後始末

 再び崩れ落ちたユーフェミアの身体を前にしゃがみこみ、レイラは彼女の様子をうかがっていた。先程ユーフェミアとセラフィーナが入れ替わったときに比べて、随分と時間が経っているような気がする。もしやセラフィーナが身体を放棄しただけで、ユーフェミアは戻ってこないのではないか、と懸念し始めたところで、横たわった少女の身体から呻き声が漏れた。

 開いた目蓋から見えたのは、セラフィーナのものとは違う黒色の瞳。


「……ユフィ?」


 呼びかけてみれば、ぼんやりとした瞳の焦点がレイラに合った。


「レイラ……」


 かすれた声で名を呼ばれた。弱々しく安堵したその表情を見て、今ここにいるのはユーフェミアだと確信した。返す、と言っていたのは本当だったようだ。

 ユーフェミアは身体をぐったりと横たえたまま、起き上がろうとしなかった。セラフィーナの魔法は、多くの魔力を使う儀式魔法だ。それを続けて二度も使用したので、体力を消耗してしまったのだろう。手足一本動かせないようだった。


「あいつ……セラフィーナは?」


 そっと耳元で尋ねると、ユーフェミアは涙をこらえるかのように目をきつく閉じた。


「私に、帰れって……。ここはわたしの世界じゃないって……」


 その顔に浮かんでいるのは苦悩だった。転生に籠めたセラフィーナの願いを、ユーフェミアもまた知ったに違いない。その上で、自分が戻ってきたことを後ろめたく思っているのだ。

 レイラもまた、セラフィーナに対して罪悪感を抱かずにはいられなかった。間違っていたのはセラフィーナのほうであるとはいえ、あそこまで追い詰めるような真似をしなくても良かったのではないか、とその点については後悔している。


「レイラ、私……」


 潤んだ瞳でじっとレイラのほうを見て口を開くユーフェミアを、そっと押しとどめた。


「今は寝てな。話は後で存分に聴いてやるから」


 ユーフェミアは力なく笑ったあと、再び目を閉じた。その身体から力が抜けるのを確認して、レイラは立ち上がり、踵を返した。彼女の前には、武力に目が眩んだ権力者たちが立ち並んでいる。

 彼らからユーフェミアを守るように立ちはだかると、特に最前列に居た数人の壮年の御仁たちが厳しい視線をレイラに向ける。


「……セラフィーナは」

「出てくる気はないようだよ」


 肩を竦めて応じると、途端彼らは色めき立った。


「なんてことを!」

「余計なことをしてくれた! 彼女がいれば、この国はダリアッドに――」

「それっていま本当に必要?」


 わめき散らす男たちに、レイラは冷ややかな視線を向けた。セラフィーナが必要だと言いながら、先ほど、嘘でも彼女〝個人〟を必要としているのだと言えなかった奴等がいったい何を言っているのだろう。セラフィーナを騙したり、真実を突きつけるレイラを無理にでも止めようとする気概も持てなかった辺り、この国のために聖魔女の力が本当に必要だったのかが疑わしい。


「黙れ、政治のいろはも解らん小娘が口を出すな」


 ふん、とレイラは鼻を鳴らした。つまらない言葉で煙に巻こうとするということは、図星か。なんとなく目の前に落ちてきた力を好機と勘違いし、欲をかいただけなのだろう。百年前の劣等感を引き合いに出して無理矢理理由を付けて、自らを誇張して見せたかっただけ。

 実に下らない。そんな下らないことに巻き込まれて友人が苦しんだという事実に、やるせなさを覚えたし、こんな小物が国政を担っていることを知って失望する。まあ、レイラには政治云々はどうでも良いのだが、騒ぎを起こした自分たちの処遇は間違いなく彼らが握っているので、憂鬱さも増すというものである。

 とりあえず、ユーフェミアだけはどうにかならないものか、と思ったそのときだ。


「判っていないのは、貴殿方あなたがたのほうですよ」


 レイラを庭園に送り届けた後に行方不明になっていたジュリアスが、回廊から堂々と現れた。これだけ大勢の、自分よりも身分も立場も上の人間を前にしても、相変わらず不敵な表情を崩さずにいる。そこまでのふてぶてしさに却って感心してしまう。

 レイラもまた同じような態度を取っていたのだが、彼女の場合は、半分やけっぱちであって、彼のように自信に基づくものではない。


「グレイス」


 貴族としての礼儀もなにもかもすっ飛ばして乱入してきたジュリアスが気に入らないようで、この場にいる多くの者たちが顔を顰めていたが、当の本人は全く意に介さず飄々と庭園を進み彼らを素通りした挙句、舞台に登って注目を集めた。


「彼女が蘇れば、この国はどのような事態に見舞われるか、理解していないのは貴方たちの方だ」


 とん、とステッキで舞台を叩き、自らへと注意を促す。そこは聖魔女の降臨を演出するための舞台だったはずなのに、いつの間にかこの男のための演説台と化していた。


「ダリアッドは、貴殿たちが聖魔女を復活させようとしていたことを察知しています」

「なんだと!?」


 思いもしなかったのか、宰相をはじめとした元老院たちが狼狽うろたえる。その様を冷笑して見下ろし、ジュリアスは続けた。


「ダリアッドだけではない。近隣の国々も聖魔女の復活について知っていた。そして、動向をうかがっていた。何故だと思います? オルコットに聖魔女が再び現れれば、脅威となるからですよ。そして、国々はおそらく連携をはじめることでしょう。万が一この国が自分たちの国を侵略してきた場合に備えて」


 聖魔女を手に入れて戦力を増強しようとすることで、かえって周辺国の警戒心を抱かせてしまったわけだ。そして、下手をすれば、敵視していたダリアッドだけでなく他の国も敵に回すことになる。

 政治に関わる者たちの顔色は、面白いほどに青白く豹変していた。


「確かに魔女は脅威。しかし、数で押せば抗えぬことはないということは、百年前にすでに判りきっている。貴殿方の企みは、かえってこの国を危険にさらしていたのですよ」

「馬鹿な……」

「証拠が必要なのであれば、明日にでも外交部をお尋ねください。書類を提出してきました故」


 証拠、と言われ、黙り込む元老院たち。ジュリアスの言うことがはったりではないと察したのだろう。憮然とした面持ちの彼らを前にして、くすり、とジュリアスは笑った。


「聖魔女の復活を阻止した我が妻に感謝していただきたいものですな」

「は?」


 何かおかしな台詞が聞こえたような気がしたのだが、聞き返す間もなく、ジュリアスは舞台を降りてこちらへ来るとレイラの手を取り立ち上がらせた。


「帰るぞ」

「……うん」


 潮時であるのは察していたので、レイラは素直に従った。もとより、この件が終われば彼に従うことを約束している。


「あ……でも、ユフィが」


 大丈夫だ、とジュリアスは言うが、不安は拭えない。レイラ自身が言ったことだが、彼らはセラフィーナの魔力さえ手に入れば、それを扱うのがユーフェミアであっても良いと思っているはずだ。このままユーフェミアを置いていけば、彼女が兵器に仕立てあげられる可能性だって考えられる。


「それについても手を回してある。今は彼女の両親に預ければ良い」


 ジュリアスが指し示した先に、ユーフェミアに駆け寄る男女の姿がある。あれがユーフェミアの家族だろうか。今までどこにいたのかは分からないが、彼らが本気でユーフェミアを心配しているように見えたので、レイラはジュリアスの言葉を信じることにして、彼に付き従った。

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