第四章 聖魔女、再臨
儀式の夜
「今晩、儀式を行う」
鉄扉の向こうから宣告がされる。この塔に入れられてから毎日聞いていた宰相バーノンのしゃがれた声だ。この男は毎日ユーフェミアのもとに現れては、セラフィーナに身体を明け渡すように説得してきた。はじめは喚き散らして拒絶していたのだが、日を重ねる事に威勢をなくし、ついには返事をするのを止めてしまった。現在もただ、石壁に背を向け足を投げ出して座ったまま、時折扉へと視線を向けるだけである。
「今日がお前の最後の日だ。言い残したいこともあるだろう。良ければ両親を呼びつけるが」
その有り難い申し出を、ユーフェミアは拒絶した。
落ち着いた足跡が遠ざかっていく。あの宰相がユーフェミアに対してどう思っているのか、そこからは全く読み取れなかった。少しは悪いと思ってくれているのか、思い通りにならない小娘に苛立っているのか。それとも、どうせいなくなるのだからどうでもいいのだろうか。
まあ、なんでもいい。はじめは恐れ多い存在だったが、今となってはユーフェミアに死を迫るだけの老人である。気に入られようが、反感を持たれようが、どちらにしてもユーフェミアの運命は変わらない。
「……呼びつける、ね」
物音が完全になくなったところで、ユーフェミアはバーノンの言葉を
バーノンは、ユーフェミアが望むのであれば、自分の権限で両親に呼び寄せてやろうとそう言った。
つまり、両親が自発的にユーフェミアと対面したいと申し出てくれたわけではないのだ。
「なんだったんだろうなー……私」
ただ虚しい声が部屋の中に反射する。最後の最後にかすかに残っていた期待も裏切られてしまった。
魔力があるのに使えない落ちこぼれ。中にセラフィーナの魂があると知られたなら、身体を彼女に渡すのが当然と言われ。誰もユーフェミア自身を惜しんでもくれない。せめて両親は、とも思ったが、ユーフェミアを助けてくれないばかりか、顔も見に来ない。
セラフィーナさえいれば、少しも惜しまれることのない存在。それが自分か。
そんなものだったのか、自分の価値は。
「……哀れね」
白い扉の前で、セラフィーナが呟く。前はユーフェミアよりも自分の方が周囲に望まれているのだとかなんとか言っていたくせに、今は本気でユーフェミアを哀れんでいるようだった。
「同情? 良いわね、みんなに望まれる人は」
皮肉をたっぷりと効かせて返す。この監禁生活で、ユーフェミアの身の内にいる彼女は、良くも悪くも唯一の話し相手だった。言葉の応酬をしているうちに遠慮することを忘れ、今では辛辣なことも平気で言う。
ユーフェミアの怒りや不安のはけ口は、彼女しかいないのだ。
「そうね。わたしだって、あなたと同じ立場になっていたのかもしれないのだもの。同情もするわよ」
彼女が生きていた時代では、魔力持ちは忌み嫌われる存在だった。セラフィーナは幸運で、国を守ることで周囲からの迫害を受けずに済んだが、その立場に立つまでは、いつ石を投げ打たれるかと恐れていたのだと言う。
「だからこそ、あなたみたいじゃなくて良かったと思うわ」
扉越しに何故か見える赤い瞳。言葉の通り、そこに安堵の色が混じっているのを見て、ユーフェミアは虚無的に笑った。羨ましく、そして妬ましくもあったが、それだけだ。身体に勝手に入り込んできたことについてはともかく、ユーフェミアが誰にも望まれないのは彼女の所為ではない。ただセラフィーナの存在が切っ掛けとなってユーフェミアの価値が露呈した、ただそれだけの話だ。
それに、今晩にはユーフェミアの身体はセラフィーナのものとなり、これまで人生を送ってきた世界から、ユーフェミアは消え去るのだ。今更何を後悔しようと、嘆こうと変わらない。
「だったら、せめて有効に使ってよね、この身体。わざわざ私を追い出してまで生き返るんだから」
運命なのだと、諦めるしかなかった。こうして受け入れることしかできなかったのだ。この狭い石造りの牢の中では。
◇ ◆ ◇
