噂のシンデレラと落ちこぼれ

「確かにアタシがレイラだよ。でも、あの人とセットで認識するの止めてくんない? 不愉快だからさ」

「……不愉快」

「アタシの噂、聞いてるんだろ?」


 ユーフェミアは返事も頷くこともせず、視線を逸らした。

 レイラ・グレイス。姓を持たない平民である彼女は、子爵家の一つであるグレイスの姓を得て、この学院に在籍している。というのも、彼女は優れた魔力を持つことから才能を見出だされ、グレイス子爵の後見を得ているからだ。まさに幸運の美女シンデレラ。しかしその実態は、〝愛人候補〟であるという。

 魔法の才能のある彼女を支援する、というのは表向き。グレイス子爵の真の目的は、彼女の身体である。なにせ彼女は、女であるユーフェミアも思わず見惚れるほどの美女で、体つきも豊満だ。女性であっても羨ましいのだから、男性が欲を抱くのも無理からぬこと。

 その彼女を偶然街で見つけたグレイス子爵が、財を駆使して彼女を手に入れた。そして、その娘がたまたま魔力に優れていたため、子爵は魔法学院に入れることで、彼女に箔を付けることにした――というのが、学院中で囁かれている噂だった。

 グレイス子爵と言えば、最近事業に成功し、多額の財と子爵の位に見合わぬ権力を手にしたと話題の時の人。その年齢は三十とまだ若い。その若さ故に、己の欲に任せて大枚をはたくようなことがあってもおかしくない、というのが周囲の見解であるらしい。

 ……確かにこんな噂、当人にしてみれば不愉快と言いたくなる内容だろう。


「因みに結婚してるわけじゃないんだから、グレイスってのもなしで。機会があれば、名前で呼んで」


 さっくりと、しかし断固として、彼女はグレイス子爵との関係性を否定しようとする。しかし、不愉快とだけ言って噂について言及しようとしないところを見ると、なまじ本当のことなのかもしれない。


「んで、一応訊くと、そっちはどちらさん?」


 そこで、ユーフェミアは自分が名乗っていなかったことを思い出す。慌てて姿勢を正し、紺色のスカートを摘まんで礼を取る。


「申し遅れました。私は男爵家ドレイクが娘、ユーフェミアと申します。お見知りおきください」


 そう、否定しているとはいえ彼女は子爵家の関係者で、こちらは男爵家の娘。立場としては、レイラの方が上なのである。それを忘れて気安く話し掛けて――自分の失敗に冷や汗が出そうだった。


「かしこまんなくって良いって」


 今更なんだから、とレイラは言う。


「ユーフェ……長いな名前。覚えにくい。でも、ドレイクって聞いたことあるな」


 レイラが考える素振りを見せる傍らで、ユーフェミアは身震いした。ユーフェミアについて噂が流れているというのなら、それはまさしく――。


「……ああ、あれか! 魔力はあるけど魔法を使えない落ちこぼれって、アンタのことだったんだ!」


 嫌な予感は的中した。それ以上に、胸をえぐられた気分だった。悪い噂をされているだろうとは思ったが、まさか落ちこぼれとまで呼ばれているなんて。


「さっきもなんかやらかしたって誰か言ってたけど……ああ、だからこんな人目のないところにいるのか」

「放っておいてよ!」


 初対面とか礼儀とか、相手が問題児と称される人物であることとかも全て忘れて、ユーフェミアは声を張り上げた。察しが良いのは分かったが、あまりに配慮デリカシーがなさすぎた。それともさっきの仕返しのつもりだろうか、とユーフェミアは疑う。

 いずれにしても、傷ついた。


「で、何やらかしたんだ?」


 ユーフェミアに詫びれもせず、興味津々といった様子でレイラは尋ねる。そんなに他人の失敗が面白いのか、と嫌な気分になった。こういうときに正直に白状して、からかいの種にされた経験が何度かあるのだ。


「……関係ないでしょ。貴女みたいな優秀な人が、こんな落ちこぼれのことなんて」

「後学のために?」


 とぼけた様子で首を傾げている。

 あとで誇張された噂を口にされたり耳にされるよりは、と思い、ユーフェミアは観念して告白することにした。


「……火を灯す魔法に風の魔法を合わせて、火を大きくする練習。そしたら、大きい火をさらに大きくして、演習場の芝生を焼き払っちゃって……」


 あわや火事騒ぎとなった。講師が水の魔法で対処してくれたから良いものの、初夏で青かった芝生は、冬の枯野にも勝る荒れ地と化した。ユーフェミアただ一人の所為で。

 講師に謝ったら、むしろこちらが謝罪を受けた。『貴女の力量も考えないで、無理にやらせてごめんなさい』と。悪気がないのは態度を見て分かったが、ユーフェミアはひたすら惨めだった。お前にできるはずがなかった、と言われたように思えたのだ。おおよそ事実だが、他の受講生の前でそんな風に言わなくても良いのに。お陰でユーフェミアは嘲笑の的だ。

