第24話 田んぼを必要とする生き物

 何度かやってきた夏の台風によって受けた被害は、ほとんどなかった。

 天気予報をこまめに確認して、台風がやってくるタイミングに合わせ、水量を調節したので、田んぼ内の水量の変化は問題がない。

 だが、田んぼの中へゴミや落ち葉などが入ってしまっていたので、毎回台風一過となった翌日にそれを片付けていた。

 空き缶やペットボトルなら軽いので、ポイ捨てされたもの、もしくはゴミ捨て場から飛んできた可能性は考えられる。しかし、田んぼに向かう最中、路上に落ちていたトタンは、ゴミではなくて、誰かが使っていたもののはず。古い物置小屋の屋根や、車庫に使うことが多いトタンは、持ち主らしい老夫婦が後で回収していたのを美奈子は見ていた。

 被害を受けなかった苗は日に日にぐんぐんと伸び、初めは種子から出た茎はわずかだったが、「分けつ」と呼ばれる根元から新しい茎が出てきていた。

 一カ所に植えられた苗は一本ではなく、数本まとめて一株として植えている。その一株の中の苗がそれぞれ分けつにより、一株が全部で二十本ほどに増えた。そこで分けつは自然にストップする。すると今度は苗を増やすのではなく、穂を多くつけるために茎が強く育っていく。その時には、田んぼは水面が見えないほどに、一面緑色になっている。

 夏の日差しが突き刺さる中、その中に入り、雑草を抜いていた美奈子は、道を挟んで向かいの田んぼに見え隠れする白い鳥を見つけた。


「あれは……サギだな」


「サギ? 白鳥じゃなくて?」


 真っ白なその鳥を見た賢治は、棒立ちの美奈子に、同じ田んぼ内で雑草を抜いていた賢治言う。


「見て見ろ、上にも飛んでるやつ」


 賢治が空を指差したので、見上げてみる。日差しが眩しく、目を細めて見る。すると上空を飛ぶ同じ白い鳥がいた。


「飛んでるやつの首、曲がってるだろ? あれがサギの証拠だ」


「うーん……? あ、ほんとだ。よく見れば曲げたまま飛んでるね」


 さらに目を細くして見てみると、その鳥は首をエス字に曲げているのがわかる。


「白鳥なら首はまっすぐだ。あいつらは田んぼに出るカエルとかをエサにしてる。田植えをした頃に来た時には、植えたばっかの苗をひっくり返されるから注意だ」


 賢治が言った矢先、田んぼ内にいたサギが頭を下げた。すぐに頭を上げたが、その行動は水中のエサとなる生き物を捕らえたのだろうと分かった。


「美奈子、次はこれを見ろ。これがモグラの穴だ」


 空から地面へと指を指す方向を変えた賢治。美奈子も指し示された箇所を見る。そこは田んぼを囲うあぜであり、そこにはポックリと数センチの穴が空いていた。


「これがモグラの穴だ、多分」


「多分って……モグラって決まってるんじゃないの?」


「穴を開けてる場面を見たことがないから、分からん」


「はあー……。確かにモグラって見たことないなぁ」


 モグラという名前は知っていても、動物園で見かける訳でもなく、普段生活している上で見ることはない。可愛くデフォルメ化されたイラストしか見ていなかった。


「俺もあんまり見たことがないが、可愛くはないぞ」


「そうなの? こう……手がちょこんと出て、鼻をピクピクさせてるイメージだったんだけど」


 イラストのモグラは、地面から顔と両手を出しているイメージである。全身が暗い色だが、鼻はピンクでハムスターのように可愛い生き物だと勝手に決めつけていた。


「視力が弱い分、鼻がいいからだろう。なんにせよ、農家にとってはヤツは害だ。田んぼでも、畑でも迷惑になる。こんな風にな」


 賢治は空いている穴を埋めるように泥を足す。叩くように穴を埋め、汚れた手は田んぼの中の水で洗い流した。

 畦に穴が空いたままだと、そこから水が漏れたり、畦の強度が下がる。決して綺麗とは言えないが、空いた穴は賢治によって修復された。


「こういう生き物も、最近じゃあんまり見かけなかったな。昔はモグラの穴なんてもっとあちこちにあったし、サギもいろんなところで見たもんだ。今じゃ都市開発で住む場所がなくなってんだろう。ずいぶんと減った」