その儀式は、宮殿内の園遊会が行われる庭園の一角で行われた。夏向けの庭ではないらしく、夜目にも色彩に乏しい庭だ。青々とした芝生と、花の季節を終えたツツジの生垣。今後の催しのため、今華やかな庭を汚さないようにこの場所を選んだということなのだろう。それにしても、広々しているとはいえ、そこがレイラたちがよく利用していた学院の北の裏庭を彷彿させる場所であるのは、いったい何の因果だろうか。
庭園の中心となる場所には、一段高い木組みの舞台が用意されていた。急な儀式の為か、簡素な造りの舞台だ。その四隅に篝火が置かれ、空に昇る満月を除けば、それだけが光源となっている。
その舞台の周囲を人々が囲んでいる。儀式の見学の呼ばれているのは、みな貴族だ。元老院と役人、それとその縁者。完全に見世物である。辺りは静まり返っていたが、百年前の魔女の復活に興奮しているようで、ひしひしと熱気が伝わってきた。そこに少女一人の人生が終わってしまうことなど全く意に介している様子はない。
ただちにこの雰囲気をぶっ壊してやりたい、とレイラは思う。しかし、まだユーフェミアが現れていない。彼女がいないまま暴れては、儀式は中断されても彼女を救い出すことはできないだろう。
「ああ、くそっ」
悪態をつき、足の爪先で地面を叩きながらも、辛抱強く機会を待つ。レイラがここに居られるのは、ひとえにジュリアスのお陰だ。彼はこの儀式を観覧する権利を得、さらにレイラを同行させる許可も得てきた。そしてレイラは彼のエスコートを受けてこの場に立っている。そのジュリアスは何処かに行ってしまったので、今は一人だけれども。
貴族とはいえたかだか子爵位に何故そこまでの権限があるのかは分からないが、せっかくの貴重な機会だ、無駄にするわけにはいかない。逸る気持ちを抑えながら、周囲を注意深く観察する。
気になるのは、舞台の端に置かれた一本脚の書見台だ。魔法書が置かれている。あれこそジュリアスが前に言っていた、この儀式に使う魔法書であることは想像に難くない。狙うべきはあれだ、とレイラはあたりを付ける。それから、魔法書の傍に控えるように立つローブ姿の男。あの男が儀式を執り行うのだろう。
それから舞台の周囲や、兵士の配置を確認する。何処に立っていれば舞台にいち早く駆けつけられるか、何処を通れば少ない障害でこの場から逃げきれるか、頭の中で想定しながら自分の居場所を移動する。最大の問題は、ここが警備の手堅い王城の敷地内であること。連れてこられたユーフェミアの手を取ってこの庭園を離れることに成功したとして、果たしてうまく脱出できるのか。逃げられたとして、その後は?
我ながら行き当たりばったりな自分の行動に嗤う。三日間の猶予は何だったのだろうか。ポケットの中で弄んでいた紙切れが、くしゃりと小さく鳴った。その間レイラがしてきたことと言えば、あらゆる事態を想定して魔法を用意することだけ。
当てにしていたわけではないが、ジュリアスは儀式のときに事を起こすようにと指示した他は、この場所を教えただけで、レイラに何かを言いつけてくるようなことはなかった。レイラが何をしようと関与しないということなのかとはじめは思ったが、時折彼の様子を覗き見たところ、何か企んでいるように感じた。それで、我が儘を言ったことで気兼ねしたレイラは、これ以上ジュリアスに迷惑を掛けるようなことはできないと、妙に遠慮をしてしまったのだ。それはかえって失策だったことに、今更ながら気づく。
夜が来てから、どれほどの時が流れただろうか。ようやく、庭園の一角が動き出す。
左手側、庭園に面した宮殿の通路の向こうから、小規模な行列が現れた。前方に立つのは、初老の男。二列に並んだ六人の兵士が続く。彼らは真ん中に少女を挟んで歩いていた。その少女こそ、今夜の主役となるユーフェミアである。
一週間ぶりに見たユーフェミアは、外傷こそなかったものの、ひどくやつれていた。少し痩せ、儚くなったように思うが、特に変化したのは瞳だ。光を失い、荒み、そしてガラス玉のように感情を映さない。幽鬼のようなその姿に、レイラは息を飲んだ。もともと諦観の表情を頻繁に浮かべる娘であったが、あそこまで絶望した様子を見せたことはなかったというのに。
