第28話 家族なのになぁ
「あのね……お父さんは、今、病院で手術しているの」
晴美の言葉は、美奈子に衝撃を与えた。
サッと全身の血が冷たくなり、心臓が止まったようにも感じた。
今さっきこの場にいた賢治が、手術を受けている。ならばずっとどこか体調が悪かったのだろうか?
自分は無理をさせてしまっていたのではないか?
それよりも、賢治は無事なのか?
大黒柱である賢治が手術をしているというのに、妻である晴美はいつも通りに見えるのはなぜか?
美奈子の頭には、あらゆる疑問が浮かんでくる。
「ちょっと。そんなに心配しなくてもいいのよっ! ちょこーっとガンができちゃったかもしらないってぐらいらしいから」
「ガン!? え!? どこが!? 大丈夫なの? 何で!?」
「まあまあ、慌てないの。ちょこーっとって言ったでしょう? 大丈夫よ」
美奈子の中では、「ガンになったら死ぬ」という固まった考えしかない。
入院して、色々な薬を使って、髪の毛が抜けたり、気持ち悪くなる。そのようなガン治療のイメージがついているのは、ドラマでよく見たからであった。
自分の父親がガンですと言われて、衝撃を受けない人はいないだろう。
大切な家族なのだから心配である。
美奈子は晴美に詰めより、何故なのかと慌てて焦る気持ちをぶつけた。
「そうそう焦らないで、とりあえず落ち着きなさいって。はい、一旦深呼吸して」
晴美に言われる通りに、鼻から大きく息を吸い込み、口から息を吐き出す。
冷たくなった血から、暖かい血へ変わった気がした。
「ガンって言っても、肺とか大腸……じゃあないわよ」
「ん? じゃあどこなの?」
「皮膚」
「ヒ、フ……? 皮膚……皮膚にもできるの? いや、できるよね……だって皮膚も細胞だし……?」
「皮膚にできる何とかかんとかって名前だったんだけど、何だったかしら……? 日本人に多いって話だったんだけど。忘れちゃったわ」
医学知識はテレビ番組で扱っていたものしか知らない。ここ最近テレビで見たのは、血圧についてだった。なかなかガンについて扱う番組はなく、美奈子はそもそもガンがどういうものなのかよくわかっていない。
皮膚のガンと言われても、イマイチピンとこなかったので、スマートフォンを使って調べ始めた。
晴美の話からキーワードとなる言葉を検索エンジンに入力する。「皮膚がん 日本人 多い」と入れて検索すると、具体的な名前が結果に表示された。
「き、きてい? 基底細胞がんってやつ……?」
「ああ、それよ! それそれ! あー、スッキリした」
聞き慣れない名前のガン。どんなガンなのかと、詳しく調べてみた。
どうやら基底細胞がんは、皮膚にできたホクロのようなものが実はガンだったという感じのようで、幸いにも他の臓器へ転移するようなことはほとんどないらしい。顔にできやすく、その部分だけを手術で切り取り、その後は様子を見るようであった。
今思い返してみれば、賢治のこめかみにホクロとしては大きいものがあったような気がする。たまにそのホクロへ絆創膏を貼っており、賢治は「また、血が出た」と言っていた。その時の美奈子は、賢治が自らひっかいてしまい、血が出たのだろうと思っていたが、出血の原因はこの基底細胞ガンだったのかもしれない。
「病院が混んでて、予約できたのがたまたま今日だったのよ。今まで病院に行こうとしても、やることが多くて行けなくてね。美奈子が代わりに農作業やってる間に行けてよかったわよ」
「確かに、人手は増えて時間ができたのかもしれないね。このガン、手術でとっちゃえばほとんど問題ないって書いてあるけど……」
「もつ! 本人もピンピンしてるし、大丈夫よ! お父さんが帰ってきたら、よく話を聞くといいわ」
まるで励ますように美奈子の背中を強く叩き、晴美は軽トラックへ乗り込む。
いつの間にか籾の排出は終わっていた。
「それじゃ、また籾がいっぱいになったら呼んでちょうだいね! お母さんは、これを乾燥機に入れてくるから!」
刈り取った籾には、水分が多い。そのままにしておくと、時間が経つに連れて品質が下がってしまう。収穫後に乾燥機を使って乾燥させることで、品質が落ちてしまうことを防ぐことができる。品質を保つだけでなく、乾燥によって固くすることで、後に行う籾摺りのときに砕けにくくなる。
乾燥機は美奈子の家で所有していない。
なので、農家の組合で共同購入した乾燥機を使う。
その乾燥機まで籾を運ぶのが、晴美の仕事である。
いくら荷物を運ぶための軽トラックだといっても、荷台に籾を大量に載せれば、その重量は大きくなる。
ハンドルも重くなり、細い田んぼ道で車がひっくり返ってしまうと、籾が散乱してしまう。だから、今回の籾を運ぶ作業は、長年米農家としての経験があり、運転にも慣れている晴美がやることになったのだ。
美奈子はひとまずメインの仕事を覚えるために、コンバインを扱っている。
田んぼ道を走る練習を今後しないといけないのだが、まだまだ先になる気がしていた。
「ガンって……言ってくれてもいいのになぁ……」
一人残された美奈子は、コンバインの運転席に座ってから再びスマートフォンを手にした。
何が理由でガンになったのか、それを調べのようとしたのだ。
「ああ……なるほどねえ。なるほど、なるほど」
基底細胞ガンの原因がハッキリわかっている訳ではなかった。だが、リスクとして書かれていたのは「紫外線」。他には「高齢」、「男性」が該当する。
屋外での農作業が多いので、紫外線はたっぷり浴びている。紫外線によるシミや日焼けを気にしていない賢治は、日焼け止めを塗ることは絶対しない。
このガンのリスク因子にピッタリはまっているので、美奈子は納得を示した。
「お父さん、農作業以外は喋らないし、仕方ないかぁ」
台風のとき、賢治が一人で田んぼの水を見て回った日があった。もっと頼ってくれと伝えると、それ以降は美奈子にも仕事を多く振るようになってきている。ただそれは、農作業だけの話である。農業以外のことは、ほとんど喋らない賢治は、すぐに治療が終わる病気であるので、心配をかけないようにと美奈子には黙っておいたのだろう。
その気持ちがわかるので、美奈子は賢治が黙っていても「仕方ない」と思えた。
「うん! いっぱい稲刈りして、お父さんをビックリさーせよ」
稲刈りは始めたばかり。とても一日で終わる作業ではない。
賢治が知らぬ間に、稲刈りがここまで終わっていたのかと驚かせたい。
美奈子は気持ちを切り替えて、稲刈りを再開させる。
「あ……うん?」
ゴゴゴゴとコンバインを動かしていると、進行方向でササッと何かが動いた。
それが何なのかわからなかったが、コンバインを止めることなく稲刈りを続ける。
すると、再び黒い何かが動いた。
「……うぎゃっ!?」
クネクネと動くもの――それはヘビであった。
細く小さいヘビであったが、その姿を目にした美奈子はぎょっとして変な声が出てしまう。
大きいヘビだったら、コンバインの音と同じぐらい声を大きくして叫んでいただろう。
田んぼの中でやり過ごそうとしていたヘビだったが、ドンドン近づいてくるコンバインから逃げようとして、美奈子の前に現れたのである。
季節によって色々な生き物が現れるとは聞いていたが、まさかヘビが出るなんて思ってもいなかった。
大抵の虫は苦手ではない。しかし、ヘビは美奈子にとって、唯一の苦手な生き物である。
これ以上、ヘビが出ませんようにと願いながら、稲刈りを続けた。
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