第2話 花市場
「ほら、着いたよ」
霧を抜けた先に辿りついたのは古びた商店だった。薄汚れて傷の多い壁、泥色に濁ったガラス、やや傾いた看板には「花市場」「あやしいもの、なんでも引き受けます!」と丸ゴシック体で書かれていた。
「胡散臭いですね……」
「そう? イケてると思うけどな〜」
冴は頭をぽりぽりと掻きながら、ドアを開けて桃子とともに店に入る。
取り付けられた奇妙な形の風鈴が、カランコロンとエキゾチックな音を立てた。
狭い店内には、古文書やら壺やらブードゥー人形やら木彫りの仏様やらが数えきれないほどたくさんあって、少しいじれば落ちそうな塩梅で戸棚や箱に積まれていた。
埃と古びた土の匂いが気道に入り込んできて、むせてしまう。
「おう坂口、早かったじゃねーか」
ぶっきらぼうな声がして、店の奥から金髪セミロングの女性が出てきた。古物商なのに白衣を身に纏い、左耳はピアスだらけで、丸い伊達メガネを鼻の高さでかけて、気怠げな表情で佇んでいる。冴以上の美貌とにもかかわらず、目つきの悪さとクマで台無しで、モデルのような長身だというのに猫背。どれをとってもミスマッチで、その違和感によって逆にこの異様な空間に馴染んでいるという印象だった。
冴は目をぱちくりさせて、
「早かった?
「責めてんだよ。もうちょい居座って情報引き出してこいや。……それと」
花市木綿と呼ばれた女性は舌打ちして冴を睨む。
「
「はいはい、花市さんね。以後気をつけまーす」
冴は困っちゃうね、とでもいうふうに桃香にウィンクしてみせた。
「……ったく。決められた時間仕事することすらできねえとはな。社会人失格だろ」
あの、と桃香はおずおずと手を挙げる。
「冴さんはきっと、わたしを逃がすことを優先してくださったんだと思います」
「テメエは関係ない。黙ってろ」
花市は桃香の方も向かずに吐き捨て、煙草に火を付け吸い始めた。
その態度に桃香はむっとなって、
「関係あります! だって冴さんがわたしを助けなければ、ゆっくり調査できたんですから。わたしにだって責任はあるはずです!」
「そうか、そこまで言うなら責任とってもらおうじゃねーか」
「望むところです!」
その言葉を聞くや、花市はにやりと破顔して桃香に目を合わせた。
「んじゃ、ウチで働いてくれ」
「はい! ……ん?え?」
桃香が困惑していると、花市と冴は同時に「いぇーい!」と歓声を上げて、とてもいい笑顔でハイタッチした。
「いやあ花市さん、演技上手っすね!」
「はっはっは……、半分本気だからな」
だ、騙された。
仲良く談笑するふたりを目撃して、桃香は情けなくも小さな悲鳴をあげるしかなかった。
込み入った話をするということで、桃香は地下の部屋に通された。そこは地上よりも幾分整理されていて、デスクと資料棚が立ち並び、ソファとテーブルまで用意された、まさしく事務所という印象だった。
地上は隠れ蓑の古物商、地下は探偵事務所ということなのだろう。
花市はソファに桃香を座らせると、煙草を蒸しながら話し始めた。
「まず前提として、ここ『花市場』は神話生物専門の探偵事務所だ」
「神話生物、ですか?」
聞いたことのない名詞だった。
「大槌市の伝承に関わる超常生物を指す専門用語だよ。平たくいえば妖怪に近い。ただ、実在するってのが妖怪と違うとこだな。ほら、お前も見ただろ。『返り血の血族』の底辺種族、屍肉を喰らう怪物、
思い出すのは、先ほど遭遇した怪物の姿だ。人間が犬に変化したような、おぞましい化け物……。
「牛久保、お前はおそらく何かの神話生物に命を狙われている。その原因が何かを突き止めて解決しない限りは、大槌市で独り暮らしするのは危険と言わざるを得ない」
食屍鬼の言葉が頭を反響する。命を狙われる体質に、なってしまった……。あんなのに、これから狙われ続けるんだろうか。
それより、なんでこの人、わたしが大学のそばで独り暮らししてるって知ってるんだろう?
お茶を汲みに行っていた冴が戻ってきた。
どーぞお飲み、と微笑んでくれたおかげで、不安がいくらか和らいだ。
「そこで提案だ。事件が解決するまでお前をこの事務所で匿い、身の安全を保障する。当然食事は出るし、快適な個室も用意する。必要な物があれば経費で購入する。ただし代価として、解決するまでうちの仕事を手伝ってほしい。つまり、期間限定の助手ってわけだな」
「ちなみに、お給料とかは出るんでしょうか……?」
「研修扱いだから出ない」
口に含んだお茶を吹き出しかけた。
桃香は驚きと憤りを込めて手を机に打ち付ける。
「それって労働法違反ですよ!?」
「うっせーなあ。命と金を天秤にかけて、どっちが大事かよぅく考えてみろ」
「しゅ、守銭奴め……」
俯いて条件を飲むしかなかった。
力無きものに自由はないのだなあ。
冴は桃香の頭を撫でてくれたが、そんなことでは桃香はちっとも気が休まらなかった。
「さしあたってそこのデスクの……」
デスクには4つ席があり、それぞれ「探偵・花市」「用心棒・坂口冴」「雑用・呉モヨコ」「助手・憂里」と名札があった。
「憂里って名札のデスクを使ってくれ。名札は近いうちに貼り替えておく」
憂里のデスクは他と違って、何の資料も筆記用具もなかった。まるで、名前だけは、席だけは残しておいてやったような……。
それに、冴が憂里の名札を見つめる瞳には、ただならぬ愁いが含まれていた。
少なくとも、桃香にはそう見えたのだった。
ちなみに冴のデスクはおそろしいほどに荒れていた。どうしてちり紙や包装紙が置きっぱなしなんだろうか。どうして仕事用のデスクにビールやチューハイの缶があるのだろうか。
結局、その日はそのまま花市場に泊まっていくことになった。貧相な店の外装に反して、お風呂やトイレは存外綺麗で、追い焚きやらウォシュレットやら機能も充実していた。
なによりシャワーヘッドとドライヤーがかなりの高級品らしく、お風呂上がりに髪がつやつやになった。
桃香に割り当てられた部屋は、ずいぶん可愛らしいものだった。ファンシーなキャラクターのぬいぐるみで一面が埋められ、本棚には日本文学と、幾つかの看護や医学の教科書が収まっていた。
憂里は看護士だったのかもしれない。そういえば入院中、看護士にはよくしてもらった。特に親しい男性看護士がいて、辛いときは励ましてくれ、退院したときは一緒になって喜んでくれた。
憂里もそんな人だったのだろうか。
タンスを見ても、とても桃香には着る気が起きないような、ロリータ服や露出度の高い服がほとんどだったので、桃香は仕方なくオフショルダーのキュートな黒いパーカーをパジャマとした。
ここは、憂里の部屋だったのだろうか。
花市場の美容用品が充実しているのも、憂里の影響だったのだろうか。
そして、なぜか懐かしい感覚を覚えるのは、何故なのだろうか。
今後の不安と、止めどない疑問の波に襲われつつも、桃香は生来入眠が容易な性質であったので、ふかふかのベッドの中ですぐに寝息を立て始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます