第三章 セラフィーナの身体
突然の迎え
試験中にユーフェミアが呼び出されてから三日が経過したにもかかわらず、彼女の姿を見ていなかった。それだけでなく、学院中が緊張感に包まれているのをレイラは感じ取っていた。発生源は主に講師たちだ。彼らは妙に殺気立っている。他の学生たちもそれを感じ取っているのだろう、みんなどことなく落ち着きがない。
状況から考えて、試験のときに何か問題があったのだとしか思えないのだが、そうするとユーフェミア一人が呼び出され、相棒を務めたレイラ相手には音沙汰がないのは妙だ。ユーフェミアだけ、という状況が解せなかった。
「……しょうがないな。捜してみるか」
姿を現さない友人にしびれを切らしたレイラは、とうとう動き出すことにした。
ユーフェミアがいないと退屈で仕方ない。この三年間で一人で過ごすことに慣れてはいたが、気の良い友人を一度持ってしまうと、その時間は手放しがたいのだ。卒業まで一年もないからこそ、なおさら。
まずは学院内を聞き込みして、手掛かりを得るところからだ。そのためには教科書が邪魔なので、一度寮に戻ったのだが。
自分の部屋の扉の前に、人が立っていた。講師でも学生でもない、外部の人間だ。高そうなスーツに身を包んだ、すらりとした身長の男。金色の巻き毛を持つ美丈夫ではあるが、その顔に浮かんでいるのは冷徹な表情。実に見覚えのある嫌な姿だ。
一瞬逃げ出そうかと思ったが、先に向こうがこちらを見つけてしまったので取りやめ、不敵な笑みを浮かべて真正面から
「おやおや子爵様、どーしたの?」
部屋の前で待ち伏せしていたその人は、レイラの後見人であるジュリアス・ドレイク子爵だった。
「たった三年アタシがいないのが我慢できないほど、女に不自由しているとは思えないんだけど?」
ジュリアスは実父である伯爵との縁欲しさにレイラを引き取ったわけだが、レイラ自身に女としての興味がないわけではなかった。が、レイラ一人にこだわるわけでもなく、義理立てするような誠実さを持つわけでもない。その手のことは持ち前の財でどうにかできるはずだし、実際にそうする男だ。
それをよく知っているからこそ、寮暮らしのレイラをわざわざ訪ねてきたのには訳があるはずだとレイラは推測している。素直に尋ねられないのは、レイラ自身の気分の問題。
「顔を会わせたばかりでそれとは、下劣だな」
皮肉など意に介することなく、ジュリアスは冷ややかな視線でレイラをせせら笑った。
「その下劣な女を欲しがったのは、何処のどいつだろうねぇ」
買っておいて文句を言うな、と商品自ら言ってみる。こうしてたまには苦情を言ってやらねば、不本意な立場にいるレイラの気は収まらない。
「お前が望むなら構ってやらないこともないが、今日は一応用件がある」
余計な一言に眉をひそめつつ、レイラは返す。
「なんだか知らないけど、さっさと済ませてくんない? アタシもこれから用事があるんだよね」
「それはドレイク男爵の長女のことか?」
「……なんで」
レイラは目を見開く。図星を突かれたのもそうだが、ここ数ヶ月交流もなかったのにレイラの交友関係を把握しているのにもまた驚いた。
「今日来たのは正解だったな」
やれやれと肩を竦めたあと、ジュリアスはレイラの腕を掴んだ。少し抵抗してみるが、手放さない。それどころか痛みを感じるほど強く握られて、レイラは顔を顰めた。いったいどういうつもりなのか。
「お前を彼女に関わらせるわけにはいかない」
「は? なに言ってんの?」
「卒業まで待つつもりだったが、そうも言ってられんな。おい、この女の部屋から必要最低限の物だけ持ってこい。残りは後日取りに行く」
「ちょ……ホントなに言ってんだ!?」
ジュリアスの背後で影のように控えていた使用人に命令すると、レイラの腕を掴んだままジュリアスは寮の外へと向かった。
