虜囚

 三日前。ユーフェミアが試験中に講師に呼ばれ、学院長室に連れていかれたときに遡る。


 学院長室に乗り込み、興奮した様子で学院長に報告している講師を訳も分からず見つめているうちに、あれよあれよと何処かに連れていかれ、気がつけばオルコットの宮殿にいた。

 控室のような室内でさらに数時間待たされた後、宮殿の官吏につれていかれたのは、円形の部屋だった。闘技場を縮小したかのように、円周部分から中心に向けて階段状に下がっており、その一段一段には机付きの席が設けられている。人間を押し込んでも十人は入りきらないだろう狭い中心部分は、人が乗り越えるのは難しい高さの壁に囲まれていて、ユーフェミアはそこから席を見上げていた。

 話でしか聞いたことのない軍の査問室。その中心に立たされていると知り、ユーフェミアは青ざめた。しかも、彼女を見下ろすのは、オルコットの政治の中枢を担う元老院の一員たちだ。宰相たるバーノン。軍部の最高司令官であるボルダレフ。外交を司るレイリー。他にも国の重要人物たちがたくさんいた。ただの男爵令嬢には縁遠い錚々そうそうたる顔ぶれに足が震え、崩れ落ちないようにするのが精一杯だった。その中には、何故か両親の姿も見えたが、彼らもユーフェミアと同じくらいに青ざめていた。

 そして、宰相バーノンから、百年前のセラフィーナについて聞かされた。数日後にレイラがジュリアスから聴かされるのとおおよそ同じ、彼女の末期とそのときに使った魔法についての話だ。


「……つまり」


 頭がぐちゃぐちゃでさっぱり話についていけなかった気がするが、口の中は乾上がっていた。


「私の中に、聖魔女セラフィーナがいるということなのでしょうか?」

「その通りだ」


 くらり、と目眩がした。足元がふらつき、倒れかける。証言台の柵を掴み身体を支えた。あまりに非現実的で受け入れがたい話。夢であってくれればよかったのに、身を這う寒さがそれを否定する。

 一瞬遠くなった意識の中で、白い扉を幻視した。

 くらくらする頭を手で押さえ、もう一度両足で立つ。霞んだ視界の中でもう一度宰相を見上げた。


「……それで、私は一体どうなるのですか」


 この異様な雰囲気だ、決してユーフェミアがセラフィーナの生まれ変わりだからと持てはやされているわけではないことは分かっていた。けれど、妙に期待されているのも感じる。きっとそれは、ユーフェミア自身に向けたものではなく――。


「聖魔女に身体を明け渡せ」

「……っ!」


 わざわざここに呼びつけられて話を聴かされたのだ。薄々勘づいてはいたが、実際に言い渡されたときの衝撃はやはり大きかった。


「その身体も、その力も、聖魔女に捧げるべきもの。汝はそのために生まれたのだ」

「そんなの嘘よ!」


 貴族としての礼儀も、相手が誰であるかもすべて忘れて、壇上に向けて叫んだ。


「お断りします。だって、そうしたら私はどうなるの!?」


 身体を明け渡すということは、ユーフェミアがユーフェミアでなくなるということ。それは実質的に死ぬことと同じではないだろうか。罪を犯したわけではないのに、死を強要される理由が分からない。


「我らには聖魔女が必要だ。汝を哀れだとは思うが」

「お断りします!」


 そんな取ってつけたような憐れみなどでは、とても受け入れられるはずがない。


「仕方ない。穏便に済ませたかったが……」


 やれやれと宰相は頭を振ると、ボルダレフに視線を向けた。初老でありながら、鷹のように鋭い眼光をしたいかつい男性が頷くのを見ると、彼はユーフェミアの背後に控えていた衛兵を呼んだ。


「この娘を〈罪人の塔〉に連れていけ」


 この査問室と同様、話でしか聞いたことのない場所の名前に、ユーフェミアは絶句する。

〈罪人の塔〉。そこは、かつて罪を犯した上位貴族が閉じ込められる牢獄だ。他国と密通した者、反逆を目論んだ者、不貞を働いた王の側室や、その側室と姦通した者――そんな罪を犯した者が閉じ込められ、死んでいった場所。罪人相手とはいえ人間を一生閉じ込めておくにはあまりに不適切な場所であるからと数十年前にまた別の監獄が作られているのだが、王族が私刑に使ったり、密偵の取り調べのために秘密裏に使用されているという噂もある。

 そんなところに、ユーフェミアも押し込まれるのか。

 恐怖のあまり後退し、思わず逃げ出そうとするが、後ろの兵士に左手首を捻り挙げられてしまい、身動きが取れなくなった。その痛みにもがいている間に、右手もまた拘束されてしまう。


「嫌……っ、放して!」


 必死に身をよじるが、当然兵士は放さない。助けを求めてもう一度壇上を見上げるが、冷たい視線で見下ろすばかりで誰一人助けてくれそうにもない。

 その中で唯一苦渋を滲ませてユーフェミアを見る父の姿を見つけて、ユーフェミアは叫んだ。


「お父様!」


 だが、父は立ち上がることもなく、唇を震わせるだけだった。皺の増えた目尻を悲しそうに下げ、ユーフェミアと同じ黒い瞳を潤ませる。

 隣にいる母は、口元にハンカチを当て、顔を逸らして助けを求めるユーフェミアを見ようともしない。


「すまない……ユーフェミア」


 その掠れた声を、ユーフェミアは確かに聞き取った。瞳が大きく見開かれる。どんなに目を凝らしても、父も母もユーフェミアが連れていかれるのを止めてくれる様子はない。止めてくれ、と訴えかけてくれることもなかった。


