レイラの決意

 グレイスの邸に戻されて二日。レイラは子爵邸の客室に監視付きで閉じ込められていた。部屋を出られるのは食事のときのみ。気分転換に庭に出たいと言っても、逃げ出すからと拒絶される。せめて邸内を見て回りたいと言ったときは何も言われなかったが嫌な顔をされた。愛人ごときに邸内をうろつかれたくないのだと悟り、歯向かうといちいち執事やら使用人やらが煩わしいので、大人しく贅沢な部屋の中に引っ込んでいた。

 幸い、邸の主とは夕食時しか顔を合わせることはなかったので、穏やかな時間を過ごすことができた。臙脂色の客室は、学院の寮の部屋に比べるとずっと広く、明るい。窓の外には花が咲いた庭も見渡せる。使用人に頼んで図書室から適当に本を持ってきてもらえれば、暇も潰せる。もっとも、いくら広くても室内は室内にすぎず、長期間続けば息苦しさに堪えられなくなるだろうが。


 ユーフェミアについては、ジュリアスから聴かされていた。ユーフェミアが元老院と面会したこと。そこでセラフィーナに身体を譲り渡すよう要求されたこと。それを友人は拒絶したので、なおも説得が続けられていることを。

 どうやらこの国は、今でも聖魔女の力を欲しているらしい。かつての侵略者を一掃したその力を保有することで、ダリアッドに対して強く出て、立場の優位性を確保しようというのである。


「笑える話だ」


 連れ帰られた晩、夕食の席でジュリアスはここにいない官僚たちを嘲笑った。


「百年前に結んだダリアッドとの不平等条約の問題は、四十年前に実質的に解決している。関税も最低限、政治的にも対等。十年前には、この国の公爵の下にダリアッドの王女が嫁いできているが、あれは有事の際に人質になることを想定してのこと。つまり、それくらいにはダリアッド相手に優位に立てているはずだ。だというのに、いったい何を持って不平等を謳う?」


 知るか、というのがレイラの本音だ。レイラを含み、国民はダリアッドに恨みはない。侵攻を受けたのは過去のことで覚えている人などいないし、友好的とまではさすがにいかないが、単純にお隣さん程度にしか思っていない人が大半だろう。だから、国の見栄なんかよりも、友人の安否の方がレイラにとってはずっと大事だ。

 しかし、レイラが国を相手にユーフェミアを返せと言ったところで聞き入れては貰えない。レイラは所詮庶民。頑張って格上げすれば伯爵家の庶子だが、どっちにしろ国に意見できる立場には立てない。打つ手がなく、もどかしい思いをしていた。


 そうして今日も無為の時間を過ごすうちに日が暮れて、夕食に呼ばれた。部屋に入ってきた使用人に、動きやすい褐色のワンピースから胸元を強調するワインレッドのドレスに召し替えられ、髪を結いあげられる。そして、大きな飾りのついた金のネックレスとイヤリングを付けさせられると、ふてくされた町娘が、たちまち優雅な淑女に変化した。

 ジュリアスは物選びのセンスもいいらしい。それとも見せ方が上手いと言うべきか。ドレスも装飾品も一つ一つは派手な品だったはずなのに、こうして組み合わされたことで調和を為している。きらきらしい感じも、けばけばしい感じもしない。

 すっかり人形にさせられている。鏡の中の自分を見て、レイラは溜め息を吐いた。成金趣味を押し付けられなかったことにほっとする反面、そのセンスの良さが悔しくもある。ジュリアスはレイラにケチを付けさせる隙を見せないのだ。


 そうして食堂に現れたレイラをジュリアスは満足そうに見つめてから、彼女に席を勧めた。白いクロスの掛けられたテーブルには、既に晩餐の一品目であるカナッペが用意されていた。赤身魚の薫製にクリームチーズを添えたそれに密かに舌鼓を打つ。