まさか本当に学院を止めさせられるのか、とレイラは危惧した。問題は度々起こしているが、退学を命じられるほどではないはずである。
「なあ、おい! 嘘だよな!?」
「冗談ではない。お前を邸に連れ帰る」
「今すぐにかよ!?」
「でなければ、お前は余計なことに首を突っ込むだろう」
寮の外に出ても、ジュリアスはレイラの腕を放さなかった。そのまま校門に待たせた馬車まで引っ張っていく。どうやら本当にここから連れ出されるらしいと知り、今度は本気で抵抗してみせるが、貴族のボンボンでもやはり男の力か、その甲斐はなく、結局馬車に放り込まれた。それはもう、知り合いでなければ誘拐されているのではないかと思ってしまうくらいには、乱暴に押し込まれた。
「出せ」
ジュリアス自身も素早く乗り込んで扉を閉め、窓を開けて御者台に指示する。レイラが体勢を立て直すころには、馬車はそれなりの速度を出していて、完全に逃げるタイミングを見失った。
「連れ帰ったところで、大人しくしてると思うなよ」
じとり、と恨みを込めて男を見上げる。レイラの視線を受け止めたジュリアスは冷ややかな目でレイラを見下ろした。
「監視をつける。我が邸から逃げ出せると思うな」
「……正気か?」
この男にそんな趣味が、とレイラは頬を引き攣らせた。しかしよくよく状況を見てみると、そんな馬鹿げた風でもない。レイラは少しだけ警戒を解き、馬車のシートに座ってふんぞり返った。女王のごとく脚を組み、向かいの男を睨みつける。
「まずは説明しな。じゃないと、大人しくしてやらないよ」
この男は自分の権力と商売のためにレイラを買うような最低野郎だが、幸いなことにレイラを蔑ろにするようなことはなかった。レイラに強いることはあっても、求めれば理由はきちんと説明してくれる。その理由とやらも一応は筋が通っていて納得できるもので、ただ理不尽を押し付けられるばかりではなかった。レイラがジュリアスに反発はしても逃げ出したりしないのは、そういう訳もあった。
「聖魔女セラフィーナを知っているな」
「そりゃあ」
学院は彼女の名前にあやかってつけられているのだ。今から百年前、このオルコットを守護していたという魔女で、圧倒的な力で隣国ダリアッドの侵略からこの国を守ったという程度のことは、学院に在籍している以上誰でも教養として知っていることだった。
「では、彼女の末期については?」
何故今その話を、と訝しむが、ジュリアスの眼光が質問を許さなかった。大人しく従って、レイラは自分の記憶からセラフィーナについての知識を引っ張り出す。
「確か……その巨大な力を持ってしても、度重なるダリアッドの侵攻を防ぎきることはできなかった。そこでセラフィーナは命を賭して、ある秘術を使う。この秘術の内容は明らかにされてないが……結果として術は成功し、国は守られ、彼女は命を落とした。その頃は二十歳にも満たなかったんだっけ?」
この国を守って死んだからこそ、彼女は〝聖〟魔女として讃えられている。たった一人で敵の侵攻を防いだのは神の
頷きもせず、ただじっと値踏みするようにレイラを見ていたジュリアスは、さすがだな、と無味乾燥に誉める。
「だが、少し事実と違う」
「なんだって?」
伊達に好奇心旺盛、成績優秀を気取ってはいない。レイラには、この程度の歴史認識を間違えているはずがないという自負があった。同じ時代について書かれている歴史書でも、筆者や出版元が異なるものを幾つか選んで読んでいる。だが、百年前と最近の事柄だからか、セラフィーナについてはどの本も大筋先程のような説明で、認識に大きなずれが生じている様子はなかった。もちろん細かいところでは、彼女は孤児だっただの、王子の婚約者だっただの、本当かどうか判断のつかないことも書かれていたが……。
「一般には知られていない話だ。確かにセラフィーナは、ダリアッドとの戦を停めるために死んだ。死ぬ前に秘術を使ったというのも真実。だが、セラフィーナはこの国に殺されたというのが、この件の真相だ」
