彼女が愛される世界
「まだやるの。諦めなさいよ! あなたたちがどう足掻いたところで、このわたしには勝てやしない!」
喚き立てるセラフィーナを、冷静な瞳でレイラは見つめた。まるで癇癪を起した子供だ。親に構ってもらいたくて、駄々をこねる子供。こんなのに頼って国の勢力を拡大させようというのだから、国のお偉方はどうかしている。
――もっとも、そのガキに自分は負けかけているのだけど。
「……あれ? もしかして……」
今しがた投げつけられた、セラフィーナの台詞を頭の中で反芻させる。
「セラフィーナ」
怒りも憎悪も捨てて静かに語り掛けると、激昂していたセラフィーナは動きを止めた。
「ここに居る奴ら、誰もアンタのことを望んじゃいないよ」
「どういう意味よ」
怪訝そうにセラフィーナは眉を
「誰も、アンタ自身を望んじゃいない。欲しいのは、アンタの力だけ。兵士数百人を一人で殺せる力があるなら、それを使うのがユフィだろうが、セラフィーナだろうが、たぶんどうでも良いんだよ」
ちらり、とこれだけの攻防を繰り広げても、傍観しているだけの観客たちに目を向けた。レイラの声は聞こえていたはずなのに、観客たち、特にその筆頭である元老院たちは、誰一人否定の声を上げようとしない。
「そんなの……」
レイラに
セラフィーナに見つめられて、野次馬たちは目を逸らした。この件の主導者である元老院たちは動じなかったが、やはり誰も何も言わなかった。
セラフィーナは愕然とした表情を作り、すぐさまレイラを振り返った。
「でも、結局必要なのはわたしの力なんだから、同じことじゃない!」
「ユーフェミアは、アンタの力を使えるよ。使えるようになったばかりだけど、きっとすぐに使いこなせるようになる。だから」
少しだけ
「……私たちに、セラフィーナは必要ない」
セラフィーナは反応を返さなかった。けれど、それがかえって彼女の失望を物語る。レイラの言葉を本当に受け入れることができないのなら、感情的な彼女はすぐに反発してくるはずだから。
「ねえ……アンタ、本気でそんなことがあると思ったの……? 知り合いなんて誰もいない百年後の世界で、求めてもらえるなんて……」
その昔、彼女が周囲からどのような扱いをされていたのか、レイラは知らない。都合の良い道具として使われたのかもしれないし、それを包み隠されておだてられていたのかもしれないし、もしかすると本当に周囲から慕われてちやほやされていたのかもしれない。
けれどそれは百年前の話で、現在ではない。
確かに彼女は現在も英雄として崇められているが、それは偶像としての彼女の姿だ。みな、彼女の功績は知っていても、セラフィーナがどういう人間なのかは知らない。文献も残されていないのだ。
だから。
「貴女は、この時代に求められてはいない。この時代に貴女という個人を求めている人はいないんだよ、セラフィーナ」
このまま残っていても、良いように利用されて持ち上げられるだけで、きっと腫れもの扱いだ。それどころか、化け物扱いされるだろう。そして良いように飼い殺されて、それで終わり。逃げ出したとしても、そこにあるのは種類の違う孤独だけ。
それでもいい、と言うかもしれない。それでこの国を救えるのなら、と英雄らしく胸を張って言えるのであれば。
けれど、レイラにはセラフィーナがそれを望んでいるようには見えなかった。彼女は決して国のために復活したのではない。自分のために、再びこの地に現れたのだ。
やり方はともかくとして、国のためでなく自分のために生きて君臨することを、必ずしも悪いことだとは思わない。きっと彼女は何かしらの理不尽を受けていたことがあって、自分を誰かに認めてもらいたいがために〝聖魔女〟の立場に固執したのだろう。そうすることでしか、
「けれど、あの子は違う。少なくとも、私はユーフェミアを求めてる。だから……返して」
国のためでないのなら、なおさらユーフェミアを諦めることはできない。このままでは、ユーフェミアは殉教者にすらなれず、ただ消えていくだけの存在になり果てる。友人がそんな価値のない扱いをされるのを、レイラは見過ごすことができなかった。
それが、哀れな若い魔女を切り捨てることになっても。
誰にも望まれていない。それだけで拒絶してしまうのはあまりに残酷だけれど。彼女が過去の人間であり、ユーフェミアが現在の人間である以上、受け入れることはどうしてもできなかった。
「……会ってまだ、大して経っていないくせに……」
くしゃり、とセラフィーナは顔を歪める。若干伏せがちの目に涙が浮かんで見えたのは、見間違いではないだろう。
やがて顔を上げた彼女は、憎々しげにレイラを睨みつけた。
「いいわ。返す」
それからさらに顎を上げて、そっぽを向いた。
「わたしを望まない世界なんか、いらないもの」
あくまでも、自分から捨てたのだと言い張って。
そうして、ユーフェミアの身体は崩れ落ちた。
◆ ◇ ◆
扉は開放されていた。
セラフィーナが開けたかった扉。ユーフェミアが閉ざしていたかった扉。この虚無の空間で唯一存在感を見せていたこれは、その役割の通り、ユーフェミアとセラフィーナの存亡の境界線だった。
ようやく肉眼で見ることとなった扉の向こうは、こちら側と同じく真っ白な空間が広がっている。彼女が閉じ込められていた牢獄は、ユーフェミアの放り込まれた牢獄以上に何もない。罪人の塔には小窓があり、そこから空が見えたが、ここはただ果てしない白が広がるばかり。