 食事はこの邸で過ごすレイラの一番の楽しみだった。料理店の手伝いをしていたときの癖で、どんな隠し味がされていたのだろうか、と考えている間にスープが運ばれてくる。


「ドレイク男爵令嬢の話だが」


 唐突に向かいのジュリアスが話し出したので、レイラはスープを飲む手を止めた。顔を上げないまま続きを待つ。


「今週の終わりに、セラフィーナと肉体を交換するための儀式を行うそうだ」

「はぁ!?」


 レイラは勢いよく顔を上げた。がちゃん、とスプーンを取り落す。


「それってあいつが承諾したってこと?」

「彼女の意志は関係ない。聖魔女の術は、宿主の同意を必要とせずとも使えるようだな」


 セラフィーナは、宿主が拒否する可能性を考えていたようだ。儀式のための魔法書を国に預けていたのだと言う。


「聖魔女は百年経過しても、自分が国に望まれる自信があったようだな」


 ジュリアスは皮肉気に言うが、レイラはもうまともに聞いていなかった。


「……知ってて、今まで黙ってた? アタシが逃げ出すから」


 彼は何も言わなかったが、その通りなのだと確信した。

 レイラはナプキンを乱暴にテーブルの上に置き、椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった。


「何処へ行く」


 背後の、扉のほうへ向かおうとするレイラをジュリアスは声だけで引き留める。その冷静さが気に障った。


「決まってる。ユフィのところだよ。どうしたって、あいつを助ける」

「ユーフェミア嬢は〈罪人の塔〉の中だ。王城の奥で、警備は手厚い」

「なんだってそんなところに!」

「彼女の心を挫く為だ。肉体は傷つけられないからな。過酷な環境に追い込み、精神を疲弊させ、己の人生を諦めさせようというのだろう」

「クズが……っ!」


 思わず吐き捨てる。年頃の女の子にするにしてはあんまりな仕打ちだ。


「ちくしょう、何処だって知るもんか。こうなったら目一杯暴れて……」


 そんな追い詰められた状況にユーフェミアをいつまでも置かれているのを見過ごせるはずがない。王城の敷地内に忍び込む手立てもないし、その〈罪人の塔〉がどこにあるのか把握できてもいないが、もう黙って傍観していることもできなかった。

 とにかく何かしなければ、と焦るのだが。


「お前は私の庇護下にある。勝手なことをされては困るな」


 淡泊にも、ジュリアスはレイラを止めるのだった。その、熱意もなにも感じさせない冷淡な態度が、レイラは気に入らない。


「アンタが勝手に連れてきたんだろ!」


 だからこそだ、とジュリアスはレイラの怒りを切り捨てる。


「それに、お前の周囲にも影響が出る。実父はもちろん、お前の養父と実母。他にもだ」

「それは……」


 レイラは椅子の前で立ち尽くす。

 元老院に逆らうということは、国に逆らうということだ。レイラの素性がばれれば、レイラの周囲の環境――特に家族は無関係ではいられないだろう。どんな形であれ、世間の目はそちらに向かうことになる。実父のことなど知ったことではない。が、養父と母は別だ。両親に迷惑を掛けたくなくてこの男の下に来たというのに、ここで巻き込むようなことがあっては元も子もない。


 まただ、と歯噛みする。レイラの一大事には、必ず家族の問題が立ちはだかる。両親を煩わしいと思ったことはないし、生まれを後悔したこともないが、こういうときに為す術がなくなってしまうのは、心底こたえてしまう。

 養父も母も貴族ではないから? それとも、中途半端な立場にいるレイラがいけないのだろうか。


 家族のことを指摘され、すっかり消沈してしまったレイラは、自分でも気づかないうちにジュリアスに対して溢していた。


「……あいつと会ってからさ、久しぶりに生きた心地がしたっつーか……楽しかったんだ、毎日」


 学院に入ってから三年間ずっと退屈だった。周りからは蔑まれて、うとまれて。勉強は好きだったが、やはり気の置けない誰かと話がしたかった。ユーフェミアと仲良くなってから、自分がずっとそう思っていたことに気がついたのだ。

 そうしてできた友人は、素直で、真面目で、努力家で。でも、脆さもあって放っておけない人物だった。ほとんど成り行きに近い形で面倒を見ているうちに、ほだされてしまったのだろう。

 きちんと知り合って数ヶ月と友情を語るには短い時間。だが、レイラにとってはかけがえのない時間となった。

 学院を出て、どんな扱いだろうと貴族社会に身を置いてしまえば、あのように友人と楽しい時間を過ごすなんてことは、きっともう一生できないに違いない。


「だから、せめてあいつには元気で、幸せになってもらいたい。せっかく魔法が使えるようになったんだからさ、そろそろ報われてもいいと思うんだ」


 そうすれば、少しはいい気分でこの先の人生を送ることができる。学院生活の思い出を糧に生きていける。そんな風に、レイラは思っていた。


 独白とも弱音ともいえる発言を続けているうちに決意を固まらせたレイラは、ジュリアスに頭を下げた。深く深く、自分なりの誠意を込めて。


「頼む。――いや、お願いします。どうか私を行かせてください。終わったら、アンタの好きにして構わない。どう扱おうと文句は言わない。煮るなり焼くなり好きにすればいい」

「そこまでする価値があると?」

「アタシにとっては」


 ジュリアスはじっとレイラを見つめていた。自分の本気が少しでも伝われば、と見つめ返す。ジュリアスの表情からは何も読み取れない。

 しばらくして、彼は瞑目した。長い溜め息が聞こえて、レイラは身を固まらせる。


「まだ三日ある。機会を用意してやるから、しばらく待て」

「え?」

「動くからには、こちらの指示に従ってもらう」


 それでいいな、と目線で訴えてくる。頼んでおいてなんだが――思いもよらなかった返答に、レイラはおもちゃのようにかくかくと頭を振った。


「……座れ。せっかくの食事が冷める」

「ああ……うん」


 呆然と、何処か夢を見ているように実感を伴わない感覚のまま、言われた通りに元の席に着き、スープに手を付けた。出されてから時間が経ったスープはすっかり冷めてしまったが、レイラの胸の中には、じんわりと温かい物が広がっていた。

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