第3話 伝承課の笹川
翌日、花市場に黒服の男が訪れた。
かっちりした黒服に似合わないような、柔らかい容姿の優男で、右目の下の泣きぼくろがある。若いようだが、よく見ると目尻には小皺が走り、彼の苦労を物語っている。
カウンターで男が花市に「九相図を見せてくれ」と注文すると、花市は男を地下室、探偵事務所へと通した。それが、探偵事務所へ依頼をしたいという意志を示す符号なのだ。
男が事務所に入るなり、冴はひらひらと手を振る。
「あ、笹川さんだ。元気ないね〜。どうしたの?」
軽い口調に、笹川と呼ばれた男性は額を押さえて苦笑する。
「最近他の部署からの仕事の押し付けがひどくてね……。過労で偏頭痛が悪化したよ」
「大変じゃん。あたしらに任せてゆっくり休んでな?」
「そうもいかないんだよ。事件の情報整理やら古文書の鑑定やらが山ほど残ってる。君たちに依頼をしたら、署に帰ってまた仕事だ。……君こそ、血統代償の貧血症状は大丈夫なのかい?」
冴のデスクには、大量の鉄分ドリンクの山が築かれていた。冴は顔色は悪いが、体調不良の素振りを見せずに屈託なく笑う。
「あはは、よく働いた日の翌日は酷いですね」
「お互い大変だね……」
笹川はふっとため息をついたあと、桃香の方を向いて微笑む。
「君が新しい助手だね。花市から聞いてるよ。僕は大槌署伝承課の笹川だ」
握手を求められ、いきなりでびっくりしつつも応じる。
「牛久保桃香です。伝承課というのは……?」
「大槌市では、伝承上の神の血に呪われた生物が実在しているのは知っているね。その呪いに関する事件を調べるのが伝承課だよ」
「……すいません。大槌市の伝承っていうのがなんなのかよくわかんなくて、その神話生物?とかに関しても飲み込みきれてないんです……」
すると笹川は目を丸くして、
「ええ? 君たち、この子に何も教えていないのかい?」
「笹川サンが説明した方がわかりやすいだろーなと思いまして」
花市は煙草を蒸しつつそっぽをむき、冴は頭をぽりぽり掻いて苦笑する。
その様子に笹川は大きなため息をついた。
「花市、君、僕がすぐ来るとも限らないのに……」
「限るさ。そちらの情報が入ってきてないとでも?」
笹川は両手をあげて、降参降参、と笑った。
疲れた苦笑というよりも、信頼に裏打ちされた優しい笑みだった。
「仕方ない。大槌市に伝わる昔噺をするとしようか……」
大槌は旧くは大野槌と呼ばれ、同じく「オオノヅチ」と呼ばれる鬼神が支配する地であった。オオノヅチは平野を丸ごと埋めてしまうほどの巨体を持つ毛むくじゃらの大蛇であり、目はなく、蝙蝠のような翼が12枚も生えていたという。オオノヅチが寝返りを打つたびに地震が起こり、涎の毒で作物がすべて枯れ果ててしまうので、周囲の村人は大変困っていた。
その噂は都まで届き、遂に朝廷から侍が派遣され、討伐隊が組織された。
討伐隊は道中の寺社を巡って神仏の加護を受けた武器を収集し、それらをもってオオノヅチを打ち倒した。
だが、オオノヅチの返り血を浴びた侍は呪いを受けて妖しげな異能を持つ鬼となってしまった。
さらに今も、オオノヅチの怨念は土深くに染み込んでいる。
オオノヅチがいなくなったことで大槌は人が住める土地となったが、一方で鬼の住む土地にもなったのだった。
「……というのが伝承の大筋だよ」
「もしかして、返り血の血族っていうのは伝承でいう鬼ですか……?」
「そうだ。侍が受けた呪いは、その侍の死に際してその返り血を浴びた別の人間に押しつけられた。そうやって、殺し殺されの中で異能……血統がバトンされて現代まで残ってしまっているんだよ。言ってみれば、伝染性の特異体質みたいなものだ」
桃香は横目で冴を見る。冴もまた誰かの返り血を浴びた結果、呪いを受けたのだろうか。
血液が鉄へと変化する異能。
冴は自分が食屍鬼と同じだと軽く言ってみせるが、あの剽軽な表情の、皮膚の一枚下は無人の荒野が広がっているように思えてならなかった。
冴は視線に気づき、首をかしげてウィンクする。子供みたいな大人みたいな、不思議な人だ。
花市は最後の一本を吸い終わって、苛立ちを隠せずに灰皿を指でくるくる弄んでいる。
「ま、それだけわかってればとりあえずはいーだろ。残りは追々説明しときますよ。本題に入ってくださいや」
「そうだね。そろそろ依頼に移ろう……」