 すっかり暗鬱あんうつたる気分に陥ったユーフェミアだったが、予想に反して、今の自分が嘲笑されていないことに気が付いた。レイラは顎に手を当てて、真剣な表情で何やら考え込んでいる。


「ふぅん。要するに制御が苦手なんだ。まあ、それだけ膨大な魔力があれば、つい魔法が大きくなるのも道理だよなぁ」


 どうやらレイラは、ユーフェミアの失敗について真剣に考察してくれているらしい。そんなこと、講師ですらしてくれなかったというのに。


「でも、一応魔法を使えるってことは、ある程度才能あるってことだろ? 普通は出しすぎるか、出す前にどん詰まって全然使えないかのどっちかだから」

「……そうなの?」

「ほら、飴とかいっぱい入った瓶を逆さまにするとさあ、口が細かったりすると出てこなかったりすることあるじゃん。あれと同じで、出口の大きさが十分じゃなかったりすると魔法が使えないことがあるんだよね。でも、それがないってことは、出口の作り方は知ってるってことだから……考えなしに口を大きくしているか、制御しようとしても中の魔力の勢いにされてこじ開けられちゃうか」


 どっち、と尋ねられて、ユーフェミアは魔法を使うときの感覚を思い返してみた。


「なるべく押さえこもうとはしてるんだけど、わっと溢れてしまって、気づいたら振り回されている……気がする」

「じゃあ、やっぱり制御のやり方さえ覚えればいいわけだ。でも、まずは使わないことにはそれも難しいっか……」


 レイラは束ねた本の隙間から紙を取り出し、それから筆入れからペンを取り出した。本を机代わりにして、何かを書き始める。紙面をさらさらと流れる黒い文字。それが魔法文字であることに、ユーフェミアは気がついた。

 何をするつもりだろう。いぶかしむユーフェミアに、レイラはそれを差し出した。


「これ持って、魔法使ってみな。紙に力を通す感じで」


 紙に書かれた魔法文字を見る。小さな篝火を出す呪文が書かれていた。

 普通、魔法を使うのに呪文と杖がいる。言葉を発するのと身振りが必要なのだ。その一方で、魔法文字を用いる場合には、書かれたものに魔力を流すだけでいい。

 だから、この紙に力を込めれば篝火ができるはずなのだが――ユーフェミアは、子供が使える魔法すら使えない自分を思い出す。


「私、蝋燭を点けるどころか、溶かしてしまったことあるんだけど」


 魔法文字は、杖と呪文の詠唱を省略するだけで、力を制御してくれるものではない。魔力の制御ができないユーフェミアの失敗は目に見えていた。


「凄いじゃん」


 と、レイラは素直に驚いて見せ、


「まあ、火事になりそうだったらアタシがどうにかしてやるからさ。ひとまずやってみなよ」


 ほら早く、と急かされ、しぶしぶ従う。だが、魔法を使うからには真剣になって、握りしめた紙に力を流した。

 紙の上に、一瞬だけ小さな火ができた。あ、と思ったのもつかの間、すぐに大きい火炎となり、紙に燃え移ってしまう。慌てて紙を手離して身を引くと、たちまち紙は空中で燃え尽きてなくなってしまった。

 駄目だった、とがっかりする。がっかりして、少なからず自分が期待していたことに気づいた。あれこれと応じているうちに乗せられてしまったようだ。


「一瞬、できたな」

「……一瞬だけよ」


 拳大の火が一瞬で風船のように膨れ上がった光景が恐ろしかった。紙が燃え尽きてなくなければ、また周囲を焼き尽くしていたかもしれない。幸いこれまで他人に怪我をさせたことまではなかったが、講師がいないこの場ではレイラを傷つけてしまう可能性もあった。浅はかだった。

 もう、いい加減に見切りをつけるときかもしれない。あと一年あるが、魔法を使う術を学ぶのは諦めるべきなのかも。だが、ここで少しは学ばないと、いつか暴走させてしまうかもしれない――。

 この学院に残る恐怖と、出ていってしまったときの恐怖に、ユーフェミアの息は詰まりそうだった。


「紙じゃもたないってことか。だったら……。

 ねえ、えっと……ユーフェミア、だっけ? 長いからユフィで良いか。アンタ、お金持ってる?」

「え?」


 突然の話題転換に呆けていると、何を勘違いしたのかレイラは慌てて否定して、


「ああ、いや、カツアゲしようって訳じゃないから」

「かつあげ?」


 意味は解らなかったが、とりあえずユーフェミアに何か危害を加えようというものではないらしいので、素直に答えることにした。


「……お小遣い程度なら」


 全寮制の貴族の学校であるとはいえ、日のあるうちなら、たまに町を歩いて遊ぶくらいのことはする。多くの生徒がそのための小遣いを両親から受け取っていた。ユーフェミアもまた例に漏れない。


「それって、どんくらい?」


 金額を伝えると、彼女は口笛を吹いた。


「さすがお貴族様。でも、ちょうどいいや。今日の放課後、用事ある? 買い物行かない?」

「買い物?」

「そう」


 頷いて、にっとレイラは笑う。


「もしかしたら、アンタに魔法使う手を教えてあげられるかもしれないよ?」

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