第一章 落ちこぼれのユーフェミア

裏庭に舞い込む紙の花

 青い空の下をふかふかの雲が流れる。布団にすれば気持ち良さそうなそれを黒い瞳で見上げて、ユーフェミアは溜め息を吐いた。あの雲に乗って、夢の中へ旅立ってしまいたい。いや、いっそめる夢などではなく、本当にどこか遠くへ流れてしまいたい――。

 男爵令嬢の身分であり、加えて学生の立場である以上、叶わないことは分かっているが。


 洒落た赤煉瓦の校舎の北側にある、こぢんまりとした裏庭。そこに逃げ込んだユーフェミアは、芝生の上に腰を下ろし、庭の真ん中に植えられた楠に凭れて膝を抱えていた。

 ここは聖セラフィーナ魔法学院。魔力の優れた十代の少年少女の教育の場として、貴賤を問わず開かれているオルコット国立の学院だ。ユーフェミアもその学生の一人だった。十三の頃に入学し、かれこれ三年。教育課程は通常四年であるので、今年度末には卒業だ。講義内容も高度になってきて、のらりくらりと学生生活を送ってきた者も卒業のために本格的に勉学に打ち込まなくてはならなくなっている――のだが。


「全くもって、前途多難よねぇ……」


 自分の成績を思い返し、ユーフェミアは瞳を伏せ、しょんぼりと肩を落とした。

 誤解のないように言っておくと、ユーフェミアは何もこの三年間、遊び暮らしていた訳ではない。直向ひたむきに、とまでは言えないが、一応真面目に勉強に取り組んできて、座学の成績は中の上を維持している。

 問題は、実技にあった。

 先程も述べたように、この学院は魔力持ちのための教育機関。その名から自ずと知れるように、学生に魔法を修得させることを目的としている。一、二年時は知識を叩き込まれることが多かった授業内容も、三年となれば実際に魔法を使うことが増えてくる。ユーフェミアは、その魔法の実践が大の苦手だった。

 いや、いっそ下手だと言って良い。

 なにせ、生まれてこの方、魔法を成功させた事など一度もないのだから。


 魔力が不足しているわけではない。むしろ膨大で、問題はコントロールできないことにある。

 蝋燭に火を灯そうとすれば蝋燭ごと溶かしてしまったり。

 ピッチャーを使わず水を注ごうとすれば量と勢いが強すぎてコップを割ってしまったり。

 石を浮かせようとしたときには、勢いがついてしまい空の彼方に吹っ飛ばしてしまった。

 因みにこれらの魔法は、魔力を持つ子供なら幼少のうちに自然にできるようになるものだ。


 そして今日も。先程の試験で、ユーフェミアは悲惨な事態を引き起こしてしまった。あまりの惨事に居た堪れなくなって、学生が滅多に通らない、この北の裏庭へと逃げてきたところだった。練習一つにしても周囲に迷惑を掛けかねないユーフェミアのできることと言えば、もはや現実逃避だけ。ただこうして膝を抱え、空を見上げることだけだった。


「このまま私、どうなるんだろう……」


 魔力の大きさは知られているので、教師も多少の失敗は大目には見てくれるのだが、課題をこなさなければ評価はつけられないので、成績はめっぽう下がっている。昨年はなんとか座学の成績で切り抜けられたが、実践の機会がますます増えたこの年度は……卒業できるかとても怪しい。


 ユーフェミアの憂いなど知らぬとばかりに、強い音を立てて強い風が通りすぎる。煽られた長い金髪を片手で押さえつけ、思わず閉じた目を薄く開けると、右手の方から白い何かが飛んでくるのが見えた。


「……花?」


 ふわりと風に乗った白い花。花びらではない。雌しべや雄しべ、がくも含めた、本来なら枝や茎の上に咲いている花の形で風に流されているのだ。

 弱まった風に落ちてきたそれを、手を伸ばして拾う。かさり、と乾いた音がしたうえ、予想以上の重みを感じた。生花ではない。が、乾燥花でもない。


「これ、紙……?」


 そっと花びらを撫でてみると、ざらざらとした感触が伝わってくる。よく見れば、色も白ではなく薄い灰色。安物の紙だ。それが八枚の花弁を持った花の形を作っている。


「凄い。紙でこんなものが作れるなんて」


 ひっくり返したりして観察してみると、なんとこの複雑な形は、たった一枚の紙を折り曲げてでできているらしい。どうなっているのだろうか、とユーフェミアは夢中になって、紙の花を観察した。卒業の心配がたちまち頭から吹き飛んでしまうほどに、夢中になっていた。