ひとつは、大槌市の道路の至るところに、いつのまにか巨大な血痕が残されているということ。市民の不安を煽り、商店街の人通りが落ちるということで、早急に原因を突き止めなければならない。
もうひとつは、三ツ角大学病院の遺体安置室に侵入した謎の男について。大槌署で刑事二人で取り調べをしていたが、なかなか終わらないので部屋を見に行くと、取調べをしていた警察官とともに男が消失していた。ここにも同じく謎の血痕と三人分の衣服が残されていた。それ以外は争った痕跡も目撃情報も残っていない。署内にはくまなく警備の目があるにも拘らず。
「……最近、食屍鬼の目撃情報が相次いでいる。おそらくどちらも食屍鬼による事件だろう。原因を突き止めて、可能なら解決してほしい」
「血痕って、あったのは地上だけなんすか? 地下街には?」
「確認はできてない。地下街は警察も捜査しづらい自治区だからね。ただ、地下街銀座で血痕を見かけたって噂はある。自治会も面子を潰されてさぞお怒りだろう」
「なるほど。血痕はDNA鑑定に回したんすよね。どうでした?」
「前者はどれも違う人間、もしくは血族の血痕だ。後者は取調べをした警察官二人のものとおそらく取調べを受けていた男のものだ。知っての通り、食屍鬼を含む血族と人間のDNAは区別がつかないから、確固たる情報は得られていない状況なんだ」
花市はなにも言わず、とっくに吸い終わった煙草の先を灰皿にぐりぐり押しつけながら考え込む。そして、笹川と坂口は花市をじっと見つめて待っていた。
突如沈黙に包まれた空間に、桃香は固唾を飲んで成り行きを見守った。
しばらくして、花市が舌打ちしたかと思うと、デスクの一角を睨みつけつつ言った。
「これは
笹川が血相を変えて立ち上がる。
「花市、それはどういうことだい!?」
「まだ確信が持てねーから言わねぇすよ」
「この後に及んでそんなことを言ってる場合じゃないだろう!」
「仮説に振り回されてもよくねえんで。手を打つのはウチに任せて、地上の捜査に徹してくださいや」
花市は笹川をまっすぐ見据えて手を伸ばす。
笹川は一瞬戸惑ったが、腹をくくって手をとった。
「信頼しているよ。今回も情報は出来る限り提供する」
「ところで」と、花市は頬杖をついて不敵に笑う。机を指でとんとん、と叩いて、
「礼金はいくらっすか」
「先払いで20万用意した」
「足りねえ。30万ですね。地下街で捜査するんすから。上の人間に可愛がられてんですから、それぐらいの経費用意できるでしょーが」
すると笹川は苦虫を噛み潰したような顔をして、
「今すぐには20万しか渡せないぞ」
「後からでも構いませんよ。ただ、報酬次第で捜査の自由度も上がりますから、ひとりでも多くの市民の命が助かるかもしれないってことをお忘れなく。笹川サンの英断を祈ってますよ」
悪魔のような笑顔だった。
笹川は偏頭痛のためにこめかみを押さえながら、青い顔で「わかったよ」とだけ言って、去っていった。
「さて」と花市が手を叩いた。
冴が即座に立ち上がり、桃香も慌ててそれに習う。
「調査の方針だが、坂口と牛久保で地下街に向かってもらう。その間、アタシは別方面からの調査を進めているから、なにかあったら連絡しろ。すぐに指示を出す。……それと、どうしようもなくなったらモヨコを頼れ。運が良ければ手を貸してくれるかもしれん」
わかったな、と念を押す花市に対して、冴はゆるく敬礼して「はいはーい」と言い、桃香は高校の部活を思い出しながら「はい!」と返事した。
「なにか質問はあるか?」
あの、と桃香が手を上げる。
「呉モヨコさんってどこにいらっしゃるんですか? そもそも出勤されてます……?」
「わかんねえ」
「わからないって?」
「部屋にいるかもしれねえし、いないかもしれねえ。なにぶん気配遮断に長けてやがるからいるかどうかもわかんねえ。向こうの気が向かないと出てこねえよ」
「どうしてそんな人を雇ってるんですか?」
「優秀だからだよ。独りでなんでもこなせちまう。状況を引っ掻き回しやがるから、なるべく頼りたくはねえが、本当にどうしようもなくなったら名前を呼べ」
「そんな青いネコ型ロボットみたいな……」
呉モヨコ。役職には雑用とあった。
重要度の低そうな役職名に反して、得体のしれない人物だ。
そもそも名前すら偽名かもしれない。
ここにはもしかして変な人しかいないのかな、と桃香は頭を抱えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます