第26話 嵐のその後に
「ねぇねぇ、お父さん! これ、みてみて!」
毎日水と肥料を調節したり、稲の様子を見てきた。昨日と比べてどこか変わったところはないかと稲を観察していたが、今日は少し変わった様子に気がついた。それをすぐにスマートフォンの写真に納め、昼食前に賢治に見せた。
「なんだ、
見せた写真は稲を近くから撮ったもの。
緑の稲の葉の隙間から見える小さなつぶつぶが集まったそれは、
「あと、これも」
別の写真も見せる。画面をサッとスライドすると、より稲の近くから撮影した写真を見せる。
相変わらず賢治は表情を変えずにそれを見る。
「これは花だな。今年も順調に出来てきてる証拠だ」
「花なの? これ。花びらとかまったくないけど?」
二つ目に見せたのは、緑色の穂から小さい白いものがちょこちょこと出ている写真であった。
この白いものが何か稲の病気だったらどうしようと思って、写真に残しておいたのだが、これは稲が成長している証拠のようである。
花といっても、桜やひまわりのように花びらがあるわけではない。小さな雌しべと雄しべのみが穂からひょっこりと飛び出しているだけである。
とても花とは言えない見た目なので、美奈子は首をひねりながら写真を拡大してよく見る。
「そりゃ稲だって植物だ。だから、子孫を残すためにも花が咲く。穂先から咲いていって、受粉したらやっと実が詰まってくる」
「普通の植物は知ってるよ。ヒマワリとか、ああいうのは花が咲いて、受粉して、種が出来るんだよね。米もなのか……これが米の花かぁ?」
米の花にどうしてもしっくりこない。
賢治の言うことは間違っていないだろうし、言われればそうなんだと納得はできる。ただ、花であるということだけは、ひっかかった。花は花びらがあるものだと決めつけてしまっているので、雄しべと雌しべだけの米の花にモヤモヤしていた。
「そのうち実がパンパンに詰まって、穂が垂れてくるぞ。スズメもそれがうまいと知ってて、食べに来るほどだ」
「食べてみたいな、それ。スズメ対策しなきゃじゃないの?」
「秋のスズメは迷惑だな。防鳥のネットでも張りゃいいんだが、これだけ広い場所にやってられねぇ。それより今からやったら、ネットがどっかいくぞ?」
賢治が手元にある新聞の隅を指差した。その場所に書かれている内容を確認する。そこは週間天気予報が書かれていた。
「明後日から台風だ」
「またぁ!?」
「自然に起きるもんは仕方ねぇだろ。水を見ておかねぇとな」
迫り来る台風に向けて、慌てて用水路の掃除を行った。
今回の台風は以前の台風と異なり、さほど勢力が強くなかった。雨や風はあったものの、命の危険があるほどではない。深夜に日本列島を横断した台風は、すぐに温帯低気圧へと変わった。
美奈子は賢治と共に、台風翌日に田んぼへと足を運ぶ。
「ああ、倒れちまったか」
主に美奈子が肥料を撒いていた田んぼの一部で、台風の風により稲が倒されてしまっていた。
横になるように倒れた稲もあれば、何事もなかったようにまっすぐ立っている稲もある。同じ田んぼ内でもそれだけ差が出ていた。
「稲が倒れてそのままにしておくと、収穫するときに面倒だ。収穫量も減るし、質も下がる。せっかく穂ができてきたのに、水につけとくと勝手に発芽しちまう。早く起こして乾かすぞ」
賢治は自宅から持ってきていた長い支柱を使って、稲を起こしていく。
水を被っているので、また倒れてしまいそうだが、賢治の作業を見よう見まねでやってみると意外と倒れずに立ち上がった。
「何で同じ稲でも、倒れるやつと倒れないやつがあるの?」
「同じ田んぼでも、場所によっては日が当たんないのもある。そういう日照りが不足が原因で起こるし、窒素が多すぎても起こる。今回は……そうだな、周りに建物もないし、日差しは充分あったはず。多分、窒素が多かったんだろう」
「窒素って……肥料の?」
「ああ、そうだ。ここの田んぼだけ倒れてるから、日照りよりも肥料が原因って考える方が普通だ」
「肥料って……ここに肥料を撒いたのは私だ……。多すぎたのかぁ……うう」
美奈子は原因が自分にあることがわかり、ショックを受けた。
もっと少なめにしておけばよかったと後悔する。自分のせいで仕事を増やしてしまい怒られるのではないか。それに加えて収穫量が減ったらどうしようと、不安な気持ちが溢れ、作業をする手が遅くなる。
「次は肥料の量を減らせよ。失敗したら反省すりゃいいんだ。失敗を次に生かせ」
落ち込む美奈子に気づいた賢治は、元気を出せとアドバイスを飛ばす。
「ここ以外はほとんど倒れてねぇんだ。そう落ち込むなよ」
決して励ますことが得意ではないのだろう。今まで賢治から励ますような言葉を聞いたことがないので、口下手な賢治の言葉は美奈子に驚きを与えた。
「収穫にも問題ねぇよ。とっとと手を動かせ」
賢治は美奈子と目を合わせることなく、ずっと手を動かしている。
わずかに見える賢治の口元は、固く結ばれているように見えた。
いつもの賢治ならば、口はまっすぐ横に結ばれているのに、今は口元が緩んでいるように見えた。また、美奈子を褒めた自分が恥ずかしいのか、目を合わせようとしない。美奈子にとって、それがどこか面白おかしく感じてしまい、落ち込んでいたのが嘘のようにクスクスと笑い出した。
「何だ?」
「いや、お父さん、意外なことも言うんだなって。それでもって、最近お父さんはよく喋るようになったなーって思ったら、なんかおかしくて」
「……失礼だな。まあいいが、手は動かせよ」
「はーい。でもやっぱり面白いものは面白いや」
美奈子が小さい頃から、父である賢治はあまり喋るタイプの人ではないとわかっていた。美奈子が小学生のとき、運動会へ応援に来ても、カメラ片手にあぐらをかいて座っていた。都会で就職すると言っても、「そうか」、「ああ」と言うだけだった。応援することも、反対することもなく、寡黙な父のことを、思春期の頃は好きではなかった。
美奈子が会社を辞める契機にもなった、半年ほど前の賢治の入院。その時の賢治は、晴美にも美奈子にも「ああ」とばかり返事をしていたので、相変わらず静かな父親だとばかり思っていた。
それが今では農業の話になると、ペラペラと話し出し、何でも教えてくれる。
賢治の今までのギャップが、美奈子にとってたまらなく面白い。
美奈子はこの日、笑いを堪えながらも作業をしたおかげで、落ち込んだ気持ちもいつしかなくなっていた。
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