一団が舞台の上に上がると、まずユーフェミアが舞台の中心に立たされる。服装は薄汚れた学院の制服そのままで、両手は背中の後ろに回されて縄か何かで拘束されているようだった。まるで罪人の扱いだ。事情を聴いていなければ、公開処刑か何かと勘違いしそうだった。
もっとも、儀式が成功すれば〝ユーフェミア〟という個人はいなくなる。当事者にとってみれば、同じようなものだ。
兵士の一人が後ろに立ち、ユーフェミアの拘束は外された。自由になったはずの彼女は、逃げ出そうともせず、暗い瞳で舞台の下の芝生を眺めている。過酷な環境に追い込み、精神を疲弊させる――ジュリアスの言った通りになってしまったのだ。
居ても立ってもいられなくなって、先頭に居た老人が演説を始めたところで、レイラはポケットに入れていた紙を取り出した。いつものように花を折ることもなく、ただくしゃくしゃに丸めただけの紙を放り投げる。放物線状に投げ上げられたそれが頂点に達する頃、紙の玉から強烈な光が漏れる。篝火のみで照らされた庭園内では、レイラは片手で目を光から庇いながら、もう一方の手で杖を取り出し、駆け出した。
「ユフィ!」
声を張り上げれば、周囲の目線がこちらに向く。ユーフェミアもこちらを見た。その虚ろだった瞳に一瞬だけ光が点ったのは目の錯覚か。
「なんだお前は!」
「うるさい、どけ!」
突然の出来事に戸惑う貴族を突き飛ばして、空気の塊を飛ばした。気弾は書見台の傍らに立っていた男を吹き飛ばす。次いで、今度は火の玉を飛ばした。狙いは魔法書だったが、火の玉は予想よりも下のほうへと軌道を描き、本でなく書見台の脚を焼いた。
支えを失った書物が、舞台の上から落ちる。すぐさま飛びつこうとしたレイラだったが……人の壁に阻まれた。想定外の事態に、右往左往とする観客たちだ。庭園の周りを囲むように立っていた兵士たちを阻むため、あえて人ごみの中に身を置いていたのだが、それが仇になった。
「レイラ!」
人を押しのけようとする中で、ユーフェミアが名前を呼ぶのを聞いた。
「もう、いいよ」
「ああ? 何が良いって!?」
諦めたような言葉を口にする彼女に、兵士たちから顔を背けぬまま怒鳴り返す。
「もういいの。……ありがとう。最期にレイラが会いに来てくれて、嬉しかった」
まるで遺言のようなことを続けるものだから、思わず振り返る。
風に煽られる金髪の下で、ユーフェミアは笑っていた。あまりにも儚い、霞んで消えてしまいそうな淡い微笑。その黒い目の端にすっと一筋滴が流れていた。
騒ぎの所為で拘束から逃れていたユーフェミアは、一人祭壇を下りると、分厚い書物を拾い上げた。そこに魔力を流れ始めたのを感じて、硬直していたレイラは再び飛び出した。
「何やってんだ、この馬鹿!」
体当たりするようにユーフェミアに迫ると、乱暴に本を払い除ける。そのまま勢いを殺すことができず、ユーフェミアと一緒に地面に倒れこむ。
「くぅ……っ」
左肩が舞台の角にぶつかり、痛みのあまりに呻く。そこを右手で押さえながら左肘だけで器用に身を起こすと、辺りを見回した。ユーフェミアの身体の向こう、観客たちが溜まっている足元に魔法書が転がっている。そこに魔力の気配は感じなかった。安堵の溜め息を吐いて、レイラは傍らの友人を見た。
押し倒され、地面に投げ出されたユーフェミアの身体は、横たわったまま動かない。目蓋は固く閉じられていた。
「ユフィ?」
声を掛けてみるが、反応がない。まさか何処か打ったのか。レイラは恐る恐るユーフェミアの身体を強請った。二度、三度身体を押したところで、目蓋が震えはじめ、ゆっくりと持ち上げられた。
その瞳の色は、周囲を照らす篝火のように赤々と燃えていた。
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