 だから、この小さな裏庭に人が入り込んだことにも気が付かなかった。


「ねえ、アンタ」


 声を掛けられて右斜め後方を振り返り、ユーフェミアはあんぐりと口を開けて固まった。

〝絶世の〟と言って良いほどの美女。そんな存在が、いつの間にかユーフェミアから数歩離れたところに立っていた。

 パーツの配置が完璧なだけでなく、色気と気迫があった。その上、身体のラインもこれまた見事な曲線を描いていて、地味で慎ましやかなやぼったい紺の制服すら官能的に見えてしまう。顔も身体付きも平々凡々である自覚のあるユーフェミアは、相手を目の前にしてただただ縮こまるしかない。

 一方、身嗜みだしなみといえば、栗色の長い髪は全く纏められずに左右に広がり、周りの令嬢たちに比べれば肌も少し日に焼けて、隠すための化粧もしていないという無頓着さだ。ベルトで束ねた教科書も脇に抱えるという粗野な態度も見せている。だが、それでも彼女の魅力は衰えない。本当の美女には小細工など必要ないのだな、と頭の片隅で思った。


「この辺に花飛んでこなかった?」


 言葉を続けられて、ユーフェミアは我に返った。話し掛けられておいてほうけているなど、あまりに失礼だ。

 にしても、花。この緑しかない裏庭の何処に、と辺りを見回して、手の中の存在を思い出した。


「……これのこと?」


 立ち上がり、美女に向き直って、おずおずと掌の花を差し出す。青い目は若干吊り上がっている上に力強く光っていて、油断すれば捕食されるのでは、と錯覚する。

 が、紙の花を目にした途端、彼女は相好を崩したので、少し印象がやわらいだ。


「それそれ」


 嬉しそうに、ユーフェミアの掌の上の花に手を伸ばす。


「暇潰しにたくさん作ってたら飛んじゃってさ。魔法文字が書いてあるから、なくなって何か起きたらどうしようかと……」

「これ、貴女が作ったの!?」


 何処かの職人が手慰みに作った物かと思っていた。少し考えればそんなものがここにあるはずがないことはわかるのだが、それほどまでに精巧に見えたのだ。

 そんな風に驚いて見せると、目の前の美女は呆れたようにユーフェミアを見やって、


「……ああ、お貴族様って、こういう遊びもやらないんだ」


 少々他人を小馬鹿にする物言いだが、それよりもユーフェミアは発言の中身が気になった。まるで、自分は貴族ではないように物を言う。

 言い忘れたが、聖セラフィーナ学院には、貴族用の校舎である〈芙蓉舎〉と一般国民用の校舎である〈水仙舎〉に分かれている。貴族と平民では、必要とする教育が異なるので、同じ学院内でもそのように二分されていて、基本的に交わることはない。

 つまり、彼女の言葉のように言い換えれば、ここにはお貴族様しかいないはず。


 そこでユーフェミアは、ある噂を思い出した。平民の立場でありながら貴族向けの芙蓉舎に通い、それでいて学院で一、二を争うほど成績優秀と言われている女子学生の噂を。


「貴女、もしかしてあのレイラ・グレイス? グレイス子爵の……」


 ぼそぼそと口にした途端、彼女の視線が凍り付いた。


「だったら?」


 不快そうにひきつった口許から牙が見えたような気がして、背筋が冷えた。そして今更ながら、噂のレイラが講師に対して反抗的な問題児としても有名であることを思い出した。機嫌を損ねないように、と慌てて言い訳する。


「あ、貴女のことを知らなかったから、確認しただけ。他意はないわ」

「ふうん。ならいいけど」


 彼女は腕を組み、半眼でこちらをじっと見つめた。本当のことを言っているのか、観察されているようだった。冷や冷やするが、実際に他意はないからこれ以上言い訳のしようもない。

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