 賢治が入院した冬に、数年ぶりに地元へ戻ったときにも自然が減っていることに気がついていた。

 昔は田んぼだった場所に、今では家や店が建ち並んでいる。

 後継者不足による農業従事者の減少と高齢化がそれを促進していた。

 変わってしまった風景に悲しんでいたのは、美奈子だけではない。そこにあった自然に集まっていた生き物たちが行き場を失っている。

 地元が発展していくのは、美奈子にとっては嬉しい。だが、そのために他の生き物のすみかを犠牲にしてまでは、発展しなくてよいと思っている。


「田んぼもありゃ、多少の大雨でも吸ってくれるからいいんだがな」


 賢治が言うことは、美奈子も調べたことがあった。

 コンクリートやアスファルトで固められた都会では、大雨による水を地面が浸透、吸収することができない。うまく下水管へと流れ込んだとしても、そのキャパシティには限界があり、それを超えたときにドンと溢れて、洪水を引き起こす。

 それに対して、田んぼの場合は、水を限界まで貯める。そして限界を超えたときには、ゆっくりと外に超えた分だけを出す。自然のダムのような役割をしているのだ。


「緑はいいと思うよ。でも、この日差しはちょっと……」


 何も遮るものがないので、強い日差しが照りつける。いくら帽子を被っていても、暑いものは暑い。

 二度と同じ失敗はしないと、日焼け止めはしっかり塗ってきた。汗に強いものを使ったので、日焼けの問題はない。


「頭が痛い……」


 美奈子が小さな声でぼそっと呟いた。それを賢治が聞き逃さなかった。


「馬鹿、それは熱中症だ。早く家に帰るぞ」


「うーん……」


 区切りがいいところで水分補給をしていたつもりだったが、足らなかったようである。

 美奈子は言われるがまま、止めてある軽トラックへ乗り込んだ。


「若いやつは熱中症だって気付きやすいからな。年寄りはこうもいかねぇ」


 賢治が運転しつつ、話し始めるので美奈子は静かにそれを聞く。正直、黙っていてくれた方が、頭痛に対して刺激がなくなるのだが、声を出すのもおっくうで、賢治の言葉を聞かざるを得なかった。


「年寄りは口が渇いてることにも気づかねぇ。だから家の中にいても熱中症になる。しっかり水分とっとけ」


 冷やして持ってきていたスポーツ飲料は、すっかりぬるくなってしまっている。それを飲んでもすぐには体調がよくならない。

 家に着くなり、美奈子は頭を抑えながら車を降りる。

 その後ろから賢治は美奈子に、念を押すように言う。


「お前は今日明日休め。熱中症で倒れられる方が面倒だし、困る」


「うーん」


「お前、頭が痛いからって頭痛薬飲むなよ? さらに酷くなるってテレビでやってた。水分と塩分とって、涼しいところで休んでろ」


 言うことだけ言って、賢治は再び田んぼへと向かった。ゴミ拾いや畦の確認など、やることはたくさんある。それを一人でやるために、すぐ出ていったのだ。

 賢治に専門的な医学の知識などあるわけがなく、健康をテーマにしたテレビ番組の情報だけある。熱中症患者が多くなるこの季節、もしもの場合に備えて、賢治はその番組を見ていたのだろう。

 帰ったら頭痛薬飲もうとしていた美奈子は、賢治の言葉を受けて、飲むことをやめた。

 袖や襟がゆったりとした服に着替えて、冷房のついた自分の部屋で体を休める。


『体調管理ができないなんて、大人として、だらしない。仕事が出来るやつは、体調管理も出来てる』


『何でも熱中症だとか言っとけば、休ませてくれると思ってるんだろう? 甘ったれるな。いいか、俺が新入社員だったころはな、どれだけ熱くても働いたんだ』


 新卒で入社してからゴミみたいな上司に言われた言葉を思いだした。

 当時はそんなこと言われても、病気になることだってあるだろうと反抗心があったし、上司の新入社員時代と違って地球温暖化のせいで気温は高くなっているのだから、時代が違うんだよと反抗心もあった。しかし、次第にその気持ちは薄れていき、辛くても周りがやっているんだから、例え自分が体調管理悪くても働かなくてはならないと考える社畜になっていた。


「はぁー……ほんと、自己嫌悪」


 ため息をつき、頭を抑えながら、スポーツ飲料を口にする。

 長い時間、炎天下の中での作業はしたことがない。立派な社畜精神がまだ残っている美奈子は、熱中症だと言われても作業を続ける予定であった。しかし、賢治に休めと言われてしまったので、休まざるを得ない。

 水分をとって休んでいる間に、頭痛は少しずつ治まってきている。

 それでも働けないのが、もどかしい。

 農家は体が資本とも言われる。どんなに年老いても、体が動く限りずっと働く。逆に言えば、体が悪くなったら何も出来ない。

 そんなときが来たときに、自分はどうしたらいいのか。

 まだ、賢治の元で米作りを学んでいる美奈子に何が出来るのか。

 もしもの時を考え、必要な策を練っておくことに越したことはない。どうしたらいいのかという問題に、一人では答え出すことが出来るはずがない。それでも言い渡された療養期間、他にやることがないので考え続けた。

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