「……へぇ?」
これまで呼んだ歴史書のどこにも書かれていなかった話に、レイラは身を乗り出した。
「セラフィーナの力によってダリアッドの侵攻は防がれていたが、強大とはいえ、所詮人間一人の力。オルコットの数倍の国力を持つ隣国の猛攻を防ぎきることはできず、戦争が長期化するとたちまち負け戦に転じていった。そして、疲弊を重ねた頃に、隣国からの停戦の申し出があった」
もちろん、無条件のはずがない。相手は、関税を撤廃した貿易の他に、魔女セラフィーナの首を差し出すよう要求してきた。
「呑んだんだ」
軽い驚きをもって尋ねる。この国でこれだけ英雄視して祀り上げられている魔女が、まさかこの国自身に棄てられていたとは考えてもみなかったことだ。
「戦は金が掛かる。その上、勝つ見込みはなくなっていた。それを人一人の命で済まそうというのだから、呑まないはずもないだろう」
「ふん。下衆だねぇ。あれだけ当てにしておいて、あっさり見棄てて差し出すなんて。聖魔女さまも哀れなもんだ」
国の為に命を賭して戦ったというのに、国の為に死んでくれ、と言われて。長引けば被害は大きくなり、下手をすればこの国は亡くなっていたかもしれないが、これではあまりに彼女が報われない。
その通りだな、とジュリアスもまた同意する。
「だが、彼女は諦めきれなかったんだろう。死ぬ前に術を使った。転生の術だ。百年の後、彼女本人が再びこの国に現れるという。国もまたそれを許容した。今はダリアッドの言いなりになるしかないが、いつか報復をと目論んでいたのだろう」
「なんつー都合の良い事を……」
あっさりと敵国の要求を呑んで英雄を殺すことを決めたわりに、その魔女に縋りついたわけか。当時の自国の浅ましさにレイラは呆れ返った。
「で、それがどうユフィに関係あるんだよ」
国の事情に巻き込まれたセラフィーナの悲劇も分かったし、彼女が最期にどんな魔法を使ったのか気にはなるが、今のレイラの最大の関心事は友人のことである。百年前の魔女とユーフェミアに何か関係があるとは思いたくなかった。
「転生というが、摂理がある。人間は死後、魂の浄化が為され、まっさらになった頃に新しくこの世に誕生するわけだが、彼女が彼女としての記憶を持って生まれ変わるには、その摂理を曲げる必要があった。魂の浄化を受け入れずに生と死の境界を彷徨い、自分の魂に合った肉体を捜し出す。そしてその肉体に入り込み、もともとの持ち主の魂と一緒にこの世界へと生まれ落ちる」
「そんなことができるのか?」
魂になったときの感覚というのが理解できず、レイラは言葉を返した。死んだ後に魂が肉体をすり抜け、冥界に向かう。それが真実かどうかはさておき、その間に個としての意識があるかどうかが非常に疑問だった。
「さあな。だが、ユーフェミア嬢は、先日天馬を作ったと聞いた。百年前、戦場を駆けたというセラフィーナの水の天馬と同じものを」
何故ここでユーフェミアの名前が出てくるか、察せられないレイラではない。頭が急激に冷えていって、背中を嫌な汗が伝う。
「……まさか」
変だとは思っていたのだ。ついこの間まで魔法を使えなかったユーフェミアが、これまで練習してきた白鳥を試験のときに天馬に変えてきた。しかも、本人も予想外だという表情をしていた。どんなふうに失敗すれば白鳥が天馬になるのか。これはもう、当人たちの意図しないところで〝何か〟が働いていたとしか思えない――。
その〝何か〟が百年前の聖魔女? そんな馬鹿な話があるはずがない。
しかし、ジュリアスはレイラの願望をいとも容易く打ち砕いた。
「ユーフェミア・ドレイクは、そのセラフィーナの魂が宿る肉体であることが発覚したというわけだ」
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