扉の枠に触れ、ユーフェミアはこれから先自分が過ごすことになる世界を見つめる。
ここにずっと閉じ込められていたら、どんな気分になるだろう。思考の鈍った頭でユーフェミアは考える。このままずっと、何の刺激を受けることもなく、退屈で退屈で。でも、目の前には決して
セラフィーナが必死になっていた理由が、今ならわかる。目の前の可能性にすがることは、退屈しのぎや慰めにもなるのだ。
だが、ユーフェミアには同じことはできないだろう。あちらはもう、セラフィーナの世界となった。ユーフェミアとセラフィーナが同じ世界に共存できない以上、ユーフェミアにはもう、ここ以外の居場所がない。
――セラフィーナが死ねば、自分は輪廻の中に戻れるだろうか。
だが、それを期待したとて、彼女が天寿を全うするのにどれだけの時間が掛かるだろう。
「まあ、いいか」
今更どうでも。
ユーフェミアは身体を横たえ、目を閉じた。どれほどの時間が掛かろうとも、眠っていればきっとすぐにその日は訪れる。
その身体が、唐突に揺り起こされた。
目を開けると、裸足の右足をこちらに差し出したセラフィーナがユーフェミアの前に立っていた。ユーフェミアの肩に足を乗せ、押しやったのだ。つまるところ足蹴にされたのだが、その乱暴を受けた以上に、二度と現れないだろうと思っていた彼女が目の前にいることにユーフェミアは衝撃を受けた。
「……セラフィーナ?」
「行きなさい。帰りなさいよ」
何故ここに、と言外に問うユーフェミアに、セラフィーナはぶっきらぼうに言い放った。
「え……でも……どうして」
彼女が
「あそこは、わたしの世界じゃない」
明後日の方向を見て、ぶっきらぼうにセラフィーナは言う。口をへの字に曲げて、眉を吊り上げて、悔しさをにじませながら、必死に隠そうとしているようだった。
「わたしはみんなに崇め、讃えられる存在。感謝されて、慕われて……。きっと今の人もそうしてくれるでしょう。でもね」
話すうちに、気持ちが高ぶってきたのだろう。だんだん声が上擦っていき、
「そんなの、わたしが愛されないと意味がないのよ!」
最後には悲鳴に変わっていた。
「あそこにわたしを愛してくれる人なんかいない。だから、いらない」
怒りとも
ユーフェミアのほうはというと、身を起こした格好のまま、ただ彼女を見つめることしかできなかった。声を掛けようにも、言葉が見つからない。慰める? それとも皮肉を言えばいいのだろうか。どちらも適しているとは思えなかった。
やがて、強張っていた口元を緩めた彼女は、赤い瞳を閉ざして言った。
「……でも、あんたは少なくとも友達に必要とされてる。だから、帰るといいわ。……身体がもったいないし」
足を踏み鳴らす勢いで、セラフィーナはユーフェミアの身体を追い越し、膝を抱えて地面に座り込んだ。そのまま動かない。さっさと行け、と背中が語る。
ユーフェミアは扉の方へ視線を移した。扉はまだ開いている。
「友達……」
先程の光景を思い出す。セラフィーナを待つ人ごみの中に見えた友人の姿。ワインレッドのドレスを着た彼女は、想像していた以上に魅力的だった。勝ち気そうな表情は相変わらず。だが、その顔はユーフェミアの心配のために崩れていて、舞台の上から見下ろしていたユーフェミアは、それを嬉しいと思ったのだ。
ユーフェミアの身を案じてくれた、唯一の存在。騒ぎを起こしてしまって、捕まってひどい仕打ちを受けていなければ良いのだけれど。
「レイラ……」
開かれた扉に引き寄せられるように、ユーフェミアは立ち上がる。
会いたいと思った。気まぐれでユーフェミアを救ってくれて、いつも励ましてくれて。人生を大きく変えてくれたというのに、ユーフェミアはまだレイラに何も返していない。
ユーフェミアはセラフィーナを振り返った。彼女はまだ膝を抱えて
「セラフィーナ、私……」
「行きなさいよ」
本当に良いのだろうか、と、おずおずとその背中に声を掛ければ、突き放すようにセラフィーナは言った。ひたすら前方を睨みつけていて、強がっているのは明白だった。
「行って、さっさと人生を全うして。そうして、あんたが死んだら、わたしも一緒に輪廻の中に戻れるんだから」
「……うん」
やはり返す言葉は見つからなくて、小さく頷いた。
踵を返し、開いたままの扉をくぐる。そこから一歩出たところで、ユーフェミアは再び足を止めた。またユーフェミアとして生きられるのは嬉しいが、どうしてもセラフィーナのことが気掛かりだった。彼女はユーフェミアを否定し、肉体を奪い取った張本人だが……この一時、彼女と同じ立場になって、その孤独がよく分かる。
ユーフェミアが味わうところだった絶望を、セラフィーナが引き受けるのだ。これから先、ユーフェミアが死ぬまでの数十年間、ずっと。
それを看過してはいけない気がして、振り返らないまま彼女の名を呼んだ。
「また、会いに来るね」
これまで夢を見る度にここへ来て、セラフィーナと会話した。彼女の存在を知らず、転生の魔法についても知らず、扉の役割も知らなかったうちから、それができたのだ。なら、この先も同じようにできるのではないだろうか。
それなら、せめて話し相手くらいにはなれる。慰めになるかは分からないが、ユーフェミアにできることはそれくらいしかない。
必要ない、という言葉は、聞かなかったことにした。
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