「嘘……」


 仲の良い家族だと思っていた。父は仕事の合間を縫ってユーフェミアの話を聴いてくれたし、母は厳しさと優しさを持ってユーフェミアに淑女としての基本を教えてくれた。後継者である弟のほうが贔屓目に見られることもあったが、それは周囲と比べてみても過剰と言えるほどではなかったし、ユーフェミアも孤独を感じるようなことはなかった。

 魔力をうまく操ることができなかったことを、大したことではないから気にするな、と励ましてくれた。魔法学院で三年間挫けることなく頑張ってこれたのは、両親の励ましがあってこそだと思っていた。

 それらは全て嘘、まやかしだったのだろうか。


 愕然とするあまり、ユーフェミアの身体から力が抜けていく。

 両親にすら見捨てられた彼女を衛兵たちは哀れに思いながらも、元老院の命令に逆らえるはずもなく、抵抗を失った娘の身体を容赦なく査問室から引きずり出した。




 父に見捨てられたことで呆然となっていたユーフェミアだったが、〈罪人の塔〉の前に立たされると、改めて自分がここの虜囚になることの恐怖心が湧き上がってきた。立方体に粗く削られた黒い石を積み上げただけの円形の塔。作られてからどれだけの年月が経過しているのだろうか、つなぎに用いられたセメントはところどころが剥がれ落ちており、建物の強度に影響しないとしても隙間風の心配がされた。

 内装のほうも、見た目から予想されるとおりの物だった。螺旋状の階段の途中に設置された、目線の高さに格子が嵌められた鉄扉。むき出しになった石壁。身長より少し高いところには、換気の為か、採光の為か、頭くらいの大きさの小さな窓が設けられているが、当然ガラスなど嵌められていない。部屋の角には、古い藁がマットレス代わりに使われたベッドに、いつ干したのか分からない色あせた毛布。ベッドの対角線上に置いてある小さな壺は、用を足すためのものだろうか。

 あまりに前時代的で不衛生的だった。現在のどんなに環境の悪い牢獄でも、ここまで酷くはない。

 罪を犯したとはいえ、贅沢な暮らしをしてきた上位貴族が突然ここでの暮らしを余儀なくされて、いったいどれほどの罰になっただろう。一生ここで暮らすのであれば、死んだほうがマシだと思えてくる。

 もちろんユーフェミアとて例外ではなかった。


「出して! お願い!」

 

 壁から壁まで五歩ほどの圧迫感のある狭い部屋の中に押し込められ、おののいている間に塞がれた扉を拳で叩く。重い音が室内と外の階段に響き渡るが、ユーフェミアを連れてきた兵士はすでに立ち去っていて、応えるものは何もなかった。

 叩くのを止めれば、静寂が落ちる。ユーフェミアの呼吸音以外の物音は一切ない。虜囚はユーフェミア一人だけなのだ。


「こうなったら……っ!」


 次から次に襲い掛かる絶望的な状況は、かえってユーフェミアを大胆にさせた。呪文を唱える。魔力制御はまだ訓練の途中であり、手元に黒板はないが、むしろ今は好都合だった。暴発させて、この牢を壊して、どうにかここから逃げ出してやる。その後のことは思いつかないが、このままここに閉じ込められ、聖魔女に身体を明け渡すよう強要されているなんて御免だった。

 久々であった所為でたどたどしい口調になってしまったが、なんとか呪文を唱え終わり、腕を振る。

 しかし、何も起こらなかった。


「どうして……っ!?」


 この前レイラが使った水柱の魔法。空気を圧縮させ、爆発させる魔法。壁に使われている石にかかる重力を増幅させる魔法。高温で鉄を溶かそうとしてみたり、セメントのひびに溜まった水分を凝結させて亀裂を広げようとしてみたり。思いつく限りを試したが、何をやっても手ごたえが感じられなかった。


「なんで、どうして! 前はあんなに使えたのに!」


 少し冷静になれば分かることであったが、この塔に限らず全ての牢獄には、魔力の拡散を促し、発動を防ぐよう仕掛けがされている。無論、魔法の使用による脱獄を阻止するためだ。よく知られた話であるはずなのだが、とにかく現状を打開したいばかりに失念していた。

 否、もしかするとこれまで魔法を暴発させてきた経験が、却ってユーフェミアを傲慢にさせていたのかもしれない。自分ならばその気になればその仕掛けを打ち破るだけの力があると。

 だが、現実は何も起きなかった。魔法を暴発させるどころか、発動の兆しすら見せることはなかったのだ。


「そんな……」


 とうとう、ユーフェミアの膝が崩れ落ちた。もはや何も為す術などない。ここから出るのは不可能だ。おそらくセラフィーナに身体を譲ることを承諾しなければ、自分は牢から出してはもらえないのだろう。

 それはつまり。ユーフェミアの未来は閉ざされてしまったということと同義だった。

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