空気をすべて吹き飛ばしてしまえば、攻撃を当てることができる。
祖父により山中で極められた正拳突きは、その威力もさることながら、凄まじい風圧を伴う。
女王の虚像は陽炎のように歪んで消え、代わりに真の位置が曝け出された。
冴はその瞬間を見逃さず、即座に刃を振るう。
女王はすぐさましゃがんでかわそうとし━━━━。
冴の頭が桃香に蹴り飛ばされた。
女王の頭は困惑に包まれる。
まさかこのタイミングで同士討ちすると思っていなかったので、理解できずに一瞬動きが止まった。さらに、その隙に桃香の第二撃が放たれる。
本当に予想外だったため蹴りをもろに受けてしまい、女王の意識は冴ともども闇に沈んでいった。
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